- ──
- 2006年に開催された
「スーパーエッシャー展」の図録を拝見して、
自分の「エッシャー」のイメージが、
なんと一面的だったのかと、思わされました。
- 荒木
- そうですか。
- ──
- 階段や滝が永久に循環していたり、
右手が左手を、左手が右手を描いていたり、
そういう「だまし絵」のような作品だけを、
エッシャーだと思っていたんです。
- 荒木
- そうじゃない作品も、たくさんありますね。
- ──
- 荒木先生の専門でらっしゃる、
「敷き詰め」(テセレーション)の作品も、
そのひとつでしょうし‥‥。
▲エッシャーによる平面の正則分割の作品、《平面の正則分割77(爬虫類)》。
- 荒木
- ええ。
▲エッシャーによる平面の正則分割の作品、《8つの頭》。
- ──
- つまり、エッシャーの作品のベースには、
「数学」があったと知って、
そのことに、すごく興味を惹かれました。
有名なことなのかもしれないんですけど、
ぜんぜん知らなかったので。
- 荒木
- おもしろい人なんです。
- ──
- なので、そのあたり、
ぜひ詳しくお聞かせいただきたいのですが、
まず、荒木先生が、エッシャーに
興味を持ったきっかけを、教えてください。
- 荒木
- はい、高校生のときに、
『ゲーデル、エッシャー、バッハ』という、
超分厚くて超難解な本に出会ったんです。
内容は、その名のとおり、
数学者のゲーデル、画家のエッシャー、
音楽家のバッハの話がベースなんですけど、
その話をネタに、
禅や人工知能にまで広がっていく本でした。
- ──
- えっと、その3人に何か共通することでも?
- 荒木
- ええ、一見、数学者と画家と音楽家って、
何の関係があるんだという感じですよね。
たとえば、ゲーデルという人は、
論理学の数学者なんですが、
数学自体をメタ的に、
高みから俯瞰で捉えようとしていました。
- ──
- おお。
- 荒木
- 他方で、エッシャーは、
この世界の外側には何があるんだろうと、
絵画‥‥彼の場合は版画によって、
その問いかけに答えようとしていまして。
- ──
- はー‥‥。
- 荒木
- おおざっぱにいうと、3人とも、
問い立てが常に「一段上」にあるんです。
ただ単に数学を掘り下げたり、
絵を描いたり、
音楽を作曲したりしただけじゃなくって、
数学自体が、絵自体が、音楽自体が、
その「外側」から見たら、
どんなかたちをしているんだろう、
どんなふうに見えるんだろうって、
考えていた人たちなんです。
- ──
- 宇宙の果ての、その先は‥‥みたいな?
- 荒木
- まさにそうです。
- ──
- たしかに、宇宙と言えば
「調和」という言葉が浮かびますけど、
調和と言えば、音楽ですしね。
- 荒木
- ええ、バッハにしても、
音楽というものの「美しさ」について
何だろうと考え、
自分なりの理論を構築したわけですが、
彼の理論を読み解くと、
エッシャーが絵画でやっていたことと、
大きく共通していたりするんです。
- ──
- 聞きかじりの知識ですけど、
音楽の分野の「対位法」という技法も、
数学的だったりしますよね。
- 荒木
- バッハがよく活用したカノンという対位法では、
旋律を上下転回させたり、
左右を逆にさせたりするんですね。
そして、エッシャーの
「敷き詰め」(テセレーション)の場合も、
まさに
タイルを上下左右にひっくり返して並べて
パターンをつくるんです。
- ──
- わあ、同じだ。
- 荒木
- エッシャーは、そういう絵を描きながら、
敷き詰めた先にはいったい何があるのか、
そのことを、ずっと考えていたんですよ。
- ──
- で、先生は、そういうことについて
難しく書いた本を高校時代に読破したと。
- 荒木
- いや、誰も読めないってほど難解なので、
ぜんぶわかったわけじゃなく、
自分なりに解釈して、
その「続き」が気になったと言いますか。
いまの道に進むきっかけをもらった、
そういう一冊なんです。
なにより、読んでておもしろかったし。
- ──
- それは、どんなところが?
- 荒木
- ひとつには、
3人が考えていたこと、やってたことは、
とっかかりやすく、
一見、どんどん突き進めそうなのに、
いきなり、
途轍もなく予測不能な崖が現れるんです。
- ──
- それは、エッシャーの絵についても?
- 荒木
- そうです。エッシャーの絵は、
「部分」は完全に成立してるんだけど、
一段高い場所から見たら、
まったく想定しなかった全体像が、
突如、現れてくるじゃないですか。
- ──
- ああー‥‥、たしかに。
永久に循環する階段や滝を描いた作品も、
一歩引いて見たら、
急に、理解不能な風景になりますもんね。
- 荒木
- そのために、エッシャーの作品は
「どこから描き出したのかわからない」
と、よく言われるんです。
たとえば、この絵は、
数学的には「すべり鏡映」と言うんです。
▲《騎手》
- ──
- 赤と灰色に色分けされた「馬と騎手」が、
中央のところで、
下から順に、左向き、右向き、左向きと、
隙間も重なりもなく並べられています。
- 荒木
- はい、モチーフだけを見ると
左向きと右向きで鏡写しの関係なのですが、
鏡となる線は出てこない、
ちょっと不思議なパターンなんです。
- ──
- たしかにこの絵も、全体的には、
ちょっと目眩を覚えるような感覚ですね。
荒木先生は、こういうところに
「突如、出現する予測不能な崖」を見る。
- 荒木
- そう。ちなみに、このようにして、
対称性に基づいて、
二次元の平面上に敷き詰められるパターンは
「17種類」あると証明されてます。
ポリアという数学者が、
図版つきの論文に書いたんですけど、
その図版を見たエッシャーは、
「でも、待てよ。自分なりに考えた場合には、
もうちょっと場合わけできるんじゃないか」
ということを思い立ったんです。
- ──
- へぇ‥‥。場合わけ。
- 荒木
- つまり、数学者の都合ではなく、
エッシャーが絵描きの都合で考えた場合には、
「26種類あるけど」と言ったんです。
- ──
- 「17種類」は単に数学者の都合だと。
- 荒木
- で、エッシャーとは別に
同じことを調べた数学者がいて、
あとで結果をたしかめてみたら、
ほぼ、合っていたんです。
- ──
- エッシャーは数学者じゃないんだけど、
絵描きとして使えるタイルの分類問題を設定して
タイルの分類に関して、
ほぼ「答え」にたどり着いていた?
- 荒木
- そうなんです。
なにせ、エッシャーは算数が超苦手で。
- ──
- おもしろい人‥‥(笑)。
- 荒木
- どこまでいけば、
絵画的に分類し尽くせるのかということに、
数学者じゃないから
証明による「確信」は持ちづらかったと
思うんですが、
とにかく、ひたすらにスケッチしていって、
手で「場合わけ」をしていって‥‥。
- ──
- はー‥‥。
コツコツ、ひとつずつ確かめることで。
- 荒木
- そう、絵を描きながら、
まったく思いもよらないパターンが、
いきなり目の前に現れてくる‥‥
みたいな、そんな感覚を覚えながら、
分類していったんだと、思うんです。
- ──
- で、あの、そもそものお話ですけど
そういうようなことを通じて、
エッシャーさんは
何をしたかったのでしょうか?
- 荒木
- 無限を描きたかったんです。
- ──
- 無限を。‥‥絵で?
- 荒木
- はい。
▲トップの絵
《眼》 1946年 All M.C. Escher works copyright © The M.C. Escher Company B.V. - Baarn-Holland. All rights reserved. www.mcescher.com
※敷き詰め‥‥
あるひとつの図形を動かし、隙間も重なりもなく並べること。
エッシャーは一連の作品を「平面の正則分割」と呼んでいる。