その2 小さな木も大きな木も。
山本
カトラリーに関しては、
使いやすい形ってなんだろう?
ということに、強い関心があるんです。
なんでもそうなんですが、
一回、実際に作って、家で使いながら、
「いや、もう少しこの型をこのくらい変えてみよう」とか、
それをもうずっと繰り返していく。
そのうち、何年か使っていると、
「あ、これでいいかもしれない」っていう時が来ます。
そうしたら、自信を持って売ることができる。
けれども、最初、デザインだけして、
「これ、結構いいな」と思ったとしても、
そういうものって自信を持って売れない。
自分の手で確かめなければ。
伊藤
じゃあ、ここに並んでるものは、
「ああでもない、こうでもない」と、
試行錯誤を繰り返された結果なんですね。
山本
そうなんです。
伊藤
山本さんの工房の本棚に、
調理器具の古書があって。
それを見て思ったんですが、
長く使われてきたような完成された道具というのは、
あんまりデザインされていない。
使いやすさを追求していったら、
この形になった、っていうようなものばかりですね。
山本さんも、そういうものがお好きなんでしょうね。
山本
はい、たぶん僕、道具が好きなんです。
最近そのことを強く自分で思います。
家具も、生活の道具だし、
器も道具のようなものじゃないですか。
伊藤
そうですよね。
山本
その中でも特に「使い込まれるもの」が好きで。
道具として、しっかり頑張ってるみたいな感じが、
なんだかいとおしいんです(笑)。
器だったら、料理のために、静かに、
「私は頑張ってます」みたいな器が好きなんです(笑)。
伊藤
なるほど。
山本
道具性みたいなのが、
ちゃんと入り込んでいる器というのかな。
その力が、静かに伝わってくるような。
伊藤
なるほど。道具。
この工房も、とても整頓されていますよね。
そしてひとつひとつの道具に
愛情がある感じがします。
山本
ありがとうございます。
──
カレーを山本さんの木の匙でいただいて驚きました。
木の匙って、ものによっては、
ちょっと厚かったりすることもあるんですが、
とても食べやすくて。
伊藤
そうですね。
山本
その「ちょうどいい具合」を探して
厚さを変えたり、試作しているのが、
つくる工程のなかでいちばん好きなんです。
伊藤
木工を始めた最初の頃は、
木の肌を生かしたものを作っていらっしゃったんですよね。
最初から漆をされていたわけでは‥‥?
山本
最初は漆はしていなかったですね。
それどころか、器も。
長野にいた頃は、家具ばかり作っていたんですよ。
伊藤
そうなんですね! 大きなものばかり?
山本
なにしろ長野というのは木工の材料に恵まれています。
町に材木屋も多いし、
足をのばして岐阜に行けば、材木市もあるから、
好きな幅の好きな木をいつでも買えるんです。
だから、大きな家具を作ることもできました。
ところが岡山に戻って来たら、
材木屋さんに並ぶ木が、
中国山地から出てくる木なのかな、
小ぶりなんですよね。
伊藤
なるほど!
山本
その小さな木を見た時に、
家具を作ろうと思っても、
大きなものを作るには小さな木を剥ぎ合せるしかない。
そうしたときに、見てくださる人たちには、
なんとなく集成材に近いような印象を与えるかな、と。
小さな木も大きな木も、1本の木に変わりがないのに、
小さい木は剥ぎ合せると、
なんだか安い木に見られてしまうんです。
それはあまりに、木がかわいそうな感じがして。
それだったら、小さな木を生かした
ものづくりができるんじゃないかと思って、
ろくろを始めたんです。
ですから器やカトラリーづくりは、
岡山に帰ってからなんですよ。
たとえば木の匙は、小さなオリーブの枝からでも
作れるわけじゃないですか。
この土地では、剪定されたオリーブの枝が、
何も使いみちがないからと、山積みにされてたんですよ。
それがあまりにせつなくて。
伊藤
そうですよね。
山本
剥ぎ合せずにできる。
「1本の木なんだ」っていうことに関しては、
大きな1枚板のテーブルと同じようなものづくりなんです。
小さな木だって、庭にある木だって、
木工の手にかかれば形になるんだっていうことを、
仕事としてやりたいんです。
(つづきます)

 

2015-03-23-MON




まえへ
このコンテンツのトップへ
つぎへ



ツイートする
感想をおくる
「ほぼ日」ホームへ
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
写真:有賀傑