第8回
武士の蘭画は、せつない遠近法。
武士の蘭画は、せつない遠近法。
橋本 |
そんでね、あの、秋田蘭画の話に話戻すと、 小田野直武の描いた「不忍池図」っていうのは、 嫌いじゃないんですよ。 それ見てるとね、萩原朔太郎のね、 「フランスへ行きたしと思へども フランスはあまりに遠し」っていうね、 詩を思い出すんだけど。 |
糸井 |
ああ(笑)。 |
橋本 |
それはね、なぜかといえば、 水平線がすごぉーく低いの、不忍池。 |
糸井 |
はぁ、はぁ、はぁ。 |
橋本 |
それで、ローアングルっていうと、 小津安二郎になっちゃうけど、 フランスでやると、ローアングルっていうと、 加藤泰(かとうたい)じゃない? でさ、カメラの位置、すごぉーく下げていくと、 地平線が低く見えてきて、 すごぉーく切ない感じになるんですよ。 遠くが見たいっていう感じっていうのは、 ローアングルなんじゃないか、 っていうのがあるんですよ。 そうすると、小田野直武が上野の不忍池を、 こっち側の岸から通していくとね、 すごぉーく遠くが見たいよぉー、っていう、 その、切ないローアングルになってるわけ。 でもね、不忍池の前にね、 でっかい芍薬の鉢と、 もう1コ鉢を置いて、 その芍薬を西洋画風に描いてるわけ。 そうするとね、不忍池を見る視線が、 とぉーっても低いわけ。 でも、芍薬がここにあるとすると、 ここで見てるわけ。ひとつの絵の中に、 この視線とこの視線と両方あるから、 遠近法的には完全な間違いなの。 でも、西洋のね、陰影をもって 立体的に描くには芍薬でこう描きます、 でも、僕としては、その、絵を教えてくれた、 遠くにある西洋が見たいんだよねぇー、 っていうようなね、気がするのよ。 |
糸井 |
切ない絵だねぇ。 |
橋本 |
で、秋田蘭画、 みーんな水平線や地平線が低いもん。 |
糸井 |
はぁー。 |
橋本 |
しかもね、掛け軸一面、木が生えてるわけですよ。 松があってさ、鳥なんかがとまってると、 リアルに陰影法っていうのあるんだけど、 もう佐竹曙山の陰影法っていうのは、 殿様だから、ま、それでいいか、 っていうレベルなんだけど、 そうすると、その、木の上にとまってる鳥を、 真横から見てる視線で遠近感を出してるわけ。 で、そのずーっと下に水平線があるわけ。 この水平線の高さでいくと、 あなたはここにいるわけで、 ここにいる鳥をこーやって見上げなきゃ いけないんですよ、それが西洋風なんですよ、 っていうのあるんだけど、ないのよ。 ないんだけど、遠近感出すために、 すごーく視点低くするっていうのと、 遠くまで見れて、でも、ここにあるよ、 っていうのが、一体化してるのね。 |
糸井 |
あぁー。 |
橋本 |
そうすると、あ~、日本っていう 閉ざされた世界の中に、 遠くが見たいっていう感覚っていうのは、 わかんなくないよなぁ、って思うの。 ところがさ、遠近法で町人になると、 葛飾北斎とか、あるじゃない? あの人たち、みんな遠近法をマスターして、 富嶽三十六景とか描くんですよ。 あの人たちの遠近法がすごいの。 これはねぇ、なんていうのかな、 海がね、こう反り返ってる。 つまり、遠近法で見ると、 遠近法っていうのは、目の位置と、 水平線、地平線の位置が同じなんですよね。 んで、描いてはいる、 その通りに描いてはいるんだけど、 海面がそれより高くなるのね。 つまり、向こうが見えないように 海面がこうせり上がって 空間をふさいでるみたいになるわけ。 |
糸井 |
はぁー。遠くを見るな、といわんばかりに。 |
橋本 |
んでね、武士関係の蘭画っていうのは、 遠くが見たい絵なの。 |
糸井 |
ほぉ(笑)。 |
橋本 |
ほんで、北斎とか、円山応挙の描いた 反射鏡見ると飛び出して見える 眼鏡絵とかあったけど、 あの遠近法は飛び出す絵なの。 だから、わぁ、飛び出してくる、 っていう感じが欲しい町人、 っていうのはべつにいいわけさ。 だから、海がこうせり上がってて、 向こう側に‥‥。 |
糸井 |
今いるここが大事なのね。 |
橋本 |
そうそう。おぉー! すげぇー! って言ってりゃいい。 でも、小田野直武とか、そっちになっちゃうと、 遠くが見たいのよね、っていう。 なんかその、遠くが見たいな、っていう切なさが、 日本の、江戸時代の蘭画っていわれるもので、 安土桃山時代の南蛮蒔絵とか、 襖絵なんかとは違うところなんじゃないのかな、 とかって思う。 |
糸井 |
南蛮蒔絵の時代の人たちっていうのは、 え、武家のご用達の人たち? |
橋本 |
それがね、わかんないの。 |
糸井 |
わかんないの? |
橋本 |
うん。 つまり、職人だからいちいち名前入れないの。 |
糸井 |
そこのさ、思い切りの良さっていうのを、 知りたいよね(笑)。 |
橋本 |
うん。いや、やっぱしね、あの時はね、 文化的クオリティが高くって、 新しい時代が来る、って、 そういう盛り上がり方したんだと思うよ。 そういう文化的な勢いの良さっていうのは、 江戸時代の、もうごく初期で終わって、 あとは、その、平凡な中で どうやって完成度を‥‥。 |
糸井 |
使っちゃいけない刀の時代っていう(笑)。 |
橋本 |
そうそうそう。 それだけだったら、ま、 西洋切ないで済むんだけど、 なんと、渡辺崋山(わたなべかざん)が 出てくるんですよ。 |
糸井 |
はいはいはい。 |
橋本 |
渡辺崋山が描いた、 「鷹見泉石像(たかみせんせきぞう)」っての、 国宝でさ。あれは西洋的な遠近、 陰影表現による絵なんだよね、顔やなんかはね。 ところがね、着物っていうのは、 純粋な日本画的な表現なわけ。 |
糸井 |
はぁ、はぁ、はぁ。こっから下は違う。 |
橋本 |
そう、ペラペラなの。 ただ、その、着物の線が、 今までの日本画の描き方とは違って、 平面的なんだけど立体的に見えるわけ。 |
糸井 |
はぁ、はぁ、はぁ。 |
橋本 |
で、渡辺崋山の描く絵は、みんなそれなの。 |
糸井 |
着せ替え人形みたいだね(笑)。 |
橋本 |
そう。だから、もうひとり、 コブがある儒学者描いた肖像っていうのあって。 それは真っ正面から描いてるわけ。 で、秋田蘭画では、 秋田蘭画の佐竹曙山の描いたものでは、 人間の顔を真っ正面から描けるか? っていう、そういう問題もあるわけ。 日本の絵っていうのは、みんな横向いて、 鼻筋こう描いてってなって、 真っ正面から見ると、鼻は描けないじゃないか、 みたいなのがあるんだけど、 渡辺崋山も、それを線描で描くわけですよ。 で、薄い着彩でね。 だから、ここだけは立体的なの。 ところが、服はやっぱし日本画なの。 |
糸井 |
はぁー。 |
橋本 |
でね、烏帽子かぶってるのね。 烏帽子のね、上のね、テカりがね、 これがね、もののみごとに陰影表現。 |
糸井 |
西洋なんだ。 |
橋本 |
うん。だからべつに西洋にこだわらなくったって、 自分の居場所に戻してしまって、 表現になってればすごいじゃん、 っていうのがあって。 渡辺崋山っていうのはさ、 小さい大名家の家老の子どもで。 貧乏だからアルバイトで絵を描いてた。 んで、のちに家老になったわけでしょう? うん、だからそういう人っていうのも、 またいるんだよね、 っていう面白さがあるんだけど、 はじめ狩野派(かのうは)を 勉強してるわけですよ。 で、やってくうちに、やっぱし飽き足らないから、 いろんなことしたいわけでやってくと、 西洋のモノマネをしなくても、 自分の持っているフィールドのなかに、 ため込んできて、自分で、っていうふうになって、 あ、さすがに思想家になっちゃう 渡辺崋山っていう人は違うな、って思って。 そうすると、渡辺崋山の絵って、すごいのよ。 |
糸井 |
それはさ、その、さっきからの流れでいうと、 えー‥‥。 |
橋本 |
一筋の人のすごさ。 だって、ちゃんとした立派な絵なんだもん。 |
糸井 |
平賀源内後、どのぐらい経ってるんですかね? |
橋本 |
んー、100年ぐらい? ん、100年も経ってないかな? まあ、3代は確実に。 平賀源内が死ぬぐらいの時代っていうのはさ、 田沼意次の時代になるんですよね。 |
糸井 |
カオスですよね。 |
橋本 |
うん。だから、鈴木春信が、 錦絵作ったぐらいの頃が、 わりと平賀源内の最後の輝きぐらいかな? あ、脱藩したぐらいか。 それから田沼が衰えて、 寛政の改革がやってきて、 それが写楽が登場する頃なんですよ。 で、その前に平賀源内は死んじゃってるんだけど、 寛政の改革ぐらいの頃から、 浦上玉堂が脱藩して、 渡辺崋山の時代になって、みたいな。 |
(次回は「町人のつくった、 体系のない江戸学問」についてです。) |
2014-12-27-SAT
タイトル
橋本治と話す平賀源内。
対談者名 橋本治、糸井重里
対談収録日 2004年3月
橋本治と話す平賀源内。
対談者名 橋本治、糸井重里
対談収録日 2004年3月
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