- ──
- 敷き詰め、テセレーションという学問には、
いわゆる「実用性」はあるんですか。
- 荒木
- そうですね、昔から人類は、
敷き詰めみたいなことを繰り返して
生きてきたとは言えますね。
1万年くらい前にレンガを発明して、
建物をつくりはじめます。
それで、街を守る高い壁を築いたり、
遠くまで飲み水を運ぶ水道を
つくったりできたのは、
敷き詰めの恩恵ですね。
- ──
- じゃあ、ピラミッドなんかも。
- 荒木
- まさにそうです。
局所的に敷き詰めていくルールに則って、
最終的には、
大きなものをつくる計画が成立するので。
- ──
- ああ、なるほど。
- 荒木
- ですから、実用的には、
局所と大域がうまくマッチするような、
そういう仕組みが、
人間にとってハッピーなんでしょうけど、
「でも、それだけでいいの?」
というのが、エッシャーの問いかけで。
- ──
- それで、
局所的には何気ない場面の描写なのに、
俯瞰して大域的に見ると、
想像を越えるような世界を描いていた。
- 荒木
- そういう世界、そういう構造には、
どういうパターンがあるんだろう、
「版画」という手法で、
どこまで表現できるんだろうって、
エッシャーは、
どんどん楽しくなっちゃったんだと、
思うんですよね。
- ──
- で、「やりきってやろう!」と。
- 荒木
- そう、
「誰も見たことのないものを
見て見たい!」
そういう気持ちが、
ぼくには、ビンビン伝わってきます。
▲《滝》1961年 All M.C. Escher works copyright © The M.C. Escher Company B.V. - Baarn-Holland. All rights reserved. www.mcescher.com
- ──
- 自分の不勉強のせいなんですが、
正直、エッシャーさんが
そういう人だったということは、
まったく知りませんでした。
- 荒木
- いわゆる「だまし絵」みたいな作品が、
どうしても有名ですからね。
でも、「どうやって驚かせてやろうか」
みたいな気持ちって、
そんなには、なかった気がするんです。
- ──
- 「エッシャーの気持ちになってみたら」
で考えると。
- 荒木
- そう、本人は別に
みんなを驚かしたくて描いたわけじゃ、
なかったというか。
▲《対照 秩序と混沌》1950年 All M.C. Escher works copyright © The M.C. Escher Company B.V. - Baarn-Holland. All rights reserved. www.mcescher.com
- ──
- それより、好奇心の赴くままに‥‥。
- 荒木
- そうですね。
- ──
- 「無限は描けるだろうか」と。
- 荒木
- 無限として表現する他に、
彼の追求したもうひとつのテーマが、
「局所と大域」です。
- ──
- ミクロとマクロ。
- 荒木
- はい、局所を積み上げていって、
ピラミッドのような
わかりやすい構造をつくりあげることとは、
また違った大域性があるんじゃないか‥‥。
たとえば、
タイルがちょっとずつ曲がっていて、
敷き詰めていくとはじめにもどって、
閉じて完結する、みたいな。
▲《魚で覆われた球体》
- ──
- この立体作品は、
球面で魚の敷き詰めが完結しています。
「完結している」といえば、
階段の絵も、滝の絵も、そうですよね。
- 荒木
- 敷き詰め(テセレーション)を描く中で
見つけた発想を、
不可能図形などのテーマにも
展開していったのかもしれませんね。
- ──
- 宇宙と、人間の体内を往還する映像が
あるじゃないですか。
椅子で有名なイームズさんがつくった。
- 荒木
- 『Powers of Ten』ですね、はい。
- ──
- あれって、ミクロとマクロは相似形で、
ふたつの世界を、
行ったり来たりするムービーですけど。
- 荒木
- ええ、『Powers of Ten』では、
マクロとして
「観測可能な宇宙」と呼ばれる範囲までを
描いていますよね。
あれ、きっと、エッシャーだったら、
「観測できないその先」を
描こうとしたかもしれないなあと思います。
- ──
- なるほど。
- 荒木
- 宇宙の果てのその先まで行ったら
はじめにもどって、
実は閉じて完結していたみたいな。
- ──
- エッシャーさんは、そういう作品を
年がら年中、
毎日毎日、描いていたんでしょうか。
- 荒木
- 第二次世界大戦中は、
版画制作に集中できなかったようですが、
球面の「敷き詰め」を彫る作業に
没頭していたようです。
なんだかんだで、エッシャーはずっと
敷き詰め(テセレーション)を
やり続けていたんです。
- ──
- 敷き詰めとは、なんと底知れない‥‥。
エッシャーさんにとっては、
魔的な魅力があったと。荒木先生にも。
- 荒木
- そうなんです(笑)。
でも、エッシャー以前には
敷き詰めを、
そこまで探究した人はいなかったんです。
- ──
- どういうきっかけがあったのか‥‥。
- 荒木
- エッシャーは旅好きだったんですけど、
スペインへの旅行中に、
まるで無限に増殖するかのような
アルハンブラ宮殿の
ムーア人のモザイク文様を見たことが、
ひとつの契機になったそうです。
- ──
- ムーア人の、モザイク文様。
- 荒木
- まさにエッシャーの敷き詰めみたいな
タイル文様なんですが、
これを、じっくり描きうつしたんです。
- ──
- へええ。
- 荒木
- そして、
2度目にアルハンブラを訪れたあとに、
作風が変わってくるんです。
また、お兄さんが地質学者で、
結晶の構造とかに詳しかったんですよ。
- ──
- 結晶の構造? 雪とかの?
- 荒木
- とかの(笑)。
- ──
- ああいう模様がお好きな‥‥お家柄?
- 荒木
- 子どものころには、パンの上に、
ちぎったチーズを敷き詰めていく作業が、
大好きだったんだそうです。
- ──
- はあ、敷き詰まったら食べる‥‥(笑)。
- 荒木
- そのような環境や原体験があったところに、
アルハンブラ宮殿の模様に出会って
「わあ、これだ!」って思ったんでしょう。
「オレ、やっちゃっていいんだー!」って。
- ──
- それから数学の原理にも惹きつけられ、
数学者と交流して、
自らも数学を探究していったんですね。
▲《椅子に座っている自画像》1920年 All M.C. Escher works copyright © The M.C. Escher Company B.V. - Baarn-Holland. All rights reserved. www.mcescher.com
- 荒木
- そうです。
ただ、アルハンブラの文様を見たときは
「数学」というよりも、
自分自身の根源にかかわるような、
圧倒的なリアリティを感じたんだろうと、
思うんですけどね。
- ──
- なるほど。
- 荒木
- そもそも、エッシャーという人にとっては
文系と理系、美術とか数学という
カテゴリーなど、
簡単に横断できるようなものでしょうしね。
- ──
- カテゴリーって、本来なかったというか、
あとからつくったんですもんね、人が。
- 荒木
- ええ。
- ──
- レオナルド・ダ・ヴィンチという人も、
数学者、建築家、音楽家、芸術家‥‥と、
いろんな肩書を持ってますが、
ダ・ヴィンチ本人は、
自分の興味のあることをしていただけで。
- 荒木
- そう。エッシャーの場合は、
その道具として、
たまたま目の前に版画があったんですよ。
- ──
- じゃ、音楽で無限を表現したバッハや、
版画で無限を彫ったエッシャーさんと、
数学者として、
新しい敷き詰め(テセレーション)がないかなって
考えている荒木先生は、
同じ問題を、
違う道具で解いているのかもしれない。
- 荒木
- そうであったら、うれしいことです。