横尾忠則さんは過去の糸井重里との対談で、
「生活と芸術は切り離して考える」と
発言なさっていました。
芸術の達成を、人格や人生の達成とするのは、
勘違いである、と。
では「美術家・横尾忠則」の生活とはなんなのか?
糸井重里とのおしゃべりのなかに、
そのヒントが見えるかもしれません。
過去のふたりの打ち合わせと対話の音声を
いま掘り起こし、探っていきたいと思います。
▶︎横尾忠則さんプロフィール
- 糸井
- いま、宿のロビーで
みなさんが卓球をしているそばで、
横尾さんは絵を描いておられるわけですが。
- 横尾
- うん。ぼくにとっては、これがいいわけ。
絵に集中すると、
どうしても絵のことを考えてしまうでしょう?
すると、描いてる絵がつまらなくなっちゃうんです。
- 糸井
- 「描きたいものを描いているだけ」
という状態になるんですね。
- 横尾
- そう。
できるだけていねいに描こうとか、
そういうことも思ってしまう。
それよりも、なるべく絵から気を散らして、
ちがうことを考えたほうがいい。
そうすると手も自由に動く気がするの。
- 糸井
- 昔からそうですか?
- 横尾
- いや、昔はこんなんじゃなかった。
年齢と関係があるのかもわからないね。
80にもなるとさ、
「どうでもいい」みたいな感じになってくるわけよ。
いい絵を描かなきゃいけないという気持ちがない。
「いい絵を描かなきゃいけない」って、
やかましく言う人がいるけども、
芸術至上主義になっちゃうと、つまんないよ。
- 糸井
- いい絵を描こうとすると、
いい絵を描くという「欲」になっていきますよね。
洞窟の絵画──たとえばラスコー洞窟の壁画を見ると、
あれは芸術や欲というより、
祈りのようなものが人を動かしてるように思います。
- 横尾
- あれはひじょうに呪術的な儀式だったんでしょうね。
けれどももしかしたら、あの壁画を描いた人は、
自分の生命のことを考えたりしてたかもわからないよ。
「無事に帰れますように」
みたいな気持ちだって、あったかもしれない。
- 糸井
- でも、「いい絵を描こう」という概念は
ないでしょうね。
- 横尾
- ぜんぜんないでしょう。
ないからいいわけです。
- 糸井
- 横尾さんがいまネコを描くのも、
それに近いのでしょうか。
- 横尾
- そうね。
こんなの描いてるけど、
芸術としてのテーマはないわけよ。
特に、これはレクイエムのつもりで描いてるから。
- 糸井
- でも、絵を描く前から横尾さんが
画家の目でネコをよく見ていた、ということは、
言えるのではないでしょうか。
- 横尾
- いや、見てたかどうかでいったら、
そんなに見てなかったかもわかんないね。
「そこにいる」とは感じてたけど、見ていない。
描写するように見てたかというと、
そうじゃなかったような気ぃするね。
「こんなところにこんな模様がある」とか、
「毛がこう回ってるんだ」とか、
それはいま描きはじめたからわかるわけ。
- 糸井
- でも、普通の人がネコを見るのと
画家が見るのとではちがう気がするんですが。
- 横尾
- ちがうと思うけど、
いわゆる「見え方がちがう」というわけでは
ないんですよ。
美術評論家的な人がゴッホの絵を見て、
「ゴッホはこういうふうに見てたんですね」
なんて言うけどもね、
そんなはずはないよ、
あんなふうに見てたら危なくて道を歩けないよ。
絵の具があんなにぞろぞろしてるような
道なわけないじゃない。
それは、ゴッホが
そういうふうに描きたかっただけの話で、
そういうふうに見えてたわけじゃないんですよ。
- 糸井
- なるほど。
「描くとき」の問題なんですね。
- 横尾
- そうなの。
画家というのは神秘的で、
特殊なフィルターでものを見て、
4次元的的な感覚を持ってると
思いたいのかもしれないけど、そんなのないよ。
だって、ピカソがあんなふうに見てるはずないから。
ほかの人と、見方はおんなじだと思う。
- 糸井
- 歌を上手にうたうのも絵を描くのも、
神秘じゃないんですね。
- 横尾
- 神秘じゃない。
- 糸井
- しかし、画家が絵を描くというのは、
つまりは得意なことだから、
得意なことをしている喜びのようなものを感じます。
- 横尾
- 喜びと同時に、うまくいかないという思いも
あるんですよ。
常にうまくいかないんです。
うまくいくことがあっても、
それはほんの瞬間だけでね。
その感覚はおそらく、どんな人も同じだと思う。
問題の大小もあるし種類もさまざまだろうけど、
うまくいかないなぁという感じは
みんなが持ってるんじゃないかな。
- 糸井
- そうか‥‥。
それは例えばスポーツでも同じですね。
テレビで体操を見ていても、
得意だから「うまくいったぞ、どうだ」
というところもあるし、
得意だからこそ「うまくいかない」もある。
- 横尾
- ほんとにね。
体操なんか見ていると、
つまりあれは、勇気だね。
- 糸井
- 勇気ですか。
- 横尾
- ぼくは子どものころ、
鉄棒で逆上がりができなかったんだよ。
みんなはできてるのに、
クラスでできないのはぼくぐらいだった。
でもあれも、勇気なんだよね。
ひっくり返る勇気がないからできないわけでさ。
だから絵なんかも、
全部の問題が、勇気だと思うね。
- 糸井
- つまり、
描けたことのある人は描けるんですね。
- 横尾
- 一回描いてしまえば描けるんです。
- 糸井
- 描いてしまえば。
- 横尾
- 自転車に一回乗れたら乗れる。
それと同じよね。
そうするとやね、すべてはつまり、
「考え方」ってことになるんですよ。
- 糸井
- そうか‥‥。
- 横尾
- 四角にするか丸にするか三角にするか、
ピカソでもゴッホでも考えるでしょ。
それは「自分が丸が得意」とか、
そんなことには関係がないんです。
- 糸井
- そうじゃなくて
「丸にしたくなっちゃう」んですね。
- 横尾
- そう。
したくなっちゃう。
リアルな絵で、髪の毛一本一本描く人がいるでしょ?
あれは、そういうふうにやりたくて、
その人の考えで描いてるんですよ。
すると、そういう技術がついていくんです。
あの細かい髪の毛一本一本、
したくなければ描けないのよね。
- 糸井
- ははぁ‥‥。
- 横尾
- だからね、ぜんぶが「考え」だと思う。
- 糸井
- たとえば美大で
「コップに入った水」を描いたりする練習も、
あれは「どうしたいか」という考えを
学んでるんですね。
- 横尾
- うん。
そうでないと描けないもん。
- 糸井
- そうか。
ああ、そうか。
- 横尾
- そう考えていくとさ、
「才能っていったいなんだ」
ということになるよね。
- 糸井
- 下手なままの人もいるし、
どんどんうまくなってく人もいます。
- 横尾
- それを左右するのも、
自分の考えたことを自分で実現するかどうかの
勇気の問題なんじゃないかな。
勇気があればどんどんいけちゃう。
- 糸井
- これ‥‥聞いたら泣いちゃう人がいますよ。
- 横尾
- そうかね。
- 糸井
- ほんとうにそのちがいだけなんだなぁ。
- 横尾
- そうなんだよ。
- (水曜日につづきます)
2018-02-26-MON
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN