養老孟司×池谷裕二 定義=「生きている」

同じ東京大学で解剖学と薬学を追究し、
それぞれ「脳」を研究してきた
養老孟司さんと池谷裕二さん。
おふたりはいつからかつきまといはじめた
ある思いを拭いきれないでいます。
2019年5月15日に「ほぼ日」から発行する絵本
『生きているのはなぜだろう。』を前に話す全14回。
途中で質問をはさむのは、ほぼ日の担当、菅野です。
生きものの定義は‥‥そうです、「生きていること」!

第5回時間空間から逃れられない。

養老言葉には時間がない。
けれども、耳という器官は、
時間を含んでいるでしょう?
「瞬間の音」というものは、存在しませんからね。

池谷聞くという行為に、
「鼓膜の振動」が利用されているという時点で、
時間を織り込み済みのものとしています。

──そうですね、
耳はいつも時間とともにあります。

養老聴覚と運動は、
時間がないと成立しません。
一方、視覚は止めることができるんです。

池谷ええ、そうですね。

養老視覚は瞬間かつ永遠に止めることができます。

──えーっと、目はとめることができる? 
時間と関係ないということですか?

養老障害物競争で跳んでる馬の写真を撮ったら、
馬が止まってませんか?

──止まって‥‥ます。

養老映画は動くから騙されるんですが、
あれだって1秒に何コマという静止画です。
だから、基本的には視覚は止まってるんですね。

──止まったものを連続で見ているのが、視覚。

養老ところが、言葉は、
視覚と聴覚の両方を
まったく同じに使うんですよ。

──文字と音とを。

養老カントは「時空」を自明の概念(アプリオリ)と
言ったんです。
人間は、時間と空間でものを認識する。
カントによればそれが前提。

言葉というものは
目と耳が共通でないといけないから、つまり、
「目が耳に対して説明する、
耳が目に対して説明する」
ということなんじゃないかなと
ぼくは思ってます。

──耳と目で言葉を認識するから、
「時間と空間」が大前提。

養老カントは哲学者ですから、
言葉しか使っていません。
言葉を前提にして「時間」と「空間」にたどりついた。
だからこそカントはそんなふうに言ったんだと、
ぼくは勝手に解釈しています。

池谷極論を言うと、
もともと時間と空間があったんじゃなくて、
人間が目と耳を発達させたから、
時間と空間というものが生まれた、
という言い方のほうが正しいです。

養老ぼくは完全にそう思ってます。

──目と耳のセンサーで認識することが
「時間と空間」という考え方を生んだ‥‥。

池谷ほかのセンサーを使ったら、
別の軸ができたはずですよ。

養老人間以外の動物は、脳が小さいので、
耳は耳、目は目、
それぞれ別々に処理してると思います。
両方をくっつけていない。
人間だけがくっつけちゃったんです。

つまりね、
人は目と耳を折り合わせたんですよ。
それを脳の中の
「連合野」と呼んだんですけれどもね。

──れんごうや。
習ったような憶えがあります。

池谷視覚と聴覚のように
異なる情報を連合させる場所です。

養老目から入った情報は後頭葉に入り、
耳から入った情報は横へ入ります。
脳が大きい人間は、その両方がぶつかります。
波が広がるようにぶつかる。
その波のなかで処理されることが、
目から来ようが、耳から来ようが、
まったく同じだよ、
というのが「言葉」なんです。

人間は言葉を扱うようになって、
さらに言葉をほかの誰かに
教えなきゃいけなくなった。

池谷しかも、文字なんて
1万年前はありませんでした。
人類の歴史のうち、かなりの長い時間は
文字なしで生きてきたわけです。
文字は、かなり不自然なツールですよね。

養老そう。

──つまり人間は、
時間と空間から抜けられない。
言葉を発明したおかげで、
もっと抜けられなくなってしまった。

池谷記憶も時間が必須です。

理論的に時間がほんとうに存在するかは別として、
でも「なぜ私たちの心は時間を感じるか」というと、
それは、記憶があるからですよね。

以前の情報が記憶されているからこそ、
世界の変化に気づくことができる。
昨日ここにあったものが今日なくなっていたら、
前後で照合することで、変化に気づくわけです。
海馬が損傷した人は、記憶ができなくなると同時に
時間の経過がわからなくなります。

養老そういえばね、ぼく、
一過性全健忘になったことあるんですよ。

──一時的に記憶が失われる、
というやつですか。

池谷そんなご経験があるんですか。

養老あるんです。
スキー場のゲレンデにいるときに、
どうやらなっちゃったらしいです。
そのとき、時間がどんなふうに流れていたかを
お話ししましょう。

ほぼ日から、『かないくん』以来、
5年ぶりの絵本。
生きているのは
なぜ
だろう。

作 池谷裕二 

東京大学薬学部教授 薬学博士
『進化しすぎた脳』『海馬』

絵 田島光二 

コンセプトアーティスト
『ブレードランナー2049』『ヴェノム』

この本には、答えがあります。

『生きているのはなぜだろう。』を
学校の理科の先生にプレゼントします。

『生きているのはなぜだろう。』は科学の分野から
人が生きている理由を示そうとする本です。
絵本の形をとり、本文はふりがなつきですが、
子どもたちだけに向けた本にはしあがっておりません。
巻末に池谷裕二さんによる
2ページ半の解説もついておりますが、
この内容を理解するためには、雑談やおしゃべりを含めた
大人の助けが必要になることもあろうと思います。

そこで、小・中・高校の理科系の先生がたに、
この本を抽選でさしあげたく思っております。
当選は20名さまです。
ご希望の方は、下記の案内のとおり、
メールでお申し込みください。
当選の方には5月14日までにメールでお知らせします。

※当選した本のお送り先は学校宛とさせていただきます。
※同じ学校の方が重なって応募された場合、
ひとつを当選とさせていただきます。
※メール本文にお名前や住所を書く必要はありません。

メールの件名 生きているのはなぜだろう。理科の先生応募
メールの宛先 present@1101.com
メール本文 学校名
応募締切 2019年5月12日(日)24:00

当選の方にはほぼ日から
住所をおうかがいするメールを差し上げます。
落選のご連絡はいたしません。

『生きているのはなぜだろう。』を
授業で教材として使用したり、
生徒さんとのおしゃべりで
どんな話をしたのかなど、
お聞かせいただければとてもうれしいです。
ご応募お待ちしています。

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