第8回
人間の痕跡が残ってますわな
人間の痕跡が残ってますわな
糸井 |
解体修理をしている時の小川さんは、 1,000年前にそれを作った人のやったことというのを、 今、現実にいる人に近いくらいリアルに感じますか? |
小川 |
うん。 |
糸井 |
隣にいて、当時の知恵を ちょうだいしているぐらいの感じでしょうね。 「そうかよ、そうやったかよ」みたいな……。 |
小川 |
うん。 ですから、薬師寺の塔なんかを調べた時に、 塔の中に寸法をとるのにあがったりすると、 外側に見えないとことは、木のカタマリですよ。 昔はのこぎりがないから、 オノで樹木をたたき割ったんですよ、みんなで。 割ったただそのままが、内部に残ってる。 木と格闘した跡が、ありありとわかるんですよ。 |
糸井 |
中はそんなに荒々しいんですか? |
小川 |
うん。 それを見ると、そりゃ、 ジーッとしているだけでも、 何となく声が聞こえてくるように思いますよ。 そら、だれでも感じるでしょうな。 「これを運ぶときは大変だったろうなぁ」 「あ、ここで失敗してるんだな」 一本一本見れば、伝わってくる。 |
糸井 |
その荒々しい切り口というのを、 また真っすぐにするような工夫は、 内部に関してはしなかったんですね。 |
小川 |
してないですね。 |
糸井 |
その意図みたいなものは何ですか? |
小川 |
やっぱりそこまではできないんでしょうな。 する必要もないでしょ。 木は一本一本、みんなばらばらですから。 |
糸井 |
そうかぁ。 |
小川 |
前に出ているところを そろえるだけで精一杯ですから。 |
糸井 |
そういうつくった時の気持ちが、 聞こえるんでしょうねぇ。 それこそ前の人が考えていたことが、 言葉になって聞こえるぐらいですか。 |
小川 |
そうですね。 |
糸井 |
「俺はこうしたんだ」と。 |
小川 |
うん、そうだよな。 だからな、例えば、 手抜きでもやって、ここまでやって、 あとは木で盛ったようなのもあるんですよ。 |
糸井 |
そんなのもある? |
小川 |
ああ。 「もう根性尽きておったんだな」 とか、こっちは思うわけや。 |
糸井 |
その時は、タイムアウトだったんだ。 |
小川 |
で、こっちはそれを見て、 「そういうことだけは残したくない」 と思うんですよ。ハハハハ。 |
糸井 |
うわあ……おもしろいなぁ、 その古い人たちとの会話は。 |
小川 |
そういうもんなんですね。 ああいう塔の中なんかへ入ると。 木をたたき割ってるんですから、 もう人の痕跡が残っているわけですし。 |
糸井 |
その古代の人と自分との間に 選手同士のライバル意識というか、 そういうものもあるんですか。 |
小川 |
それはありますよね。 「何にも道具がないのに、 ようこんなものをつくったなぁ」とか、 「どういうふうにしてこの心柱を立てたんだ?」 とか、それはもう、誰もわからないですからね。 |
糸井 |
「俺だったら……」 とか、絶えず思っちゃうわけですね。 |
小川 |
そう思いますよ。 自分だったらこうつくる、 自分だったらこうやるというふうな感じに、 絶えず、なりますわな。 それで間違ってたら、もう失敗なんですけども。 何を使ってつくるかというと、 これは難しいんですけども、たとえば今、 自分たち、施主から仕事をやらせてもらいますよね。 もしも、昔の人たちように のこぎりを使わないでやれといったら、 それ、やってできないことはないですよ。 しかし、莫大な時間とお金がかかります。 ですから、それはできないから、 やっぱり楽な方、のこぎりを使ってやるんですね。 ですから、こういうことが言えるんです。 自分の師匠が亡くなって、 自分で使っていた道具が残っています。 その道具を見ると、道具が身構えているんですね。 今でも現場へ行って使えるというぐらいに 身構えているんです……すごいんですよ。 自分たちの道具は、3日もあけば 使いものになりませんわな。 もうボーッとしているわけです。 そのぐらいになってしまうんですよ。 |
糸井 |
ほおー。 |
小川 |
それは師匠のものだから 身構えているように見えると言われれば それまでですけど、そうじゃないですよね。 例えばのこぎり1本でも、 師匠の引いたのこぎりは違います。 自分たちは、のこぎりでも引くのが大変だから、 電気ののこぎり、バーッと丸のこで切っちゃいますよ。 そうすると、道具にだって、 その個性というか、使っている時の気持ちが、 ちゃんと移るんですね。 だからこそ、徹底的に使われた道具は 今でも身構えますよ。 自分たちの気分で使われていたような道具だったら、 すぐボーッとしてしまいますよ。 道具というのはそういうもんですね。 |
糸井 |
なるほどなぁ。 秩序だって説明はできないけどわかりますね。 小さいときに本をたくさん買ってもらえない時の 1冊の本というのは、ほんとに本でしたよね。 |
小川 |
はい。 |
糸井 |
今は、ぼくらは、本をいくらでも買えるんですね。 そうすると、1冊ずつが単なるものなんですよ。 昔に、1冊の本だけしかない時に 大事にしていたようなものではなくなる。 やっぱり、関係が変わる。 レコードもそうだし……。 |
小川 |
そりゃそうですわな。 何でも、自分が持っている道具でも、 一番最初の道具は一番大事にするというかな。 思い出があったり何かします。 お金がなくて買えなくて親からもらったとか、 そういう道具は大切にしますよね。 そんで、今、買っているような道具は、 すぐに人にやってしまったり 何かしてしまいますけども……。 |
2015-01-02-FRI
タイトル
一生を、木と過ごす。
対談者名 小川三夫、糸井重里
対談収録日 2002年9月
一生を、木と過ごす。
対談者名 小川三夫、糸井重里
対談収録日 2002年9月
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