こんにちは、ほぼ日刊イトイ新聞の奥野です。
2010年12月ですから、もう1年4ヶ月くらい前、
まだ東北の震災が起こる以前のこと。
ある若い読者から、「ほぼ日」に宛てて
1通のメールが届きました。
京都大学に通う、志谷啓太さん。
当時、3回生(3年生)で、年齢は22歳。
真冬の深夜に届いた、
読むのにちょっぴり長めのメールは
以下のように、はじまります。
はじめまして。
現在、大学3回生で、就職活動中の者です。
突然ですが
「糸井さんが、就職活動中の僕を面接する」
というコンテンツを
やっていただけませんでしょうか。
といっても
糸井さんの事務所に入るためではなくて、
面接という堅い形式は残したまま、
これから社会に出て行こうとする学生の話を
糸井さんに、聞いてもらいたいのです。
糸井重里に、面接してほしい‥‥という内容。
しかも「糸井事務所に入るため」ではなく、
「話を聞いてほしい」とのこと。
そして、そのようすをコンテンツにする、と。
メールは、次のように続きます。
「なぜ、そんなお願いをしようと思ったのか」
志谷さんの「動機」の部分です。
今まで僕は、企業の就職面接で
「大切にしてきたもの」をうまく伝えられず、
そして、人事の人も
「別に聞きたくなさそうにしている」ことに
ずっと悩んできました。
「大切にしてきたもの」を言葉にしても
相手にとって必要ないものとして扱われてしまう。
すると、僕の「大切にしてきたもの」が
本当に大切なのかどうか、わからなくなりました。
しだいに、僕の「大切にしてきたもの」は
見かけがいいだけの、ただの言葉になりました。
そして、その言葉に対して
合否の(多くは「否」の)結果がつけられるのを
つらいと感じるようになりました。
そんなときに
偶然『はたらきたい。』を読みました。
『はたらきたい。』というのは
もう4年くらい前に、僕らがつくった本です。
人事のプロや「キャリア論」の大学教授など
就職問題の専門家だけでなく、
「矢沢永吉さん」や「みうらじゅんさん」にも
登場していただき、
たぶん、他の「就職本」とはちがう視点から
僕らなりの「はたらく」を考えた本。
すっきり明快な「解答」は書かれていませんが、
「読む人をむやみに悩ませず、
就職や仕事について、ゆたかに語りたい」
そういう思いで、つくられた本です。
全体を貫くのは
「あなたが大切にしてきたものは、何ですか?」
という問いかけ。
就職活動に悩んだ志谷さんは
そんな本を、偶然手にして読んだ。そして。
もしも、糸井さんが面接官だったら、
僕が大切にしてきたものを
聞いてくれるかもしれないと思ったんです。
つまり、志谷さんの動機は単純明快でした。
「自分が大切にしてきたものを
聞いてくれるかもしれない人に話したい」
という、それだけ。
でも、「それだけ」ならば
そのようすを「コンテンツにする」意味が‥‥
どこにあるんだろう?
この本を読み、僕は
「糸井さんが面接官だったら」という想像を
することができました。
そうすることで僕は、
「大切にしてきたもの」を精一杯伝えるための、
そして、相手にされないことも含め
それに対する「結果」を受け入れるための、
力の抜けた覚悟ができたんです。
たぶん、僕と同じ悩みを抱えた学生は、
日本中に、たくさんいます。
だから、面接のコンテンツを読むことで
その人たちにも
「もし、面接官が糸井さんだったら」
と想像してもらえたら、いいなと思ったんです。
そして、実際の面接の現場で
僕たち就活の学生に「嘘」を強いるような
見えない、大きな圧力に、
やわらかく、抗っていってほしいんです。
コンテンツの企図は、明確でした。
志谷さんの悩みそれ自体は
それほどユニークとは言えないと思いますし、
糸井に面接してもらうのは
ある意味で「自分の中での解決」でしょう。
でも、その「自己解決」を
「他の就職活動生と共有したい」という点に、
僕たちは興味を覚えました。
しかし、志谷さんからのメールに
いちばんに反応したのは、糸井重里でした。
深夜に届いた志谷さんメールを転送するかたちで、
さらなる深い時間に
こういうメールを「ほぼ日」社内に流したのです。
これ、やろう。
なんか、できるような気がする。
僕らのほうが試されているような企画に
なっちゃうかもしれないけど、
やったほうがいいと思いました。
こうして、志谷啓太という京都大学の学生を
糸井重里が「面接する」という
やったことのない企画が、動きはじめました。
派手でもないし、
大きなお金がかかることでもないですけど、
糸井が言うように、このコンテンツは
「ほぼ日」にとっても
チャレンジングなものになりそうだと
なんとなく思いました。
そこで、面接本番を迎える前に
編集担当となった僕とデザイン担当の岡村は
「志谷啓太」という学生が
どういう人なのか
実際に会って、確かめたいなと思いました。
メールのやりとりだけではわからない、
好きな音楽とか、住んでいる部屋の感じとか、
彼女はいるのかとか、
本棚にどんな本が並んでいるのかだとか‥‥
そういう「志谷さん本人」を知っておきたい。
あまりにも手がかりがなかったがゆえに
「保険」をかけておきたい、
そんな気持ちがあったのかもしれません。
ともかく、ふたりで京都へ向かいました。
2011年2月半ばのことです。
ひとつ、僕らが京都へ行く日までに
友だちでも、彼女でも、大学の先生でも、
お母さんでも、誰でもいいので
誰かに「推薦状」を書いてもらっておいてほしいと
志谷さんに、お願いをして。
‥‥あれから、1年とすこし。
この春、大学の4回生(4年生)を終えた
志谷くんは、
まだアルバイトの身ではありますが
りっぱに
「週5日、10時から19時」のフルタイムで
はたらいています。
はじめて会ったときの写真と見くらべると、
ちょっぴり太ったみたいですが、
考えかたや、目つきは、
良い意味で「おとな」になったような気がします。
本来ならば、こんなにも先延ばししようとは
思っていませんでしたが、
「面接」直後に震災が起きたこともあり、
発表のタイミングを逸したまま、時が過ぎました。
でも、僕ら3人は、
その後も、何度か東京で会ったりしました。
フェイスブックでもつながっているから
東京と京都で、
何かあれば、状況を報告しあいました。
そうするうちに僕らは、「志谷さん」じゃなく
「志谷くん」と呼ぶようになりました。
そして、志谷くんが
新しい一歩を踏み出そうとしている
この時期に、
ようやく、これまでのあいだのできごとを、
コンテンツにしたいと思います。
メールを出した2010年12月から、
糸井との「面接」を経て、
東日本大震災を経て、2012年の春まで。
ひとりの就活生の「1年4ヶ月」を
ちょっとした「どきゅめんたりー・たっち」で
お届けしたいと思います。
志谷くんも僕らも、
なんとなく「恥ずかしながら」の気持ちで。
よければ、どうぞお付き合いください。
‥‥あ、そうそう、
志谷くんが書いてもらったという「推薦状」は
京都へ向かう数日前、郵送で届きました。
書いてくれたのは、親友の京大生・柿添康大さん。
それは、このような内容のものでした。
<つづく>