「箱入りじいさん」の94年。 やなせたかし×糸井重里
 
 
その3 町の和菓子屋みたい。

糸井 やなせさんのアンパンマンを見て育った人は、
もうお母さんの年齢ですものね。
やなせ そう、ぼくの絵本を読んだ人は
みんなお母さんになってるんだね。
そのお母さんがですね、本屋に行くと、
ぼくが最初に描いた絵本の
『あんぱんまん』を見つけて買うんです。
ぼく、最初の本がイヤでね、
絶版にしようって言うんだけど、
これが売れるんですよ。
「あ、私の子どもの時に読んだ本がここにある!」
って。
糸井 でも、ご本人は恥ずかしいんですね。
やなせ ずーっと版を重ねてるんです。
ぼくはベストセラーなんていうのは
全然ない人なんですけれども、
なぜか、本が絶版にならないんですよ。
ほとんどの本が生き残ってます。
70%ぐらい生き残ってる。
糸井 それはすごいことですね。
やなせ こればっかりはひじょうに不思議なんだよね。
糸井 じゃあずっと、同じように
読まれつづけているってことですね。
やなせ とにかくね、地味な作家なんですよ。
長い間、少しずつ少しずつ売れていくという
作家であってね、
ブームみたいになって売れる作家と違うんですね。
そして、相手にする出版社は、みんな小さいところ。
サンリオ社、ぼくが知り合った時には、
5人しか社員がいなかった。
フレーベル館もですね──いや、フレーベル館の
悪口言っちゃいけないけど──、
あんまり成績はよくなかった。
いま一緒にやってる日本テレビ音楽もそう。
ところが、いま全部黒字になっちゃって、
アニメーションをやってるTMSも、
あれはいったん倒産した会社なんですよ。
それが新社を作って、いまは自社ビルを建てて、
けっこうちゃんとした会社になっちゃった。
糸井 なんだか、毎日毎日、
大福を作っては売っている、
町の和菓子屋みたいな売れ方ですね。
やなせ どういうのかな、とにかく凡庸な作家ですからね。
糸井 ご自分のこと、いつも悪く思いますね。
やなせ 時間がかかるんですよ。
でもね、時間が長い間経ってみると、
意外と多くの人に読まれてるっていうことがわかる。
今度の東日本大震災でも、
アンパンマンのテーマソングの
「何のために生まれて、何をして生きるのか」
というのが、一斉に歌われ出したっていうのが
ニュースで出て来たんです。
ひじょうに驚きましたね。
糸井 ご自分が驚いた。
やなせ ぼくは自分の歌なんてね、
そう流行らないと思ってたんでね。
『手のひらを太陽に』は1曲だけ行きましたけど、
そう流行るような歌じゃないと思ってた。
ところが震災後、FMラジオで流れて、
子どもたちが一斉にコーラスを始めてたんです。
ぼくは感動しましたね。
自分の歌がね、いくらか役に立ったと思って、
ほんとうに感動しました。
糸井 いや、沁み入りました、あの時には。
あの歌が沁み入りました。
やなせ こういうことで役に立つのなら、と思って、
ポスターとかいろんなものを、
被災地へ送ったんです。
受け入れられるか
心配しながら送ったんですけど、
意外と効果があってね、
子どもが地震以来、こころを閉ざしてしまって、
もう全然笑わなくなっちゃった。
けれどもアンパンマンのポスターを見たら、
突然笑い出して、お母さんが泣き出しちゃって、
「あのポスターのおかげで助かりました」って。
「子どもが急に元気になっちゃった」
という手紙が来たんですよ。
いや、そういうことも起きるのかなと思ってね。
そういう点はとても嬉しかったです。
ぼくは何もそれほどのことは
考えてはいなかったんですけど、
そういう点である程度役に立つっていうことがわかってね、
それはやっぱり嬉しかった。
これはやらなくちゃいけないなあって。
それから、声優を向こうへ派遣して
コンサートをやったんですけど、
声優に持ち歌のないやつがいるんですよ。
糸井 そうか!(笑)
やなせ 「先生、私、歌がないから、すごく損をする!」
って言うんで、しょうがないんでね、
いろいろ作ったんですよ。
糸井 それから作ったんですか?!
やなせ 「かつぶしまん」とか、「だいこんやくしゃ」とかね、
そういう歌を6曲ぐらい作ったんです。
慰問に行った時に歌がないと、
どうも具合が悪いというんで、作ったんですよ。
糸井 足したんですね。
やなせ 声優も、私に頼むとね、
全部無料だと思い込んでるようなんです。あっはっは。
糸井 先生が、アンパンマンご自身みたいですね。
先生がアンパンマンです。
みんな、顔を食べちゃっていいよっていう。
やなせ 俺はアンパンマンみたいな人間じゃないと
思ってたんだけど、
現実にはね、どうもそうなってしまってね。
稼いでも稼いでも人のために金遣っているんです。
ある時に、俺もやっぱり自分のために遣おう。
それには何がいいんだろうって思っても、
あんまり遣うことがないんですね。
学校時代にも、デザインで
懸賞に入選することがあったんですよ。
そうすると大金が入ることがあるわけ。
それをどう遣っていいかわからない。
先輩に大橋さんっていうのがいたんで、
あの人にね、聞いたんですよ。
糸井 キッコーマンのアートディレクションを
なさっていたかたですね。
やなせ そう。その大橋さんに、
賞金入った時にどうしたんですかって訊いたんです。
そしたら大橋さんも、
金をどう遣っていいかわからないんで、
竹葉亭行ってうなぎ食べて、
デパート行ってモデルシップ買ったって。
糸井 その時代の人ならではですね。
やなせ 俺もね、遣い方がわからなくて、
洋服作ったりしたんですけど、
たかが知れてるんだよね。
「しょうがない。ビル1軒建てるか!」と、
まあちっちゃいんですけど、
そこの角にビルを建てたんです。
敷地が狭いんでね、ちっちゃいビルしか
建たなかったんですけど、
そうしたら銀行がやってきてね、
金借りてくれって言うんだよ。
いや、金借りなくても大丈夫ですって言うのに、
いや、絶対借りてくれって、
無理やり貸されちゃったんだよね。
銀行というのはメチャクチャなんだよ。
いらないというやつに金貸して。
糸井 それが商売ですからね。
やなせ 欲しいという人に貸さないの!
(つづきます)
2013-08-08-THU
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(C) HOBO NIKAN ITOI SHINBUN
 
ようやくお目にかかることができました。『アンパンマン』の生みの親である、やなせたかしさん、94歳の登場です!