「箱入りじいさん」の94年。 やなせたかし×糸井重里
 
 
その4 巨匠にはなれない。
糸井 先生は、普段から、
何かがしたい! っていう
ご自分の欲望はないんですか。
やなせ ない。
糸井 ない(笑)。
やなせ ぼくはですね、望んだことは全部実現したけれども、
そもそもくだらないことしか考えていないんですよ。
同級生に映画のプログラム書いてるやつがいて、
そいつは映画館に「やあ」と言って
(無料で)入るんだよね。
いや、羨ましいな、俺もああなりたいなと思っていたら、
『映画芸術』という雑誌の仕事が突然来て、
「何でもいいから書いてくれ」というんです。
「じゃ、映画観て、その感想を書く」ということになって、
それから『映画芸術』のおかげで映画館には
入れるようになったんです。
おなじように「やあ」って。
けれど、一つもいいことはなかった。
原稿料は安いしね、それでほんとうにやり始めるとね、
全然観たくない映画も観なくちゃいけないから。
糸井 変な雑誌でしたものね。
やなせ それでも望みはかなったんだよね。
ただね、その時、雄鶏社の『映画ストーリー』編集部で
向田邦子さんが編集記者をやってたんですよ。
向田さんとその時に知り合えたのは、
とてもよかったと思ってます。
それで、もう一つはね、
清水崑さんっていう漫画家がいてね。
糸井 カッパの漫画で有名な。
やなせ 若いんだけど、巨匠みたいな人なんです。
ある時清水さんにこう言われたんです。
「やなせ君、ぼくはね、巨匠みたいに言われてね、
 ひじょうにつらい。
 若い人があんまり寄って来ないしね、
 小さな仕事が来なくなった。
 巨匠なんていうのはダメだよ」。
いや、黒澤明もそう言ったんです。
「ぼくはこんなにはなりたくなかった。
 簡単な喜劇みたいなものも撮りたいし、
 ちょっと気の利いた小品みたいなものも
 作りたいのに、大作の依頼ばっかり来る」って。
そうか、巨匠というのはよくないなあ、
巨匠には絶対ならないでおこう!
と思っていたんだけれど、
‥‥これは簡単になれなかった!
糸井 簡単には、なれなかった(笑)。
やなせ もともと巨匠になるような才能がないから、
なれるはずもないんです。
そうとう仕事が売れてきてからもですね、
くだらない仕事を頼みに来るんだよね。
でも、考えてみると、
俺は巨匠にならないと決めたんだから、
くだらない仕事であろうとやらなくちゃいけないなと。
それで、おまけにですね、来る人がみんな言うのはね、
タダなんだよ。
「やなせさん、原稿料なしで‥‥」って。
原稿料なしなの。
つまりですね、すごく軽く見られてるんだよ。
糸井 しかもタダで‥‥。
そういう人だと思われてるんですか。
やなせ これも、考えてみると、
自分がそれを望んだわけだから、
いいんじゃないかっていうことなんだけど、
いまだに続いててね。
ぼくはいま、全国で御当地キャラクターをつくる
仕事をやっていて、高知県だけで
もう50を超えてるんですよ。
全国のものを入れると
200ぐらいあるんだよね。
これが、全部、タダ。あっはっは。
ただね、2つぐらいはお金をくれたんだよね。
糸井 どういう2つなんですか。
やなせ 役人が4人来たんですよ。
キャラクターを、やなせさん、作って下さいと。
「ああ、キャラクター作るんですか。はい、わかりました」
「ところで、予算がないので、原稿料はタダです」
「えっ、タダですか。私もね、これは仕事でやってるんで、
 いくらかはもらわないと」
って言ったらですね、4人で相談してるの。
糸井 あらら。
やなせ 「相談した結果、みんなで相談して、いくらあげます」。
それじゃしょうがねえと思ったんだけど、
やったんです。
それでキャラクターが好評だからって、
着ぐるみつくる予算は出るのにね。
そういうのはパッと払うのに、
俺はタダって言われるのは何でなんだ、
よくわからない。
糸井 何でなんでしょうかね。
やなせ でも、俺は巨匠にならないと決めたんだから、
これでいいのかなと思って。
糸井 望み通りではあったわけですね。
やなせ そう。望みはかなったから、これでいいのかな。
でもね、世の中はよくできててね、
そっちはタダなんだけど、こっちがあるんですよ。
アンパンマンのキャラクターたちからお金が入ってくる。
だから助かってます。
糸井 子どもたちが支えてくれているんですね。
やなせ まさかこういう仕組みで食べていけるとは、
思っていなかったんだけれど、
正直言って、現在はロイヤリティで食べてます。
糸井 それはもともとは
考えていらっしゃらなかったことなんですね。
やなせ 考えてない、全然。
テレビで『それいけ! アンパンマン』が始まる時は、
こういうくだらないのはおそらく2クールで
終わるだろうという予想だったんですよ。
だから日本テレビはスポンサーなしの
サスプロ(局の自費制作)でやって、
放映も関東地区のいちばん視聴率の悪い
時間帯で始まったんです。
それがいまから25年前、ちょうど昭和の終わる時なんです。
昭和の終わりの10月に始まったんですが、
そのあとに、陛下が亡くなられた。
そのために、宣伝音曲を
一切やっちゃいけないということになって、
ひっそり始まったんですよ。
糸井 元気のない出発でしたね。
やなせ 調布の現像所へ集められてね、
「今回、アンパンマンのアニメーションが始まりますけど、
 サスプロだし、おそらく2クールで終わりますので、
 期待はできません」って。
「それでもとりあえず、後楽園でオープニングの
 ショーみたいなのはやります」
と言われていたんだけれど、
それも陛下が亡くなられて中止になっちゃった。
ひっそりと始まったんです。
糸井 よけい寂しいですね。
やなせ ところがですね、年が明けて3月になったら、
突然電話がかかってきたんですよ。
「やなせさん!」って。
「何でしょう」って言ったらね、
「文化庁です。『それ行け! アンパンマン』が
 優秀番組賞を受賞しましたので、
 虎ノ門ホールで授賞式をやりますから来て下さい」
って言われて、エーッて言って行ったら、
優秀賞で500万円。
ぼくがもらったんじゃない、日本テレビがもらったけど、
アニメの制作が始まる時にね、お金がなくて
500万円借金してきたんですよ。
だから賞金ですぐ払えたんですね。
糸井 ちょうどよかった!
やなせ 局の重役がずらっと並んでね、
「まさかこんなことになるとは!」と。
そうして、すぐ全国放送になったわけです。
2クールで終わると予想したプロデューサーも
「やなせさん、1年間はやりたいですね」。
俺も「そうね、1年はやりたいね」って言ったら、
何と25年やってるんだ! あっはっは。
糸井 『詩とメルヘン』も30年続いたんですよね。
やなせ 『詩とメルヘン』だって、評論家みたいなのに、
「この本はおそらく3号でつぶれるだろう」
と予想されてたの。
それが30年間やってしまったんだよね。
30年間やって、ヘトヘトになっちゃったけどね。
だって、表紙書いてですね、編集やって、
カット全部描いて、詩の選と絵の選も全部やるんだよ。
そうしてさらに足らないところは自分で描いてですね、
終わりのほうは赤字になってきたんで、
うしろの広告もうちで出したんです。
その頃にバブルがはじけて
サンリオも元気がなくなってきて、
『詩とメルヘン』は赤字だからやめるって
言い出したんですね。
どうしようかなと。
自分が引き取ってやろうかなとも思ったんだけど、
もう疲れちゃってね、これがなくなれば
ちょっと楽になると思って、
「あ、やめましょう」言ってやめたんです。
けれど、やめても全然楽にならなかった。
やっぱり同じぐらい忙しい上にですね、
あれを復刊しようという話が、
あちこちからやってきて、
ついにまたかまくら春秋社から、
『詩とファンタジー』っていう雑誌を
出すことになった。いや、もう大変なんだ。
糸井 大変ですね。大変です。
30年やって、やめさせてもらえなかった、
っていうことですね。
やなせ ひとりでほとんど全部やるんですからね。
でもそうすると、経費がそうとう助かるんですよ。
その代わり、ぼくにとって有利だったのは、
あの雑誌についた人は、ぼくについちゃったことです。
糸井 ああ、そうか!
やなせ 読者と寄稿者が、ぼくから離れないの。
いまだにくっついて歩いてる。
「詩とメルヘン・星屑同窓会」
というのを、毎年1回、現在もやってるんです。
糸井 いまもやってるんですか!
やなせ いまも帝国ホテルでやってるんです。
詩と絵の表彰式もやってる。
『詩とメルヘン』の編集者、みんな来ますし。
寄稿していた葉祥明とか、黒井健とか、
いまはもう流行人になった人がみんなやって来ます。
糸井 とにかくすべてのお仕事を、長くなさってますよね。
やなせ そう、長いですね、終わらないです。
同窓会も、終わらせるわけにいかない上に、
初めは75人だったんですよ、
もちろんぼくが全額経費を負担するんだけれど、
100万円ぐらいでできたのが、
いま200人を超えるようになっちゃった。
金がかかっちゃってどうしようもない。
どんどんどんどん人数が増えちゃってね。
何しろあそこへ行けばタダでご飯が食べられて、
お土産もくれる。
糸井 だって、必ず先生に会えますもの。
やなせ 毎年増えていくんだよなあ。
糸井 学校をやってらっしゃるようなものですね。
寺子屋というか。
やなせ まあしょうがない。
  (つづきます)
2013-08-09-FRI
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ようやくお目にかかることができました。『アンパンマン』の生みの親である、やなせたかしさん、94歳の登場です!