- ──
- 小学校とか中学校の美術の教科書で
何を覚えてるか聞かれたら、
エッシャーさんの絵を挙げる人って、
多いと思うんです。
- 荒木
- ええ。
- ──
- 子どもがおもしろがりそうな絵だし、
ファンといいますか、
一般的な人気も高いと思うんですけど、
エッシャーさんの
美術界における評価とか立ち位置って、
どんな感じなんでしょうか。
- 荒木
- エッシャーと同時代やそれ以前で、
比較できるような絵描きは、あまりいません。
そして、評価という意味では、
エッシャーは、
長く、いわゆる美術業界の人たちからは、
評価されてこなかったんです。
- ──
- え、そうなんですか。
というか、なんとなくそんな予感がして。
- 荒木
- ただ、50歳くらいのときに、
「LIFE」や「TIME」 などの有名な週刊誌に
取り上げられ、
世界的に彼のブームが巻き起こりまして、
ようやく、
美術界からも注目されるようになります。
- ──
- へえ。
- 荒木
- エッシャーのはじめての大規模な展覧会も、
それからなんです。
- ──
- それは、なぜなんでしょう。
▲《メビウスの輪Ⅰ》1961年 All M.C. Escher works copyright © The M.C. Escher Company B.V. - Baarn-Holland. All rights reserved. www.mcescher.com
- 荒木
- ひとつには、エッシャーという人は、
自分で積極的に画廊に売り込んだりとか、
自分の絵を評価してもらおうと、
はたらきかけたりとかしなかったんです。
実家が裕福だったりしたこともあって。
- ──
- なるほど。食うに困ってなかった、と。
好きなことを、ひたすら追求していた。
版画という手法の理由は、ありますか?
- 荒木
- と、言うと。
- ──
- えっと、つまり「版画」という手法は、
やろうと思えば、
いくらでも「複製」できるわけで‥‥。
- 荒木
- ああ、なるほど。どうなんでしょうね。
同じ時代に、同じ版画をやっていた
アンディ・ウォーホールは、
ご存知のように
若くして世界的な名声を得ていますし。
- ──
- そうか。
- 荒木
- ですので、手法の問題というよりも、
どちらかというと
エッシャーは、作風や着想から、
イラストレーターに近い感覚で、
時代に受け止められていたんだと思います。
- ──
- 日本でも『少年マガジン』だったか‥‥
1970年代に、
漫画雑誌の表紙にもなってますよね。
- 荒木
- はなから
美術界という枠組で勝負しようなんて、
思ってなかったんじゃないかな。
自分の問い立てしたことを、
自分なりの方法を見つけながら
突き詰めていく、
そういう人生だったから。
- ──
- アートを、版画を‥‥というより前に、
無限や宇宙を表現したい人だった。
- 荒木
- ですから、エッシャーの作品からは、
芸術家の情念みたいなものって、
あんまり、感じないと思うんですよ。
- ──
- あ、たしかに。
几帳面な性格だったんだろうなとか、
探究の痕跡はすごく感じますが、
芸術への衝動とか、
絵から迫ってくる気持ちみたいなものは、
そんなには感じないかも。
- 荒木
- ただ、ひとつひとつ、
描いてて気持ちよかったんだろうなと、
そういう雰囲気は感じますけど。
- ──
- 自分は、この作品とか好きです。
▲《昼と夜》 1938年 All M.C. Escher works copyright © The M.C. Escher Company B.V. - Baarn-Holland. All rights reserved. www.mcescher.com
- 荒木
- ああ、有名な作品ですね。
オランダの風景を描いたものですが、
干拓してできた農地が、
どんどん、上に上がって行くと‥‥。
- ──
- 鳥になっちゃう。
- 荒木
- 左が昼で、右が夜で。
- ──
- あらためてなんですが、
無限を追求していたエッシャーさんは、
「宇宙が好き」って、
はっきりと、おっしゃってたんですか。
- 荒木
- 一字一句そのように言ってるかどうか
わからないんですが、
銀河や惑星などの天体を好んで描いています。
単に天体に対してだけでなく、
「宇宙の外には何があるんだろう?」
という好奇心を、
ずっと持っていた人だったと思います。
- ──
- なるほど。
- 荒木
- 「死んだら自分はどうなるんだろう」
とか
「宇宙の果てのその先は、
いったい、どうなってるんだろう」
って、
誰しもいちどは考えるようなことを、
ずーっと考えていた人だったんです。
- ──
- いや、こういう作品を遺した
エッシャーの「死生観」というものを、
聞いてみたいなと思って。
- 荒木
- ああ、どうなんでしょうね‥‥死生観。
そういえば、エッシャーの父親が
96歳で亡くなった年に、
つくりはじめた作品があるんです。
- ──
- へえ。
- 荒木
- 幅が4メートルもある
「メタモルフォーゼⅡ」という作品は、
「metamorphose」という文字が、
市松模様になり、トカゲになり、
虫になり、魚になり、鳥になり‥‥で
最後にまた
「metamorphose」に戻るんです。
▲《メタモルフォーゼⅡ》(部分) 1939-1940年 All M.C. Escher works copyright © The M.C. Escher Company B.V. - Baarn-Holland. All rights reserved. www.mcescher.com
- ──
- おお。
- 荒木
- つまり、階段や滝の絵とはまた違った
循環する世界観を描いてるんです。
- ──
- 仏教でいう輪廻転生みたいな言葉が、
浮かんできますね。
- 荒木
- ああ、でも、そういう意味では、
最後の作品が「蛇」というんですが‥‥
これが、ちょっと異質なんです。
つまりエッシャーらしくないんです。
作品から、
どこか宗教っぽさを感じるんですよ。
▲《蛇》
- ──
- ああ‥‥本当だ。
たしかに、少し雰囲気が違いますね。
ようするに、エッシャーさんでさえ、
人生の最晩年に描いた絵には、
人としての「思い」が出てるのかな。
- 荒木
- 瞳の中にドクロのいる絵もあるなあ。
1946年の『眼』という作品です。
▲《眼》 1946年 All M.C. Escher works copyright © The M.C. Escher Company B.V. - Baarn-Holland. All rights reserved. www.mcescher.com
- ──
- ああ、こちらの絵も
一般的なエッシャーのイメージからは、
ちょっと離れてます。
- 荒木
- 第二次世界大戦直後の作品ですね。
ちなみに死生観とは関係ないですが、
ぼくが生まれる
「10月10日(とつきとおか)前」
にエッシャーが亡くなってるんです。
- ──
- えっ。
- 荒木
- つまり、エッシャーが亡くなったのは、
「1972年3月27日」なんです。
- ──
- ええ、はい。
- 荒木
- で、ぼくが生まれたのは
「1973年1月8日」なんですけど、
この日って、数えてみると、
エッシャーが亡くなった日から
ほぼほぼ
「10月10日(とつきとおか)あと」
なんですよね。
- ──
- 荒木先生‥‥
ホンモノの生まれ変わりじゃないですか。
- 荒木
- だから自分でも
「時間的に隙間も重なりもなく、
辻褄が合うなあ」って。
- ──
- こんなにも
エッシャーさんが大好きだってことの
辻褄が合う、と。
それも「敷き詰め的」に(笑)。
- 荒木
- そうなんです(笑)。