1972年、スタッズ・ターケルという人が
『仕事!』という分厚い本を書いた。
植木職人、受付嬢、床屋、弁護士、セールスマン。
あらゆる「ふつうの」仕事についている、
無名の133人にインタビューした
「職業と人」の壮大な口述記録なんですけど、
ようするに、その「21世紀バージョン」のようなことを
やりたいなと思います。
ターケルさんの遺した偉業には遠く及ばないでしょうが、
ターケルさんの時代とおなじくらい、
「仕事の話」って、今もおもしろい気がして。
不定期連載、「ほぼ日」奥野が担当します。
スタッズ・ターケル『仕事!』とは
1972年に刊行された、スタッズ・ターケルによる
2段組、700ページにも及ぶ大著(邦訳版)。
植木職人、受付嬢、床屋、弁護士、セールスマン、
郵便配達員、溶接工、モデル、洗面所係‥‥。
登場する職種は115種類、
登場する人物は、133人。
この本は、たんなる「職業カタログ」ではない。
無名ではあるが
具体的な「実在の人物」にスポットを当てているため、
どんなに「ありふれた」職業にも
やりがいがあり、誇りがあり、不満があって
そして何より「仕事」とは
「ドラマ」に満ちたものだということがわかる。
「ウェイトレスをやるのって芸術よ。
バレリーナのようにも感じるわ。
たくさんのテーブルや椅子のあいだを
通るんだもの‥‥。
私がいつもやせたままでいるのはそんなせいね。
私流に椅子のあいだを通り抜ける。
誰もできやしないわ。
そよ風のように通り抜けるのよ。
もしフォークを落とすとするでしょ。
それをとるのにも格好があるのよ。
いかにきれいに私がそれをひろうかを
客は見てるわ。
私は舞台の上にいるのよ」
―ドロレス・デイント/ウェイトレス
(『仕事!』p375より)
石内都(いしうちみやこ)
現代日本を代表する写真家。
初期3部作『絶唱、横須賀ストーリー』
『APARTMENT』『連夜の街』で
街の空気、気配、記憶を捉え、
同い歳生まれの女性の手と足をクローズアップした
『1・9・4・7』以後
身体にのこる傷跡シリーズを撮り続ける。
2005年『Mother's 2000-2005 未来の刻印』で
ヴェネチア・ビエンナーレ日本代表。
2009年に発表した写真集『ひろしま』(集英社)、
写真展「ひろしま Strings of time」
(広島市現代美術館)では、
原爆で亡くなった人々の衣服を撮影。
衣服をまとっていた人々が
いまそこに在るように写し出したその作品群は
話題を呼んだ。
2014年、日本人で3人目となる
ハッセルブラッド国際写真賞を受賞し、
各方面で更なる注目を浴びている。
- ──
- 石内さんは
原爆で亡くなられた人たちの衣服や持ちもの、
実のお母さまの下着や化粧品など、
いわゆる「遺品」を多く撮影なさっています。
- 石内
- ええ。
- ──
- また『絹の夢』という作品集では
銘仙や繭、織物工場、製紙工場を撮影したり
「背守り」という「魔除け」が
背中に縫い取られた
古い子どもの着物の写真の展覧会をされたり、
近年では
衣服を撮っているイメージも強いですが‥‥。
- 石内
- はい。
- ──
- 石内さんの撮影した「服の写真」って、
すぐに、わかるんです。
- 石内
- 本当に?
- ──
- はい、カッコいいので。
- 石内
- それはもう、カッコよく撮ってるもん。
少しでもカッコよくって、
そう思って、一生懸命に撮っているの。
- ──
- ええ、こういう言いかたが適当かどうか
わからないのですが、
原爆でちぎれたワンピースや
古いつぎはぎの着物が
ファッション誌に載っていそうな感じで。
- 石内
- 私はね、「遺されたものたち」が‥‥
つまりね、
あの、3年前にもメキシコで
フリーダ・カーロの遺品を撮ってきたんだけど
とっても「おしゃれ」だった彼女が
今、もし帰ってきたら
「また着たい」って思ってくれるように、
そんなふうにカッコよく、撮ってきたの。
だから70年前の広島に生きていた女の子が
今、もし帰ってきても
「また、このワンピースを着たいわ」って
思えるように、カッコよく撮るんです。
Frida by Ishiuchi #2 © Ishiuchi Miyako
- ──
- 広島の原爆資料館の遺品の多くは
いわゆる透過光、
被写体の下から光を当てています。
- 石内
- あれは、ワンピースを置いて撮れるくらい
大きなライトボックスを
特別に、つくってもらったんです。
男性がふたり、トラックで運んでくれてね。
100万円くらいかかったみたいだけど。
- ──
- 相当な大きさってことですね。
- 石内
- 私、母の遺品を撮った『Mother’s』では
両面テープで
家のガラスの窓に母の下着を貼りつけて
撮影したんです。
でも、そのままだと庭が写っちゃうので
窓の外側に、
トレーシングペーパーを当てて撮ったら
「自然のライトボックス」になった。
©ノンデライコ2015
- ──
- ともに「遺品」を撮っている
『Mother’s』と『ひろしま』との間には
撮影方法にも、連続性が。
- 石内
- あの‥‥広島ってね、
毎年「新着の遺品」が入ってくるんです。
- ──
- 新着、と言いますと?
- 石内
- いまだに、新しい遺品が届くんですよ。
つまり、被爆した人の家族が
何十年も、大切に保管してきた遺品を、
資料館に寄贈してくるんです。
- ──
- そうなんですか。
- 石内
- 私も、そんなこと知らなくて、
最初の年に4回、広島で遺品を撮ったら
もうおしまいだと思ってた。
写真集もできたし、展覧会もやったしね。
- ──
- ええ。
- 石内
- でもね、遺品は毎年、増えていくんです。
だから、いまだに毎年、撮りに行ってる。
- ──
- つまり、ぜんぜん
過去のできごとじゃないってことですね。
集英社版の『ひろしま』のあとに
求龍堂から
大きな判型の『From ひろしま』という本が
出ていますが、そこに載っているのが‥‥。
- 石内
- そう、そっちに、新しい遺品をどんどんね。
「新しい遺品」っておかしいけど、
そういう事実って、知られてないんですよ。
- ──
- はい、知りませんでした。
- 石内
- 歴史は続いてるんです。ずっと、ね。
どれだけ時間が経っても、何も変わらない。
歴史は続いていくし、終わりがない。
- ──
- はい。
- 石内
- 私自身、そのことを知ったときは、
やっぱり、すごいショックを受けました。
- ──
- ええ、原爆の遺品が増えているだなんて、
思いもよりませんでした。
失くなりこそすれ、増えてるのか‥‥と。
- 石内
- でもね、いつも不思議だなあと思うのは、
女学生のブラウスだったり
セーラー服だったり‥‥
そういう、
私が「撮りたい」って思うような遺品が
新しく届くんです。
だから私は、毎年、つくりたくて、
広島での作品を、つくっているんですよ。
- ──
- 写真家としての「ライフワーク」ですね。
- 石内
- そう。
- ──
- 遺品というものは、どういうものですか?
- 石内
- 死って「何かをあとに遺すもの」ですよ。
で、あとに遺されたものって、
その人が生きていたときに使っていたもの。
- ──
- はい。
- 石内
- 死んで、肉体が、跡形もなく消滅しても
その人が身につけていた衣服や
使っていた道具は
ゆるぎなく存在している、不思議さ。
その不思議さを、撮っているんだと思う。
- ──
- たしかに、身内の遺品を眺めていると
何とも言えない、不思議な気分になります。
- 石内
- だって「着ていた人」はもういないのに、
服だけが残ってるの、変じゃない?
だから、つまりね‥‥そう、
私の母親ってね、無口な人だったんです。
- ──
- ええ。
- 石内
- 私との間に
言葉のコミュニケーションというものが
ほとんど成立しなかった。
反対に、
父親は、すごくおしゃべりだったんです。
- ──
- そうなんですか。
- 石内
- だから私は、父とばかりしゃべっていて、
母とはほとんどしゃべらなくて、
たまにしゃべっても、すれちがっちゃう。
そういう関係が、父が死ぬまで続いてた。
- ──
- あまりうまく行ってなかった、と?
- 石内
- そうだね、父が死ぬまでは。
どうしてうまく行かないのか
私、ずっとね、わかんなかったんだけど
父が死んでからの5年間で
やっと話せるかなってところまできたとき、
母は、死んでしまった。
- ──
- そうでしたか。
- 石内
- でもね、今ではね、ちょっとわかるのよね。
- ──
- と言うと?
- 石内
- 私が、生意気だった。
- ──
- そう思われますか。
- 石内
- 母を母とも思わないような、
こう‥‥今ごろ反省しつつあるんだけど、
「母の遺品を撮った」ことで、
母のことを
少しずつ理解できるようになったんです。
- ──
- それはどういう意味で、ですか?
- 石内
- 私は、自分の母とは
コミュニケーションできなかったから
口紅や下着たち、
母が遺したものと話すしかないなって。
そういう気持ちで、
今はいない母を想いながら撮ったのが
『Mother’s』なんです。
- ──
- お母さんが遺した下着や化粧品を撮る、
その行為を通じて、
お母さんのことを事後的に理解していったと。
- 石内
- フリーダ・カーロの派手な民族衣装や
高さの違うブーツ‥‥
ほら、フリーダは幼いころの病気の後遺症で
右と左の足の長さが違うんだけど、
それを補うための、
かかとの高さのちがうブーツとか、
彼女の遺品を撮ったときも「わかった」んだ。
- ──
- フリーダのことを、ですか?
- 石内
- 彼女の遺品を撮りながら、彼女の有名性や
彼女の生きてきた時代と女性性、
アートの歴史にとっても
人間的にも女性的にも貴重な人だったこと。
そういうことが、いっぺんにわかった。
- ──
- どうして、わかるんでしょうか?
- 石内
- 私は、「発見」してるからです。
私は、つねに、
何かを「発見」しながら写真を撮ってる。
- ──
- それは、遺品を撮るときは、とくに?
- 石内
- そうかもしれない。
- ──
- なぜですか?
- 石内
- 遺品って「物体」ではあるけど
ただの「もの」じゃあ、ないからだよ。
あくまで、過去、たしかに生きていた
誰かが遺したモノだから、
そこには、いろんな意味が刻まれてる。
- ──
- フリーダ・カーロのブーツの写真には
フリーダ・カーロという人の「ある一面」が
たしかに、写っているわけですものね。
- 石内
- 今はもういないけど、
かつて、たしかに生きていた人の痕跡が
くっきりと残されている。
そんな不思議なものだと思う、遺品って。
Frida by Ishiuchi #34 © Ishiuchi Miyako
<続きます>
2015-08-07-FRI
フリーダ・カーロの遺品を撮る
石内都さんの、ドキュメンタリー映画。
©ノンデライコ2015
かかとの高さのちがう、ピンクのブーツ。
色鮮やかな民族衣装のドレス。
じつに50年ぶり(!)に封印を解かれた
画家フリーダ・カーロの「遺品」の数々。
写真家・石内都さんが
それら「遺品」をカメラに収める姿を追った
ドキュメンタリーが、公開されます。
恋愛沙汰の多かったフリーダ・カーロの
「コルセット」は
ある本では「肉塊のように撮られていた」。
その、同じコルセットを
石内さんは、どのように撮影したのか。
フリーダ・カーロが好きな人、
石内都さんのファン、どちらの人にとっても
見応えのある映画だと思いました。
『フリーダ・カーロの遺品
—石内都、織るように』
2015年8月8日(土)より
シアター・イメージフォーラムにて公開。
以降、各地の映画館で公開予定。
上映情報はじめ映画のホームページは、
こちら。