音楽家の細野晴臣さんと
美術家の横尾忠則さんが出会ったのは
1976年あたりのことでした。
そこからはじまる長いつきあいで、
対談回数はお互い「最多」相手なのだそうです。
はじめて会ったその日に
「いっしょにインドに行こう」という話になり、
ともに病気になり、YMOを結成しようともしました。
濃く薄く、かなったりかなわなかったりの交流を経て、
それぞれの世界で伝説化しているおふたりが
いま考えていること、抱腹絶倒の思い出話、
どうぞたっぷりおたのしみください。
取材協力:堅田浩二
編集:ほぼ日
- 細野
- いま思うのは、
あのマドラスにいた日本大使館のご夫妻は
どうしてるんだろうってことです。
- 横尾
- もう亡くなってるんじゃない?
- 細野
- でしょうね。
あのとき、すでにお年寄りだったから。
- 横尾
- なんか不思議な感じだったね。
あの奥さんがサイキックな感じの人で。
- 細野
- サイキックでした。
- 横尾
- 庭に光の玉が飛んできたとか言ってなかった?
- 細野
- 言ってました。
台所で料理してると、庭にピンク色の
40センチぐらいの玉が飛んでくるんですって。
世の中には5つの色の玉があるんだと言ってましたね。
それが近所の人の病気を治してるって。
あとは、ご自身が腕時計をすると
故障するからしないと言ってました。
- 横尾
- ああ、自分の波動で壊れるんだろうね。
よく覚えているなぁ。
ぼくは何も覚えてないよ。
細野さんはあのとき日本のメシを食って、
みるみる健康になったんだ。
- 細野
- 鮭のね。
塩鮭でしたよ。
- 横尾
- よく覚えてるねぇ。
- 細野
- 真ん中にそのマダムがいて、
ぼくと横尾さんがいて。
3人で、テーブルでごはんを食べていましたよ。
- 横尾
- 奥さんが細野さんを見て、
「あなた、ブッダみたいですね」って。
- 細野
- そうそう、全部出ちゃったからね(笑)。
- 横尾
- うん。
ブッダはもともとやせているからね。
あのひと言は、なんだか大きかったよね。
- 細野
- 大きかったですね、
印象深いです。
- 横尾
- 下痢したって別にどうってことないんだよ、
ブッダなんだから。
- 細野
- あの奥さんが
「一緒にごはんを食べましょう」と言ってくれて、
塩鮭とごはんを持ってきて
「これ食べたら治ってますよ」
とおっしゃったんです。
それを聞いたときにはそんなもんかなと思った。
で、横尾さんも一緒にそれ食べてて、
食べ終わったらふたりとも元気になってた(笑)。
- 横尾
- 食べると同時に元気になったよね。
あのとき、あの家の入口に
銃を持った番兵、いたよね。
- 細野
- うん、いたいた。
- 横尾
- 大使か領事か知らんけど、
すごい怖がってたね。
ビクビクしているように見えた。
- 細野
- 怯えてましたよ。
様子を探りに来たんですよ、
ぼくたちが肝炎かどうか。
- 横尾
- 肝炎ね。
- 細野
- やたら脅かすんです。
「肝炎だったら二度と治りませんよ」
「私が注射します」
- 横尾
- また注射(笑)。
- 細野
- ときどき、あの奥さんのことは
思い出しますよ。
- 横尾
- ふっくらしたいい顔の奥さんだった。
ぼくはあの3年後あたりに、
画家に転向したのよね。
- 細野
- そうですね。
ぼくは帰ってきてすぐ『COCHIN MOON』やって、
YMOを1978年ぐらいに作って、
80年代に、いろんなことをやりました。
- 横尾
- ぼくは1980年に画家に転向したから、
どっちにしてもYMOに入って
何か手伝うことはできなかったと思う。
- 細野
- うん、うん。
まぁ、結果はよかったです。
入ってたらもっと混乱してたと思います。
- 横尾
- YMOは伝説的なグループですよ。
だから、これから細野さんや坂本(龍一)さん、
高橋(幸宏)さんたちが皆いなくなっても、
YMOはいろんなかたちで
そのときどきに復活して残っていくね。
- 細野
- そうだろうと思います。
- 横尾
- なんでイエロー・マジック・オーケストラっていうの?
イエローっていうのはアジア人ってこと?
- 細野
- いえ‥‥まぁ、あの、
黒魔術と白魔術があるでしょう。
そのどっちでもない、という意味です。
だからイエロー・マジック。
ただのその場の思いつきです。
- 横尾
- アメリカでYMOといっても
通じないんだよ。
- 細野
- イエロー・マジック・オーケストラって、
みんな長く言うんですよ。
UFOだってアメリカでは
ユーフォーって言いませんから。
- 横尾
- フライング・ソーサーだとか、
アンアイデンティファイドなんとか、って言うね。
じつはニューヨークのギャラリーで
最初に展覧会をやったとき、
坂本さんが見に来てくれたんだよ。
画廊の人にYMOの坂本さんだと言っても
わかんなくて。
その日の夜、ギャラリーの人とメシ食いに行って
「今日、横尾さんの友達の音楽家の人が来ましたが、
誰だったかな」
という話になったから、
「坂本龍一という、
イエロー・マジック・オーケストラの人だよ」
と言ったら、
「えー!」ってビックリ仰天してた。
その人、5時間か6時間後にビックリしてるわけ。
アメリカ人にとって、
YMOのインパクトは相当あったね。
- 細野
- あったみたいですね。
でも改めて、横尾さんは、
YMOに入んなくて‥‥
- 横尾
- うん、よかった。
- 細野
- よかったんですよね。
でも、こんなにYMOが
売れるとは思わなかったでしょ?
- 横尾
- あそこまでとは思わないけれども、
世界に通用するグループになるだろうとは思ってた。
だって、最初から
ヨーロッパツアーが決まってたもんね。
- 細野
- そうでしたね。
- 横尾
- ミュージックビデオをどう作るかって、
ぼくのとこに来て打ち合わせしてたじゃない。
- 細野
- ええ、ええ。
- 横尾
- だけどぼくはぼくで、すごく忙しかったし、
ビデオの仕事も手伝えない状態だった。
- 細野
- そうそう。忙しかったですよね、横尾さん。
- 横尾
- だけどYMOも、
すごい慌ただしい中でワーワー言ってたよ。
(明日につづきます)
2021-08-26-THU
※細野さんと横尾さんのこれまでの対談をまとめた本
(いったい何回分の対談を掲載しているのでしょうか!)が
近日刊行予定だそうです。
発売日が決まったら、
ほぼ日のTwitterなどでお知らせします。
『YOKOO LIFE』
横尾忠則(著)
糸井重里(聞き手)
1,320円(税込)
打ち合わせや旅のあいだのおしゃべりが、
宝もののようで、聞き逃がせなかった。
だから録音機をできるだけまわした。
どうおもしろいのか、説明はできない。
そんなふうにおそるおそるはじまった、
横尾忠則と糸井重里による
「ほぼ日」のおしゃべり連載は、
通な方々のあいだでじわじわと話題となった。
「あれ、本にすればいいのに!」
という声をいただくも、
編集方針について迷いに迷い、数年経過。
この記念すべきYOKOOイヤーに、
思い切って追加の対談を収載し、
奇跡のような本を誕生させます。
本になって、さらに宝もののような、
貴重な内容です。
2021年7月17日(土)→10月17日(日)
東京都現代美術館 企画展示室1F/3F
2021年7月21日(水)→10月17日(日)
21_21 DESIGN SIGHT ギャラリー3
2021年7月17日(土)→9月5日(日)
丸の内ビルディング、新丸の内ビルディング
ジャケットとパンツを
2021年7月1日(木)から順次発売
ISSEY MIYAKE SHIBUYA(渋谷PARCO2階)、
A-POC ABLE ISSEY MIYAKE / AOYAMA、
ISSEY MIYAKE SEMBA、
ISSEY MIYAKE MARUNOUCHI、
ISSEY MIYAKE ONLINE STORE
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