横尾忠則さんは過去の糸井重里との対談で、
「生活と芸術は切り離して考える」と
発言なさっていました。
芸術の達成を、人格や人生の達成とするのは、
勘違いである、と。
では「美術家・横尾忠則」の生活とはなんなのか?
糸井重里とのおしゃべりのなかに、
そのヒントが見えるかもしれません。
過去のふたりの打ち合わせと対話の音声を
いま掘り起こし、探っていきたいと思います。
▶︎横尾忠則さんプロフィール
- 横尾
- 模写はつまり、観察力だからね。
いまでもそうだけど、
誰かがぼくに対して話をするとき、
「うん、うん」と聞きながら、ときには
「話がおもしろくないな」なんて思いながら、
頭のなかでぼくはその人の顔を、
ぼく風に描いてるの。
- 糸井
- そうなんだ(笑)!
- 横尾
- もう、習性みたいになっちゃってる。
- 糸井
- それは、現実を模写するような感覚ですか?
- 横尾
- そうだね、現実を模写してるわけだね。
風景画を描いたって、何かを写生したって、
平面か三次元か立体の違いでしょ、
結局は模写と考えればいいわけ。
ぼくはデッサンを一切勉強してないけれども、
形はきちっと取れる。
それは、模写の論理で描いてるような気がする。
- 糸井
- 画家宣言をされたのが45歳で、
いまの年齢になっても、同じ感覚ですか?
- 横尾
- ずっとそうだよ。
45歳のときはね、50歳になったらもう
転職できないと思ったの。
もしあと5年後だったらできなかったな。
- 糸井
- あれは大きな決意でしたね。
横尾さんは、絵を公開で描くことがありますよね。
- 横尾
- 公開制作ね。
- 糸井
- あれはまるで、
遊んで描いてるように見えることがあるんですが。
- 横尾
- 遊んでるような状態にもっていくまでに時間がかかる。
- 糸井
- そうなんですか。
- 横尾
- そこを超えてしまうと、遊びができる。
公開制作はある種の緊張もあって、
遊ぶ気持ちになりかけたところで
終わってしまったりするわけよ。
だから、糸井さんたちが来てくれて、
ワーワーやってると遊びになるし、気が散るの。
気が散ったほうが、ぼくにとってはいい。
- 糸井
- ぼくは邪魔してるという意識もなく、邪魔してます。
だけど横尾さんは、平気なんですね。
- 横尾
- 平気というより、邪魔してもらいたいの。
絵に集中してしまうとダメ。
ぼくは絵から離れたいんです。
絵から離れれば、
身体的に、絵だけで絵が描ける。
それがいちばんいい状態です。
- 糸井
- 絵から離れないって、どういう状態ですか?
- 横尾
- ワニでも馬でも、見なくても描けちゃうでしょ?
- 糸井
- そうか、横尾さんは‥‥見てますね。
- 横尾
- 見ないと描けない。
- 糸井
- いつも写真があったりしますね。
- 横尾
- 写真でもいいし、人の描いた絵でもいい、
見ないと描けない。
- 糸井
- たしかにY字路も、
いつも三叉路の写真を見て描いていますね。
- 横尾
- 模写から出発してるから、何もないと描けない。
「ここは、こうしたほうがもっといいな」
というのは、
どの絵を見ても、写真を見ても、感じるわけ。
- 糸井
- 全部に感じるんですか。
- 横尾
- うん、全部。
現代美術家のなかでも、
何かを見ないと描けない人は、いっぱいいます。
アンディ・ウォーホルだって、
何かサンプルを見ないと描けない。
ところが宇野亜喜良さんは、
普通じゃない角度の絵だって描けるわけよ。
- 糸井
- 描けちゃうんだ。
- 横尾
- 描けない不幸もあるけど、描ける不幸もある。
アンリ・ルソーはたぶん、
猿にしても、ワニにしても、
頭で想像して描けない人です。
- 糸井
- それは、言葉の分野でもありますよ。
書ける能力のある人が、
頭からひねり出した言葉でうまいこと言えていても、
じつはつまらない、という場合もおおいにあります。
うまく言えてなくても、
「言いたいことがこれだ」と思えれば、
圧倒的に感動します。
- 横尾
- そうだよね。
ピカソとマティスも違うよ。
マティスは、女性描くのに、
モデルを置かないと描けないわけ。
- 糸井
- ああいう絵なのに。
- 横尾
- リアルに描いて、
それをどんどんどんどん削りながら
デフォルメしていく手法です。
ピカソはそんなの関係ない、いきなり描けちゃう。
ピカソは、見ても見なくても同じで、
見たって変なもん描いちゃうんだからさ。
- 糸井
- マティスは見てる、
ピカソは見なくても描ける。
そう思うとまた、おもしろいなぁ。
- 横尾
- マティスは晩年で切り絵になりますが、
あのあたりは見てないと思いますよ。
けれどもそれより前のマティスは、
ひとつのフォルムを作るまでに、
デッサンをいっぱいしてやっと、油絵の形を作った。
ピカソはいくらでも大量生産できたけど、
マティスはひとつ描くたびに
モデルを連れてこなきゃいけなかった。
版画もフォルムを作っていくまで大変だよ、
彫刻つくってるのと同じだからさ。
だけど、ピカソもマティスも同時代の巨匠で、
仲もよかった。
- 糸井
- そこにいたるまでには
いろんなことがあったんでしょうね。
子どものときに描く絵って、
みんな同じような出発だったのに。
- 横尾
- うん。
それがどこからか、変わっていくんだよね。
もしかしたら、はじめから
違っていたのかもわからない。
- 糸井
- ピカソはきっと、体内にはあるんですよね。
- 横尾
- そう、体内にはある。
ぼくの場合は、体内ではなく、
自分からも絵からも離れたほうが
いい絵になるんですよ。
- 糸井
- なんだか、横尾さんの絵が
ちょっと見えてきた気がしました。
また公開制作にもいきたいなぁ。
- (これで、横尾忠則さんと糸井重里の対話
YOKOO LIFEはひとまずおしまいです。
また、新しいおしゃべりが録れたら
再開するようにいたします)
2017-10-12-THU
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN