勝つって、こんなにうれしいんだな。

写真: 伊藤徹也

プロ野球のキャンプがはじまる2月、
今年も宮崎キャンプに行ってきました。
2年目のシーズンを迎える高橋由伸監督は、
去年のこの取材で糸井重里から
「新監督の失敗が見たいです」
と言われたことを憶えてらっしゃいました。
高橋由伸監督が去年一年、
必死で守り続けたこと。
そして、新しいシーズンに思うこと。
練習前のわずかな時間でしたが、
強い決意を感じることができました。
村田ヘッドコーチの話とともに
全3回でお届けします。

勝つって、こんなにうれしいんだな。

糸井
1年やってみて、いろんなことが
わかったんじゃないかと思いますけど、
ご自分に対して、褒めてあげたいところと、
「もうちょっとここはできたんじゃない?」
っていうところを、
それぞれ挙げるとしたらどうなりますか。
高橋
まぁ、とにかく、優勝できなかったこと、
結果が出なかったということ。
これが、もう、すべてだと思いますね。
個々の選手やコーチもプロですから、
当然、自分の成績に関しては
自分で責任を取らなくちゃいけない部分が
あるとは思いますけど、
勝敗に関しては最終的には
私が一番責任持たなくちゃいけないわけで。
結果的には2位でしたけれども、
首位から17.5ゲームという大差をつけられ、
クライマックスシリーズも
ファーストステージで負けてしまった。
そういった結果に対しては、
もうすべてが反省ですし、
ここから今年優勝するためには
ちょっとやそっとのことでは
なかなか難しいと思いますので、
去年の秋から若い選手を中心に鍛えて、
チームの底上げを図っています。
逆に、よくやったなと思うのは、まぁ、
「こういうふうにやろう」と
自分なりに決めたことを、
変えずに1年できたかなというところです。
糸井
2年目となる今年については、
かなり大きな補強もしましたし、
「バッテリーを中心にして
 試合を組み立てていく」という
具体的なテーマも掲げているようですね。
高橋
そうですね。新しい戦力も入ってきて、
勝つためには何が最善で、
何が近道なのかを分析して、
ひとつひとつ選んでいくんですが、
ただ、チームも選手も日々成長しますから、
チームの方針も頑なになることなく、
変わっていってもいいのかなと思います。
糸井
チームって、生き物ですからねぇ。
高橋
はい。選手の能力、チームの状況によって、
方針も戦略もどんどん変化していって
いいんじゃないかなと。
糸井
そういう意味では、高橋監督は、
変化を怖がらない人ですよね。
高橋
そうですね。勝っていればね、
変わらなくてもいいと思います。
ただ、日々、いろいろなものが変わっていくので、
同じものがいつも正しいとは思わないですし、
勝つことに最善を尽くすという部分では、
変わることも変わらないことも
どっちも間違いではないと思ってます。
糸井
今年のスローガンは「新化」。
「新しい」と「化ける」って、
ふたつとも変わるっていう文字ですよね。
高橋
そうですね(笑)。
いちおう、去年からの継続という意味で
「新」という文字は入れて。
あと、「化」の文字には、
「化学反応」という意味を込めました。
いまいる戦力と、新しく入って来た戦力が、
うまく化学反応してほしいと思って
この字を選んだんですけど。
糸井
してほしいですね、化学反応。
観客としても、やっぱり新しいチームを観たい。
高橋
はい。それには、やっぱり
選手が個々の力を高めていくこと。
とくに、シーズンがはじまるまでには
選手はひとりひとり不安の中で戦っています。
我々としては、なんとか選手にいい環境を準備して、
シーズンの終わりにひとりでも多くの選手が
「ああ、いい1年だったな」って
思えるようになってほしいですね。
糸井
あの、どんな選手にも、
いいときと悪いときがありますよね?
当然、選手自身も考え抜いてるんでしょうけど、
いいときと悪いときって、
高橋監督の考えでは、何がどう違うんですかね。
高橋
うーん、それは、本当に、悪くなると、
本当わかんなくなるんですよ。
糸井
あぁーー、そうなんですか。
高橋
だから、昔から「3年やって一人前」って
よくいわれますよね。
1年だけいい選手はよくいるんですが、
継続してできる選手はなかなかいない。
難しい世界なんですよね、やっぱり。
糸井
高橋監督は選手のときは、まあ、ケガは別にして
とても安定していたように思えますけど。
高橋
いや、もう毎年不安でしょうがなかったですよ。
「今年はホームラン打てるのかな」とか。
糸井
えっ? そうなんですか?
高橋
やっぱり不安になりますよね。
糸井
練習で打ってても、
柵越え連発しててもだめなんですか?
高橋
だめですね。プロ野球選手なんで、
練習はみんなできて当たり前。
やっぱり、試合のときにできるかどうか。
相手もプロ野球選手ですし。
ですから、自分が選手のときも、
「今年はできるだろうか」っていう
不安は毎年ありました。
糸井
たとえば、高橋由伸選手は、
「初球打ち」というのが代名詞でしたけど、
そういう積極的に見える選手も、
「打てるだろうか」という不安を抱えている。
高橋
ええ、そうですね。
あれは、不安だからこそ、という気持ちもあります。
糸井
勇気や積極性じゃなく?
高橋
逆に、自分が有利なうちに勝負したい、
という感覚もあると思います。
追い込まれたらやっぱりきついですし。
糸井
じゃあ、慎重さの表れとも言えるんですね。
高橋
はい。
糸井
そうなんですかー。
由伸選手が初球をパーンと弾き返したりすると、
もう悩み事なんかないかのように見えてましたよ。
高橋
いえ、不安で、悩み事ばっかりでしたよ(笑)。
糸井
じゃあ、それを乗り越えて打ったりすると、
もう、メチャクチャうれしいわけですか。
高橋
そうですね。やっぱり不安だから
練習しますし、準備もします。
それが結果として出るっていうのは、
ものすごくうれしいですよね。
糸井
その選手時代の不安や、
不安を乗り越えたときのうれしさが
まだ生々しく残っているうちに
監督になられたわけですから、
きっと選手のそういう心の動きが
高橋監督にはよくわかりますよね。
だからこそ、監督として、選手たちに
その「うれしさ」を味わわせてあげたい。
高橋
そうですね。味わってほしいです。
あと、そういうやって個々の選手が力を発揮して
チームが勝つと、今度は監督としての
うれしさにつながっていくんです。
だから、去年、開幕戦を勝ったとき、
「あ、監督って、勝つって、
 こんなにうれしいもんなんだ」って。
糸井
ああ、最初におっしゃいましたよね。
高橋
はい。当然、選手のときも、
勝てばうれしいんですけれども、
やっぱり自分の成績が大きいんです。
正直なところ、チームが勝っても、
自分が打ってなければ
その心配のほうが大きかったりします。
でも、去年、自分が監督になって、
もう、プレイしない立場になってはじめて、
「あぁ、勝つって、
 こんなにうれしいんだな」と思って。
糸井
勝つということの、純粋なうれしさなんですね。
高橋
そうなんです。
「なるほどな。監督って、こういうものなのか」
って思いました。
糸井
ちなみに、はじめて負けたときは
どういう感覚だったんですか?
ものすごく落ち込んだり?
高橋
去年は開幕から4連勝して、そのあと負けました。
そのときは、落ち込んだりせず、むしろ逆に、
「あ、負けるってこういうことか」っていう。
糸井
落ち着いて。
高橋
ええ。「ああ、こういうことか」って。
(つづきます)

2017-03-29 WED

村田ヘッドコーチにも訊きました。#02

紅白戦、オープン戦がはじまるころになると、
選手がオフに成長したかどうかはわかりますね。
スイングが力強くなっていたり、
ウェイトやって身体が大きくなっていたり。
反対に「ぜんぜん変わってねぇな」というのも(笑)。
やっぱり、秋のキャンプが終わってから、
自分がどれだけがんばれたか、でしょうね。
12月、1月をどう過ごすかというのは
選手の自由ですから、もう、意識の問題ですよね。
秋のキャンプまではこちらからも言えるんです。
ちょっとキツ目のメニューを組んでいって、
「お前、このくらいを続けていかんと、
 メシ食われへんよな?」っていうことは言える。
あとは、それを、ひとりのときに、
本人がやったのか、やってないのか。
アメリカ行ったり、ほかの球団の選手と練習したり、
基本的には選手の自由なんですけど、
ひとりのときに意識をもってやったかどうかは、
オープン戦で打ったり投げたりすればわかります。
去年よかった選手が悪くなる。
ずっと伸び悩んでいた選手が急によくなる。
そういう波はやっている選手にもぼくらにもわからない。
逆にいうと、それが怖いから、毎年練習するんじゃないですか。
たとえば、ぼくは斎藤雅樹の全盛期を知ってますけど、
選手のときは毎年「今年は勝てるかなあ」
って言ってましたからね。
ぼくからすれば「何を言うとるのや、お前」て(笑)。

村田真一(むらた・しんいち)

読売ジャイアンツ一軍ヘッドコーチ。
現役中はしぶとい打撃と献身的なリードで
ジャイアンツを支え続けた。
引退後は複数の監督のもとでコーチを務める。
解説者だった2年間(2004〜2005年)を除き、
1981年の入団以来、
現在までずっと巨人のユニフォームを着続けている。

開催決定

6月4日(日)東京ドーム
読売ジャイアンツvs
オリックス・バファローズ

4月7日(金)AM11:00
ほぼ日刊イトイ新聞にて
チケット申込受付開始

こちらのページから
申し込めるようになります。

高橋由伸(たかはし・よしのぶ)

1975年4月3日生まれ。千葉県出身。
桐蔭学園では甲子園に二度出場。
高校通算30本塁打を放つ。
複数のプロ球団から誘いを受けるも、慶應大学へ進学。
1年生からレギュラーを獲得する。
3年間の通算本塁打数23本は、
現在も六大学野球の最多本塁打記録である。
1997年、ドラフト1位で巨人に入団。
翌年デビューし、いきなり打率3割を記録する。
以来18年間、チームの中軸を担い続ける。
2015年、原監督の辞任後、
チームからの監督要請を受けるかたちで引退。
2016年から、第18代巨人軍監督としてチームを率いる。