第4回
絵の脳と文章の脳。
そして源内のレベル。
絵の脳と文章の脳。
そして源内のレベル。
橋本 |
作家の頭と絵描きの頭が違うって話なんだけど、 絵描きの時代、 冬が好きだったの。なんで冬かっていうと、 木が葉っぱを落とすでしょ? そうするとね、枝のかたちが見えるわけ。 そうすると、この木は、 こういうふうな枝の生え方してるんだな、 っていうのがわかるわけですよ。 そうすると、ああ、あれに葉っぱを つけるんだってなる。 つまり、木の解剖学なの。 きれいだな、っていって、 絵描きだからきれいに見てるってわけじゃなくて、 あの木は、ああなっててこうなってて こうなってこうなってるんだ、 っていうふうに見てるのよ。 |
糸井 |
はぁー。じゃ、すっごい痩せた人に 会ったりするの、好きだった? |
橋本 |
ま、それは好き。 この腰骨のここのところのこの盛り上がり方と、 この鎖骨の感じとか 電車乗ってても、前に座ってる人が、 じいさんとばあさんだとすると、 この人、若いときはどういう顔だったんだろう? って、顔からシワをこう取り除いて、とか。 若い人だったら、ここにまずシワができるだろう、 ここ、痩せてくよな、とか、 頭の中で勝手にそういうことやってたの。 |
糸井 |
それは、人に言わないで、 ずーっと思ってるわけ? |
橋本 |
ずーっとやってる。 どうも、絵描きの人っていうのは、 そういうふうにものを見てるらしい。 でも、それをそのまま文章に書けないじゃない? |
糸井 |
書けない。 |
橋本 |
こうなってこうなって こうなってこうなってこうなってるところに、 葉っぱがこうついて、のような日があった、 って書けないから。 |
糸井 |
記憶がビジュアルですよね。 |
橋本 |
そう。だから作家になって、 ええと、この木を、きれいって言うには、 何て言やあいいんだろう? って。 そういう解剖学的なものの見方をする 自分の考え方を、 どんどんどんどん捨てようとしたから、 いまさら、絵描きになれないですよ。 |
糸井 |
ちょっと、ちょっと感動的だね、今の説明は。 |
橋本 |
ほんと? |
糸井 |
うん。 |
橋本 |
それでねぇ、それ止めちゃったから、 上手になりたいっていうのも、てんからないわけ。 はじめ両方やってるときには、 絵が下手だから止めたんだ、 っていうふうに言われたくないから、 とりあえずお世話になってた人から、 仕事やって下さいってきたら、 はい、やります、って、やってて。 で、だんだん、もうやりません、やりません、 で止めちゃったの。そうすると、 できなくなるんだよ。できなくなるし、 うまくなろうって気もないし、 いちおうできて止めたんだからいいんだ、 みたいなのがあって。 んで、イラストレーターの田中靖夫さんにね、 『徒然草』の挿し絵を頼んだときがあって。 そのときに田中さんが、会う人ごとに 「へのへのもへじ」を描かせてて、 そのいろんな人の「へのへのもへじ」の バリエーションを、絵として使う っていうふうに言ってて、 俺にも描けっていうのね。 ああ、っていって描いたら、 いいね! いいね! これ、今までで いちばんいい「へのへのもへじ」だ、 って言って。そのときにわかったのよ。 あ、絵がうまくなりたいという 上昇志向がないから、すごく自由なんだ、って。 で、他の人の描いたの、こうだよ、って、 見たら、なるほど、って。 |
糸井 |
上昇志向が現れてる。 |
橋本 |
そう。みんな、 うまくなりたいっていってやんの、 みたいなのがあって。 |
糸井 |
そのとき描いた橋本君の 「へのへのもへじ」は、 文字の羅列なんですか? |
橋本 |
そうだよ、もうちゃんと 「へのへのもへじ」。 記憶と経験が一体化して、 あんまし深く考えずに 手が勝手に動いたみたいなもんだけど。 でも、普通のひとなら、 イラストレーターの田中さんに、 それを描いてごらんなさい、 って言われたって段階で、 自分はどの程度のもんであるって、 知能テストを受けるような気分で 緊張するじゃん。 俺、そういうのがぜんっぜんなかった。 |
糸井 |
それはさ、禅画でさ、 丸を描いてごらん、ってわざわざ言われたら、 自分が、なんか、ばれるんじゃないか? みたいになりますよね。 そういうことだよね。 次元が違うけど、どうして俺は絵を描くのが 嫌になったのかが、ぜんぶ説明できたよ、今。 |
橋本 |
あ、ほんと? |
糸井 |
うん、つまり、俺が描く絵は、 俺は嫌いなんだよ、って、 よく人に言ったんだけど、 頭の構造が、絵を描く構造に なってない絵なんですよ。 それは、俺は大っ嫌いなんですよ、 人の絵だとしたら。 そうすると、自分がそれを作るのが、 嫌なんですよ。 |
橋本 |
うん、だから、人は、 糸井さんが描いた絵が好きじゃなくて、 糸井さんが好きだから、 その絵の中にある糸井さんが好きなのよね。 |
糸井 |
そういうことだよね。 優しい言い方だよ、それは。 |
橋本 |
うん。で、80年代っていう、 「ヘタウマ」みたいなことが 言われてた時代っていうのは、 わりとその方向に行っちゃったじゃないですか。 |
糸井 |
あ~。つまり、体癖が好きだ、 みたいなことだよね。 言葉じりの訛りが好きだとかさ。 |
橋本 |
うん。本質と関係のない細かいところばっかり。 それはそれでいいんだけど、 それやると真ん中がお留守になっちゃうし。 でね、おんなじことがあってさ。 新潮社の『波』っていうPR雑誌があるんですよ。 で、なんかそれの表紙に文字書け、っていわれて。 普通、なんか、万年筆で 原稿用紙に書くらしいんだけど、 俺、なんか勘違いして、 書だと思っちゃって(笑)。 墨汁で、紙に向かって、なに書こうかな? って思った瞬間にね、 「う」って書いちゃったんだよ(笑)。 うー、なに書こうかな? と思ったら、 それがそのまま手までいって、 あ、心身一如ってこういうことだ、 って思ったんだけど、二度とできない。 つまり、うまいことやっちゃったから、 あれでいいんだ、という、 うまくできるかもしれないっていう上昇志向が 体に付いちゃったから、もうできない。 だから、もう書なんか恥ずかしくってやれない。 |
糸井 |
あの、わざわざ戻すつもりもないんだけど、 平賀源内の中にある、なんか微妙な、 ちょっとこういけ好かないものっていうのは、 1回できたことは繰り返せるっていう指向だね。 そう思わない? その、教えられるっていう幻想? 繰り返せるっていう幻想? 今、さっきのいちばん最初に戻ったときの、 鏡餅を上から見たところの話もそうだけど、 つまり、言語化してマニュアル化したら、 受け渡しができるものになるから、っていう、 啓蒙主義とか、ぜんぶ入ってるじゃないですか。 |
橋本 |
平賀源内、そんな親切じゃないでしょう? |
糸井 |
そうかなぁ。 |
橋本 |
俺、才能あるもん、っていう人だもん、あの人。 |
糸井 |
あのさ、カラオケ上手の歌を聴いてると、 すごく不愉快じゃないですか。 ギャグなんかでこう、マイクをこう、 ポーンとこう投げてさ。 |
橋本 |
はいはいはい。俺、それよりも、 歌手が、アーティストだって出て、 なんかやることのほうが嫌なの。 あ、マルチな方なんだなー、とかって思って。 うん。まあね、俺は関係ない世界だから いいけどね、みたいなのがあるんだけど。 |
糸井 |
平賀源内の芸っていうのも、 それぞれのジャンルから見たら、 きっとそう見えてるんですよね。 |
橋本 |
っつうか、俺、平賀源内が、 あの時代ではかなりいいレベルに いってたんじゃないかな、とか思うんですよね。 |
(やっと源内に話が戻ってきました。 次回は「江戸の日本人がもっていたクオリティ」 について、です。 ) |
2014-12-27-SAT
タイトル
橋本治と話す平賀源内。
対談者名 橋本治、糸井重里
対談収録日 2004年3月
橋本治と話す平賀源内。
対談者名 橋本治、糸井重里
対談収録日 2004年3月
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