「箱入りじいさん」の94年。 やなせたかし×糸井重里
 
 
その5 みんな笑うんだよ。あっはっは。
糸井 思い出すことがあったら、
ぜひお聞きしたいことがあるんです。
震災の時、何をしていらっしゃいましたか。
やなせ あの時はね、俺はどこにいたっけ?
ああ、家にいたんだな。
寝てたんだ。
ぼくはね、地震に対してすごく強い人なんですよ。
全然驚かないの。
南海大地震にも遭ってるしね、兵隊の時は
ドカンドカンと地響きがするなかにいた。
あの地震のときも、そのまま寝てたんですよ。
起きたら被害の大きさにびっくりしちゃって、
引退しようと思っていたのを、撤回した。
そうして、東北の慰問を始めたんです。
あの時にですね、じつはですね、
生前葬というのを計画してたんですよ。
糸井 ご自分の?
やなせ 死んでから人が来てもしょうがないんで、
生前葬をやろうと。
みんなに告別式の文章を書いてもらってね、
準備は完全にできてたんですよ。
ところが、あの大震災が起きたでしょう。
これ、冗談にはならないんだよね。
こっちでほんとうに人が死んでるのに、
生前葬なんてふざけたことはできないと、
中止になったんです。
だから、ちょっとまた死ぬのが遅れたんだね。
死ぬ準備は全部してあるんですよ。
自分の位牌がもうできてるんです。
「清浄院殿画誉道嵩大居士」って戒名をつけてね、
仏壇に飾ってあるんです。
墓も、設計図を渡して作ってあるんですよ。
糸井 もうあるんですか!
やなせ ぼくが、やなせ家の生地は300坪ぐらいあるので、
はじめは家を建てようかと思ったんだけど、
そうするといろいろそれを管理しなくちゃいけないんで、
ちょいとした小公園にしてですね、
その一隅に墓碑を建てようとしているんです。
表側には詩が書いてあります。
生地は「朴の木」(ほおのき)というところなので、
両側に朴木を植えるんですよ。
墓碑の設計はもう墓石屋に頼んであって、
できてるんですよ。
糸井 戒名、位牌、墓碑をつくって
生前葬をなさって引退の準備をしていたんですね。
やなせ 俺が死んだ時にみんな慌てると困るんでね。
糸井 そんな時に震災があったと。
「自分どころじゃない」と思ったんですか。
いつからそんなこと考えてらっしゃったんですか。
やなせ いつからだろうねえ。
もうね、目が見えなくなっちゃったし、
耳は聞こえないし、体の具合が悪いしね、
明日死んでもおかしくないんだけど、
みんな「俺はもう死ぬ」って言うと笑うんだよね。
あっはっは。
糸井 (笑)つい笑いますよね。
やなせ 何で笑うの!
糸井 ご自分が笑ってらっしゃるからですよ。
ご自分がおかしそうに笑うからです。
やなせ あっはっは。順天堂病院へ、
しょっちゅう入院してるんだけど、
いつも「なるべく楽に死ぬようにしてください」
って言ってるのに、医者はもうね、
「あ、わかりました、わかりました、そうします」
って言うばかりで相手にされない。
糸井 慣れてる。いまは、じゃあ、
毎日仕事をなさってるっていうことですね。
やなせ 「できない」と言うのに持って来るんだよね。
どうしようもない。
いまもだから、週刊の連載もやってるんでね、
もうきつくてどうしようもないよ。
糸井 断るわけにもいかないんですね。
やなせ どういうのかな、悪いかなと思って。
糸井 そのへんがアンパンマンですね。
今日だってこうやってお会いしてね、
申し訳ないような気がしますよ。
やなせ いや、もっと俺が元気な時に会いたかったんだな。
俺はね、死ぬまでに会って話したい人が、
何人かいたんだよ。
阿川佐和子さん、黒柳徹子さんの『徹子の部屋』にも
出たいなと思って、これは3回出た。
阿川さんにもこの間会って、
いやあ、やっぱりこの人はうまいなと思った。
ひじょうに対談上手ですよ。俺は感心しましたね。
うまく組み立ててるんだね。
一種の名人芸ですね、よくできてますよ。
その願いもかなった。
あなたともね、ぜひ1回話したいと思ってたんだけど、
こういうダメになった時じゃなしに、
元気な時に会いたかったんだね。残念。
糸井 いまもけっこうお元気だと思いますけど。
やなせ でも、これでね、もう会いたい人は終わった。
もう終わりだ。もう誰もいないよ。
糸井 そんな! どこか出かけたいとか、
あるんですか。旅とか。
やなせ 旅ね、もうできないんです。
糸井 旅は無理ですか。
やなせ 徐々に縮めていった。
外国へはもう行かない。
そういう依頼は全部断ったんです。
国内はまあ動けていたんだけれど、
この3年ぐらい動かなくなっちゃった。
神戸のアンパンマンミュージアムがオープンした時は
神戸へ行きました。神戸あたりまではね、
飛行機に乗らなくてもいいんですよ。
そして、今月は浦和へ行くんだけども、
そのあたりまではまあ行きますけどね、
普通はほとんど家にいます。
“箱入りじいさん”なんでね、
東京で何が起きてるか、全然わからねえ。 
糸井 テレビとか観るんですか。
やなせ いや、目が見えないんで観ない。
糸井 そうすると、いろんなニュースとかの情報はどこから?
やなせ 新聞を拡大鏡で見てます。
前はね、テレビはよく見てたし、
NHKのBSでやってる外国映画が好きでね。
時々不思議な映画をやってるんだよね。
あれがひじょうに面白くて、ファンだったんだけど、
ついにそれも観られなくなった。
もう憐れなもんですよ。
糸井 いやいや、それでこれだけ
覇気のあるお話ができるってすごいです。
やなせ 俺がちゃんと目が見えてね、
話ができる時に会いたかった。
糸井 もうちょっと早く‥‥。
やっぱり会う人、会わない人って、縁ですからね‥‥。
やなせ 92歳からダメになった。
糸井 92ですか!
やなせ 92まではまずまずよかったんだけど、
92からダメになった。
(つづきます)
2013-08-12-MON
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(C) HOBO NIKAN ITOI SHINBUN
 
ようやくお目にかかることができました。『アンパンマン』の生みの親である、やなせたかしさん、94歳の登場です!