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平賀源内の中にもある、
日本人の持ってるクオリティの高さ。
橋本
やっぱし、平賀源内、
一通りできなきゃっていうところあるでしょう?
やっぱし、あの人の文章能力は
けっこうなものなんですよ。
なんか怒ってるっていうのもあるけど。
だって、平賀源内が、
「西洋婦人図」っていうのを描くじゃない?
あれが最初で、日本で最初の油絵だ、
ってなるんだけど、
そのあとで司馬江漢が出てきて、
いろんなの描くでしょう?
俺、司馬江漢の絵がそんなにいいと思えないもん。
いっぺん、府中の美術館で司馬江漢展っていうの
やってたから行ったんですよ。
もうちょっといいものかな?
と思ってたんだけど、
俺、風呂屋の看板、思い出した。
糸井
あー。
橋本
んで、亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)
っていう人もいて、んで、その人も、なんかね、
この感じは何なんだろう? と思うと、
やっぱり遠い昔の風呂屋の看板的な、何かなの。
糸井
ドレミファを憶えちゃった、
三味線のお師匠さん、みたいな。
橋本
寺山修司が好きな風呂屋の絵看板、みたいな。
日本人は西洋人になっても
西洋になり切れていない、土俗があるんだ、
っていって、サーカス小屋をセッティングして、
向こうに風呂屋の看板を置かなくちゃ、
美術じゃない、みたいな、そういう、
寺山修司的な土俗を感じるんですよ。
糸井
苦しいけど、その時代を必ず経過しますよね。
橋本
うん。
糸井
寺山修司いなかったら、
やっぱり、ある何か、
見えないものあるもんね。
橋本
うん、俺、そういうのは嫌いじゃないのね。
港町があって、マドロスさんがいて、
でも、そのマドロスさんが必ず5頭身で
足が短くって。ほんで、女の顔はのっぺりしてて、
顔がすごく大きくって、でも、なんか、
胸はAカップのベタッていう感じで、
シュミーズ着てて、パーマかけて、
どっかに扇風機も回っていて、
で、そこに司馬江漢とか
亜欧堂田善風の絵があると、
俺はそれが日本のフランスだと思うのね。
糸井
ああ、ああ。
橋本
寺山修司がつくるところの。
んー、で、そういうのを思い出してて、
それが、日本の前近代からずーっと続く、
西洋に対する憧れのメンタリティの
ひとつなんだよな、とかも思うんだけど、
じゃ、それだと日本人は西洋に
負けっぱなしじゃない、っていう気がするのね。
糸井
西洋にけたぐりしてるのに精いっぱいだよね。
橋本
でも、その前と後には、すごいものがあるのよ!
安土桃山時代に、南蛮蒔絵っていうのが
あるんですよ。で、それは、
日本の蒔絵の、輸出品なの。
キャプテンクックの乗っている船の、
お姫さまがそこに隠れてるかもしれない、
長持みたいのあるでしょう?
上の丸いの。あれが、日本の蒔絵になってるわけ。
糸井
はぁー!
橋本
表が、日本風の青海波(せいがいは)なのね、
しかも螺鈿(らでん)なの。
西洋人は派手なの好きだからって、
螺鈿やってるわけ。
表、青海波で、金鋲を打ってあって
フタ開けるじゃない?
そうすると、一面、唐草模様なんだけど、
そこに、ハラマキひとつの
日本の子どもが遊んでたりするわけ。
糸井
すごいねぇ。
橋本
うん。で、もっとすごいのは、
イエス・キリストの祭壇画なのね。
両開きでフタが付いていて、
開けると三面になるんだけど、
真ん中にキリストの貼り付けの絵が
かかってるのね。
んで、このフタ、パッと開けるとね、
こっち側が「もみじ」に「鹿」なの。
糸井
おぉ!
橋本
もみじの枝に山鳥がとまってるの。
糸井
おおぉ!
橋本
それが蒔絵で螺鈿なの。
糸井
で、真ん中がキリスト。
橋本
うん。だから、キリストともみじに鹿と、
何の関係があるの? って思うんだけど、
あの人たちは平気なのよ。
それで輸出しちゃうわけ。
しかも、西洋人は螺鈿が好きなんだ、
って言われると、ああ、へい、
さようでございますか、って言って、
じゃあやりましょう、って、
当時の日本人には合わないような
ゴテゴテを平気で入れてくわけ。
糸井
力があるねぇ(笑)。
橋本
あるでしょう?
俺、それを見て、ほんっとに感動したのよ。
糸井
そうなると、さっきのその、
あそこにも飾ってある司馬江漢の絵なんて、
やっぱり‥‥。
橋本
なんでもないのよ。
糸井
その、なんていうんだろう、
音階を習ってる子どもの感じがするよね。
橋本
うん、そうそうそう、
縦笛でピーピーピーとやってる、みたいな。
糸井
思い切りが悪いよね。
人の文法で動く苦しさですよね。
橋本
うん。んで、安土桃山時代の障壁画にもさ、
「泰西王侯騎馬図」っていうすごいのがあってさ、
今、屏風になってるんだけど。
それ、もとは蒲生氏郷の後ろの
襖絵だったっていうんだけどさ。
フランス国王とイギリス国王と?
なんとか国王とかなんとか、
各国のヨーロッパの国王がさ、
馬に乗って、こうやって刀振り回してる絵がさ、
襖の一面にボーン! って描いてあるわけよ。
糸井
いいねぇー(笑)!
橋本
ほんで、それ、もとは何かっていうと、
向こうの宣教師が持ってきた、
これくらいのエッチングの絵をもとにして‥‥
エッチングなんだよ?
色ついてないんだよ?
それを日本の岩絵の具使って、描いちゃうわけ。
そうすると、洋風画の描き方なんて、
ここにあるじゃん、もう!
っていうふうになっちゃうのよ。
そんなすごいものを、って、
日本人ってそれだけすごい技術を
持ってたのに、なぁんで江戸時代、
そんなにしぼんじゃうんだろう?
とかって思うの。
だから、平賀源内がひとりで
ポコッて長崎の出島に行っても、
ある程度のことをつかまえられちゃう、
っていうのは、それを、日本人の持っている、
ある種のクオリティの高さの
表れなんだろうと思うんですよ。
糸井
平賀源内の中にもある、
日本人の持ってるクオリティの高さ。
橋本
ただ、平賀源内は、それ持っても、
結局どこにも採用してもらえなくて、
自分でフリーで仕事コツコツ
つくってかなきゃいけない
立場の人になっちゃったから、
それを発展させる場所がないんですよ。
糸井
ああ、ああ、ああ。結局それ、
友だちに分けてるだけですよね。
橋本
そう。で、分けてんだけど、
あの、なんか、あまし喜ばれないとか。
センセー、こないだの、失敗しましたー、とか、
泣いちゃったりとか、っていうの、あってさ。
そうすると、西洋的なエキゾチズムっていうのは
商売になるし、私の中にある西洋によって
インスパイアされたエスプリというのも
商売になるっていうのあるんだけど、
現実とかみ合ってないんだよね、やっぱり。
現実が必要だったら、
平賀源内を雇うっていうシステムが
あってもいいんだけれども、
雇ってもらえないから、
平賀源内もカーッとくるわけですよ。
(次回はこの対談の核心!?
「勃たないということ」についてです。 )
2014-12-27-SAT