同じ東京大学で解剖学と薬学を追究し、
それぞれ「脳」を研究してきた
養老孟司さんと池谷裕二さん。
おふたりはいつからかつきまといはじめた
ある思いを拭いきれないでいます。
2019年5月15日に「ほぼ日」から発行する絵本
『生きているのはなぜだろう。』を前に話す全14回。
途中で質問をはさむのは、ほぼ日の担当、菅野です。
生きものの定義は‥‥そうです、「生きていること」!
第9回大人になるということは。
──池谷先生の『海馬』に、
移動すると空間刺激によって頭がよくなると、
書いてあった記憶があります。
一方、養老先生は参勤交代で、
ときどきは地方と都会を移動して
人を入れ替えたほうがいいとおっしゃってました。
養老そりゃそうですよ。
都会の環境は異常だと思いますから。
池谷都会をつくるのは人間です。
人間の定義でつくってる。
養老
そうです。
意識が都会をつくる。
そうするとなにがまずいかっていうと、
無意味なものがまったくないことです。
山へ行くと、すぐわかる。
石ころがある。
モグラが穴掘ってる。草生えてる。
それ、意味わかんないでしょ?
けれども、人間が本来いた世界は、
そっちなんですよ、山なんです。
池谷山には、人間の好きな「ストーリー」が
ないですね。だいぶ無秩序です。
養老この「ほぼ日」の事務所は、
置いてあるものがすべてわかるでしょう?
それをみなさん「安心安全」と言ってるんですよ。
──この事務所は秩序であり、
ストーリーですね。
養老都会の地面は、同じ硬さで、平らです。
「なんでこんなとこ歩いてるんだよ」って、
ぼくはいつも文句言ってる。
池谷
だって歩きやすいから、ということですね。
山は、訓練されてないと転んじゃいます。
養老明るさもそうでしょ。
みんな人工照明の下に一日中います。
小さい窓の建物にいたら、
時間の経過なんてまったくわかりません。
我々は感覚の入力を
シャットアウトしてるんですよ。
だいいち、都会の建物って、
「さわるな」って言ってるでしょ?
──建物が、ですか。
養老ぼくは鎌倉育ちなんで、
お寺の欄干で走りまわって、
坊さんによく怒られたんですけどもね。
お寺は木でできてるでしょ。
だからふつうにさわれます。
でも、都会の建物は拒否してますよ。
うちっぱなしのコンクリートなんて、
日が当たるとあっついし、冬だと冷たい。
金属の手すりなんて、
夏はやけどするし、
冬の北海道だったら手がくっついちゃいます。
まったくなに考えてるんだろう?
近代文明って、そんなふうに
感覚を拒否してしまってるんじゃない?
池谷そうですね。
定常であることが資産であると考えてます。
養老
脳味噌、つまり意識は、
結局それがいちばん好きなんですよねぇ。
池谷住みやすさという点では
立地の恒常性を保つことは、
大切なことでもあります。
養老家のなかだけならいいんですよ。
都会って、全体的にそうしちゃうでしょう。
地面が嫌いだからって、ぜんぶ舗装しちゃう。
池谷都会に土の道路なんて、もうないですね。
養老あれは、車のためじゃないんですよ。
みなさんいろいろ理屈は言うけど、
ただただ「自然そのまま」は気に入らないんです。
例えば、草がそうでしょ。
勝手に生えると雑草。自分が植えたらOK。
──そうですね。
雑草という草はないけど‥‥。
養老雑草の定義は簡単です。
「こんなもの植えた覚えがない」のが雑草。
池谷自分本位ですね。
──自分本位の結果が、こうなってる。
養老
世界が狭くなっちゃってる。
ぼくは、それはまずいという意見です。
子どもはやっぱり、
意味のないものに囲まれて暮らさないといけない。
そこから、徐々に意味を発見していくし、
もしかしたら意味は
永久に発見できなくていいんです。
──もしかして、子どものときは、
当然のようにわかってたことだったのかもしれない、
って思うんですよね。
池谷なにを?
──『生きているのはなぜだろう。』のことです。
子どものころは無秩序が身についていたから、
ほんとうは
「宇宙で起こっていることは自分にも起こっている」
ということは、わかっていた。
でもいまは、意識のなかに暮らすようになって、
わざわざ言われないと、わかんなくなっちゃった。
だからいまこの本を読んで
あらためてびっくりしてるような気がします。
池谷なるほど。
再発見みたいなことかもしれない。
自分たちが宇宙からつながっているなんて、
意識しないようにすることが、
もしかしたら「成長」かもしれないですね。
そんなところでいちいちつまずいてたら、
今日の晩飯もつくれないから。
──そうですね。
でも、ほんとうはそうじゃなくて‥‥。
養老特に、仕事してると、
そういうことが
わからなくなるんですよ。
池谷思考停止しないといけない。
麻痺させないと、日常生活はむずかしい。
──そうですね。
池谷だから、この本はある種、
原点回帰みたいなことかもしれないですね。
養老ぼくは、若いときによく思ってましたよ。
大学で働いてて、
解剖学や学問について
「〇〇とはなんだ」と考え出すと、
仕事の邪魔になってしまうんです。
──たしかに、解剖をやっていて
「解剖ってなんだろう」
と思うと、手が止まってしまいますね。
池谷でも、考えてしまいますよ。
「科学っていうけど、なんじゃそりゃ」
みたいなことは。
ほぼ日から、『かないくん』以来、
5年ぶりの絵本。生きているのは
なぜ
だろう。
この本には、答えがあります。
『生きているのはなぜだろう。』を
学校の理科の先生にプレゼントします。
『生きているのはなぜだろう。』は科学の分野から
人が生きている理由を示そうとする本です。
絵本の形をとり、本文はふりがなつきですが、
子どもたちだけに向けた本にはしあがっておりません。
巻末に池谷裕二さんによる
2ページ半の解説もついておりますが、
この内容を理解するためには、雑談やおしゃべりを含めた
大人の助けが必要になることもあろうと思います。
そこで、小・中・高校の理科系の先生がたに、
この本を抽選でさしあげたく思っております。
当選は20名さまです。
ご希望の方は、下記の案内のとおり、
メールでお申し込みください。
当選の方には5月14日までにメールでお知らせします。
※当選した本のお送り先は学校宛とさせていただきます。
※同じ学校の方が重なって応募された場合、
ひとつを当選とさせていただきます。
※メール本文にお名前や住所を書く必要はありません。
メールの件名 | 生きているのはなぜだろう。理科の先生応募 |
---|---|
メールの宛先 | present@1101.com |
メール本文 | 学校名 |
応募締切 | 2019年5月12日(日)24:00 |
当選の方にはほぼ日から
住所をおうかがいするメールを差し上げます。
落選のご連絡はいたしません。
『生きているのはなぜだろう。』を
授業で教材として使用したり、
生徒さんとのおしゃべりで
どんな話をしたのかなど、
お聞かせいただければとてもうれしいです。
ご応募お待ちしています。