音楽家の細野晴臣さんと
美術家の横尾忠則さんが出会ったのは
1976年あたりのことでした。
そこからはじまる長いつきあいで、
対談回数はお互い「最多」相手なのだそうです。
はじめて会ったその日に
「いっしょにインドに行こう」という話になり、
ともに病気になり、YMOを結成しようともしました。
濃く薄く、かなったりかなわなかったりの交流を経て、
それぞれの世界で伝説化しているおふたりが
いま考えていること、抱腹絶倒の思い出話、
どうぞたっぷりおたのしみください。
取材協力:堅田浩二
編集:ほぼ日
- 細野
- 50歳の頃は
体がどんどん年を取っているのに、
気持ちは30代。
70の壁でそれがやっと合致して、
自分の年齢をそのまま受け入れていくようになる。
すると、自分ができることがわかってきますよね。
「これはできるけど、これはできない」という
判断がついてきますから、
それは音楽に影響します。
でも「やりたい」という気力はいつもおんなじ。
変わらないです。
おそらく20代の頃から変わらない。
でも、制約がある。
その制約のなかに発見があるんですよね。
そういう境地に達する、という感じがします。
- 横尾
- もしもそういう境地があるとすれば、
それは社会性がなくなっていくことだと思うよ。
人とうまくやっていかなきゃいけないとか、
仕事としてどうのこうのということが、
どうでもよくなるわけだから。
無責任になって、
努力をする必要がなくなる。
- 細野
- そうそう、無責任になった。
年を取ったら人間はみんな、そうなんなきゃ。
- 横尾
- そうするとね、今度は
そこから新しい生命力が生まれて、
言い方は変だけれども
「長生き」につながっていくと思うわけ。
若い頃は意欲が「長生き」のもとだったんだけども、
老年になってからの「長生き」のもとは
好奇心や意欲や努力する必要が
なくなることだと思う。
- 細野
- そういうことですね。
まずは50歳ぐらいまでの人生が、ひとつあります。
昔から語られている哲学も、ルールも存在する。
でもいまは50から先が長いわけですよ。
そこからの人生って、まだみんな
よく知らないんです。
- 横尾
- たとえばさ、
70歳ぐらいの頃は、
「あと寿命がどのぐらいあるのか」とか、
それなりに気にしていたわけよ。
健康のこととか、病気のこととかさ。
- 細野
- いま、ぼく、そうだな。
考えますよ。
- 横尾
- それが80を過ぎると、
「もうどうでもいいわ」ってことになる。
そんなんね、
「どうでもいいわ」という気持ちになんて、
なれないと思ってたのよ。
- 細野
- いまはなってるんですか。
- 横尾
- かなりなってる。
70代のときは絶対に死にたくなかった。
けれども80を過ぎると、
死ぬのがいいとは思わないけれども、
どうでもよくなっていくほどに、
いろんな人が死ぬわけですよ。
あっ、自然の摂理なんだとね。
- 細野
- うん。
誰でもそうですね。
- 横尾
- 新聞見ると、知り合いが毎日、
ずいぶん死んでる。
- 細野
- そうなんですよね、本当に。
- 横尾
- 新聞に出ない知り合いも死んでるんだから。
これだけみんながどんどん死んでいくと、
ぼくは死んだ人に対して、
なんだかレースに勝ったような気ぃするわけよ。
しかしそれと同時に、
待合室に待たされてて、
名前呼ばれて「はい」と出ていく、
そういう場所にもいるんだな、
ということを感じます。
- 細野
- いまぼくは生きたいと思うし、
毎日何も考えなかったら1000年ぐらい
生きられるのかな、とか、
いや、そんなの飽きちゃうかもな、とか、
いろんなことを考えています。
- 横尾
- 「考える」ということって、いままで
自分にとっては美徳のような気がしていたけれども、
最近は考えないことのほうが大事と思う。
なにもしない。
無為って言葉があるじゃないですか。
無為でいることは大事だと思うんですよ。
- 細野
- 無為かぁ。
でもいつかはそこに行けるから。
- 横尾
- ただ、痛いとか苦しい目に遭って
死ぬのは嫌です。
- 細野
- ぼくもそうです。
生きたまんま死ぬのは嫌です。
- 横尾
- 体にチューブをくっつけられたり、
そういうのも嫌です。
意識しないで死ねるのがいちばんいいんだけどね。
うちの父親は、
ぜんぜん意識しないで、コトンと死んじゃった。
だから、そういう人もいるんだなと思ってね。
- 細野
- 深沢七郎もそうですね。
- 横尾
- そうなの?
苦しみも恐怖感もなにもないのがいいね。
- 細野
- 寝てるような感じ、それは理想です。
みんなそう願うわけですよ。
でも横尾さんはまだレースに勝ち続けているから。
- 横尾
- 100歳まで行けば「勝った」と実感するかもね。
でも80代じゃ、
追い越される可能性があるからね。
もう、後ろから細野さんなんかがさ。
- 細野
- 追い越せないですよ。
- 横尾
- 平気で追い越してさ。
「じゃあね」とかいって
行きそうな気するよね。
- 細野
- 追い越せれば追い越したいけど追い越せないです。
- 横尾
- この前、ぼくより年上の
モノを作る人たち7人ぐらいと
座談会をしたんだよ。
- 細野
- へぇえ。
- 横尾
- 長生きに関する質問をしても、
ほぼ全員が長生きに興味なかった。
- 細野
- そういう人がかえって長生きするんですね。
- 横尾
- そうね。みんな長生きには興味ない。
病気にも興味ない。
そういう人が長生きする。
ただ、いま自分がやってる仕事には、
全員が興味あるの。
- 細野
- ああ、現役ってことですね。
- 横尾
- その仕事についてよく訊いてみると、
やっぱりほとんどの人が
仕事を遊びにしてしまってるんですよ。
遊びにするということは、つまり、
どこかで社会と手を切っているわけ。
社会というものは、
人を遊ばせてくれないじゃないですか。
- 細野
- ええ。
- 横尾
- 「働け」「働け」ばっかりです。
こっちが遊んでしまうとね、
細野さん、
世の中は相手にしてくれませんよ。
- 細野
- はい(笑)。
- 横尾
- 「あいつは遊び人だ」ってことになる。
- 細野
- でもぼくはだいたい、そうですよ。
(明日につづきます)
2021-08-23-MON
※細野さんと横尾さんのこれまでの対談をまとめた本
(いったい何回分の対談を掲載しているのでしょうか!)が
近日刊行予定だそうです。
発売日が決まったら、
ほぼ日のTwitterなどでお知らせします。
『YOKOO LIFE』
横尾忠則(著)
糸井重里(聞き手)
1,320円(税込)
打ち合わせや旅のあいだのおしゃべりが、
宝もののようで、聞き逃がせなかった。
だから録音機をできるだけまわした。
どうおもしろいのか、説明はできない。
そんなふうにおそるおそるはじまった、
横尾忠則と糸井重里による
「ほぼ日」のおしゃべり連載は、
通な方々のあいだでじわじわと話題となった。
「あれ、本にすればいいのに!」
という声をいただくも、
編集方針について迷いに迷い、数年経過。
この記念すべきYOKOOイヤーに、
思い切って追加の対談を収載し、
奇跡のような本を誕生させます。
本になって、さらに宝もののような、
貴重な内容です。
2021年7月17日(土)→10月17日(日)
東京都現代美術館 企画展示室1F/3F
2021年7月21日(水)→10月17日(日)
21_21 DESIGN SIGHT ギャラリー3
2021年7月17日(土)→9月5日(日)
丸の内ビルディング、新丸の内ビルディング
ジャケットとパンツを
2021年7月1日(木)から順次発売
ISSEY MIYAKE SHIBUYA(渋谷PARCO2階)、
A-POC ABLE ISSEY MIYAKE / AOYAMA、
ISSEY MIYAKE SEMBA、
ISSEY MIYAKE MARUNOUCHI、
ISSEY MIYAKE ONLINE STORE
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