第11回
今いる場所を、愛するということ
今いる場所を、愛するということ
糸井 |
この本の中でおもしろいのは、 それぞれが、酔っぱらわないままで、 「俺に言わせりゃあ!」 って言ってる人たちの集まりなんですよね。 酔っぱらって言ってる人は、 「それまで言えないでいたことを 酔っぱらって言ってる」 だけなんだけど、決してそうじゃない。 |
重松 |
そうそう(笑)。 シラフで語ってるんです。 このルポに関しては、すべての話を、 それぞれの人の職場で聞いているんですよね。 |
糸井 |
人に聞かれてもいい場所で聞いたんだ? |
重松 |
そうです。職場や現場で。 |
糸井 |
飲み屋じゃなくて(笑)。 |
重松 |
そうです。 その場所も、やっぱり大きかったと思うんです。 途中で電話がかかってきたり、 部長が通りかかったら、中腰になって 「あ、どうも」って挨拶したり、 ドジョウの養殖場だと 泥のにおいがたちこめていたりというのが、 リアルなんです。 これをたとえば、 ホテルを取ったりして取材したら、 ぜんぜん変わると思う。 職場で話すと、やっぱり彼らも、 会社人としての責任を負いますから。 |
糸井 |
おもしろいなぁ。 シラフで「俺に言わせりゃあ……」って 一生懸命言っている人っていうのは、 酔っぱらってそれを言う人と違って、 迷惑なんかじゃない。 やっぱり、課長なら課長としての 「長」の自覚があるんですよね。 |
重松 |
ええ。おそらくその「長」の自覚の頂点に、 矢沢永吉さんもいるんじゃないかな、 「俺に言わせりゃあ!」って……(笑)。 みんな、プチ永ちゃんかもしれない。 |
糸井 |
(笑)そうだね! あの「矢沢永吉としての気高い心」って、 四割のナルシズムと、 あとは「なんか」ですよね。 プライドっていうのも、 ナルシズムでしょうし……。 そのへんの心の持ち方って、興味があるなぁ。 ぼくは、ひょっとしたら、 「生まれてきてよかった」 という気持ちが、ナルシズムの原点というか、 「自分を大切にする」っていうことに つながるんじゃないかと思っているんです。 苦労すれば苦労するほど、 生まれてきたことを肯定したい、 と言えるところが、おもしろいですよね。 |
重松 |
そうです。 課長としての彼らは、 自分の居場所を肯定していますよね。 しかもその居場所って、 人事異動の紙切れ一枚で決まっちゃうんだけど、 それでも居心地よく住んでいられる。 |
糸井 |
大水で流された川みたいなところに 棲む魚だってそうですもんね。 そういう対応力をつけるために、 神様は生きものに いろんな仕組みをつけてくれて。 例えば、人間の体内時計って、 二五時間なんだそうですよね。 見事に二四時間に対応していると、 そのリズムから出られなくなっちゃうから、 事件にも対応できるように 時差ボケをあらかじめ作ってくれている。 そういう神様のプレゼントを 活かすことは何かと言うと…… 「人間万事塞翁が馬」で 過ごすことなんでしょうね。 |
重松 |
「人間至るところに青山あり」と(笑)。 |
糸井 |
うん。 要するに、 「『これでなくちゃいけない』と、 しょっちゅう言うべきではない」 みたいなことですよね。 |
重松 |
仕事って、たぶん、 自分の居場所を好きになるところから、 はじまるんだと思うんです。 自分のいるところを 好きになる才能に恵まれた人は、 やっぱり、うまくいくんじゃないでしょうか。 バブル時代とかは、 「ここではないどこかへ」っていうのが、 ひとつのキーワードだったと思うんです。 転職とかいろんなこと含めて、 みんながそういう気持ちで動いていた。 でもなんか、ひとまわりした今では、 「まずは、ここを愛してみる」っていうのが、 ありなんじゃないかと思うんです。 逆に言えば、この場所を愛せないヤツは、 よそを愛すことなんか できないような気がするんです。 自分の立ち位置を愛せなくってどうするの? という感じはあります。 |
糸井 |
ぼくも、面接をしてても、 「前の会社がイヤだから面接受けに来た」 って人は困りますからね。 |
重松 |
それも、わかるなぁ。 |
2015-01-05-MON
タイトル
チームプレイ論。
対談者名 重松清、糸井重里
対談収録日 2004年2月
チームプレイ論。
対談者名 重松清、糸井重里
対談収録日 2004年2月
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