真珠。
 その5


明治26年、御木本幸吉が世界ではじめて
真珠の養殖に成功、その後養殖場を多徳にひらく。
明治32年、現在の銀座並木通りに
「御木本真珠店」開設、
昭和8年には真珠に関する研究所をつくる。
昭和29年、幸吉の没後もその志をうけついで成長、
「MIKIMOTO」は現在、日本を代表する
宝飾ブランドとなっている。
今回、取材に対応してくださったのは、
銀座本店の向井總子さん、
広報担当の植野瑞恵さん、
そして研究所所長の永井清仁さん。



わたしが初めてパールを意識したのは、
10代の初めの頃のことでした。
ある女優さんが、パールのピアスをしていたのを観て、
すてきだなと思ったのがきっかけです。
その女優さん、ピアスホールを耳の下の位置に開けていて、
パールが耳からこぼれそう。
はかなげで、繊細そしてなんとも上品なのです。
私もいつかピアスを開けたら、ホールは下の方に。
そしてそして絶対にパールを!
そう思ったのでした。
18歳で念願かなって、ピアスホールを開けました。
ホールが落ちついた頃に買ったのは
もちろんパールのピアス
(まだ10代でしたからイミテーションでしたけれどね)。
その後、20代の中頃、
スタイリストになって間もない頃に、
本物のパールのピアスを買いました。
最初に買ったイミテーションと、
次に買った本物パールのピアスは同じサイズでしたから、
見た目にはほとんど変わらなかったのですが、
自分の気持ちの持ちようが違います。
なんだか大人の仲間入りをした気分になって
とってもうれしかったことを覚えています。
宝石にはまったく興味がなく、
ネックレスも、指輪も、
大振りのピアスもふだんほとんどすることのない私ですが、
パールのピアスだけは別。
毎日、出かける前におしゃれの仕上げとして
パールを耳元に。
私のおしゃれの基本はパールのピアス、
そう言っても間違いではないのかもしれません。

ところで、
私のまわりでは、パールを日常にとてもさりげなく
取り入れているおしゃれの先輩がたくさんいます。
その方たちが口を揃えて言うのが
「パールだったらミキモトさん」。
銀座の本店は、私には敷居が高い感じがして
なかなか訪れる機会がありませんでしたが、
みなさんが信頼を寄せる店にぜひともうかがいたい。
そう思いました。
真珠はなぜ、人を惹きつけるのか。
その答えを知る手がかりが
きっと見つかることでしょう。


2014-03-24-MON 


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(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
 取材協力:ミキモト 写真:有賀傑