── |
無名の若者としてアメリカに渡って、
オーディションを受けまくっていたときには
とうてい「順位」なんか
つかない位置にいたんだと思うんですが‥‥。
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ケント |
ええ。
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── |
どういう気持ちで、挑戦を続けてたんですか?
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ケント |
自分は誰よりもいいダンサーになれる
と信じて。
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── |
でも実際、そういうのって
自分自身でわかったりするものなんですか?
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ケント |
わかります。
自分と誰かを比べて
どちらが「いいダンサー」かというのは、
はっきりわかります。
彼が、ぼくより長けているところ、
ぼくのほうが、彼より長けているところ‥‥
逆にそこは、見えてないと。
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── |
じゃ、今のケントさんより上の人って?
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ケント |
すばらしいダンサーは、たくさんいます。
でもやはり、マイケル・ジャクソンです。
マイケル・ジャクソンには
どうやったって、絶対に及ばないです。
圧倒的な存在感、影響力、
パフォーマンス、すべてが唯一の存在です。
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── |
あの‥‥すごいのは重々承知で聞くのですが、
本当にそんなにすごいんですか?
おかしなこと聞いて、すみませんけど。
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ケント |
いや(笑)、すごいんですよ、本当に。
マイケルは、本当に、すごいです。
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── |
そのすごさを、語っていただけますか?
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ケント |
明日になりますけど。
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── |
あの、できれば今日中で、ひとつ‥‥(笑)。
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ケント |
オーケー、やってみます(笑)。
たとえば
「ポッピン」というダンスがあります。
そのジャンルを専門的にやってるダンサーが
マイケルより技術的に
ポッピンをうまく踊ることができたとしても、
やはり、マイケルとは比較になりません。
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── |
なぜですか?
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ケント |
マイケル・ジャクソンが踊ると
ポッピンという技術も
彼のオリジナルのダンスとして昇華され、
表現されてしまうからです。
そして、そのことはダンスについてだけでなく、
音楽、振り付け、
ファッション、演出、ビデオ、メッセージ‥‥など
すべてに関して同じことが言える。
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── |
はー‥‥。
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ケント |
さらに、マイケル・ジャクソンは
それらの要素を
ひとつの大きな「ピクチャー」として
想像をはるかに超えるレベルで
完成させることのできる
ショービジネス界、唯一の存在です。
ようするに
比較のできない存在なんです、彼は。
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── |
ははー‥‥。
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ケント |
マイケルのダンス、マイケルの歌声、
マイケルのファッション、
どれをとっても
彼を象徴する
ひとつの「言語(ランゲージ)」になっています。
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── |
たしかに「マイケル・ジャクソン」という存在は
だれもが
「あ、マイケル・ジャクソンだ」って認識できる
ひとつの「アイコン」ですよね。
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ケント |
そんなアーティストって、彼以外にいません。
唯一無二です。
黒人の音楽を
はじめて世界中に届けた人でもあると思うし。
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── |
そう思われますか。
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ケント |
たしかに、ジェームス・ブラウンもすごいし、
マービン・ゲイもすごいけど、
「黒人のなかのスター」だけじゃなく、
「世界中のスター」になったのは
マイケルがはじめてだったと思っています。
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── |
なるほど。
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ケント |
最初に「ゼロから1を作った」人。
だって、あの「スリラー」の振り付けを、
他の誰があんなふうに踊れます?
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── |
‥‥なるほど。
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ケント |
ジェフリー・ダニエルのバックスライドを
「ムーンウォーク」と名付けたのは
マイケル・ジャクソンだと言われていますけど、
「マイケルのムーンウォーク」に
なったからこそ、あれだけ有名になったんです。
だからそれは、マイケルのものなんです。
ぼくが、どれだけ上手にモノマネしたとしても。
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── |
ケントさんは、
そこまで憧れたマイケル・ジャクソンに
実際に会って
言葉を交わすことになるわけですけれど‥‥。
|
ケント |
はい。
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── |
どうでしたか?
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ケント |
‥‥半分は
「いま、目の前に立っているこの人が
ずっと追いかけてきた、
あのマイケル・ジャクソンなんだ」
という、
何だかヘンに冷静な自分がいたんです。
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── |
ええ、ええ。
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ケント |
もう半分は「辻褄があった」というか‥‥。
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── |
辻褄?
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ケント |
「だからオレ、日本にいるときから
おかしいって思われてたんだ!」
というか
「クレイジーに見られてたんだ!」って。
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── |
‥‥それは、どういう意味ですか?
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ケント |
つまり、そのことさえもが
いまこうして、この場所にたどりついて
彼と言葉を交わすための、
「道すじ」のように思えたんです。
自分が生まれてきた理由までもわかった‥‥
みたいな感じがしたというか。
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── |
運命的、というような?
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ケント |
運命の存在は、やはり感じましたね。
まわりを見渡しても
あのとき、マイケルのオーディションには
日本人の男なんて1人もいなかったし。
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── |
そのオーディションには、
5000人くらいの応募があったんですよね。
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ケント |
ええ。
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── |
最終的に何人に?
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ケント |
11人とか12人だったと思います。
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── |
他の人たちは‥‥。
|
ケント |
アメリカのトップでやってるダンサーが
ほとんどでした。
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── |
たしか、マイケルとマドンナ、
両方のオーディションに受かったのは、
ケントさんと
あとひとりだけなんですよね。
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ケント |
そう、ソフィアって女の子。
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── |
マイケルとは、具体的にどんなやりとりが?
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ケント |
いや、もう、本当に短かいものでした。
「はじめまして」と言って
まず彼が、手を差し延べてくれたんです。
|
|
── |
握手したんですか!
‥‥聞いてるこっちがドキドキしますね。
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ケント |
ぼく、右手に手袋をしてたんですけど、
脱げばよかったのに‥‥脱がずに握手しちゃって。
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── |
はー‥‥。
|
ケント |
そしたらマイケルが
「これから、ツアーに出かけるよ」って。
|
── |
ケントさんは?
|
ケント |
「Yes」とだけ‥‥。
|
── |
いやー‥‥、それだけ憧れつづけた
マイケル・ジャクソンに
本当に、会えるものなんですね‥‥。
しかも「見かけた」とかじゃなく、
「オーディションで自分のダンスを認められる」
という、最高のかたちで。
|
ケント |
マイケルは、その時点でもう十何年、
ツアーもやってなければ
オーディションもやってませんでしたから。
|
── |
その一瞬のタイミングに、
ケントさんが
世界でもトップレベルの実力を培っていた
というのも、思えば運命的です。
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ケント |
チャンスはここしかない、という気持ちでした。
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── |
数千人もオーディションを受けるとなると、
はじめのうちは
もう、たくさんのダンサーといっしょに
踊るわけですよね。
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ケント |
ええ。
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── |
そのなかで、
審査員の人たちの目に留まりつづけて、
最後には
マイケル本人に認められて‥‥というのは、
可能性としては
本当に「奇跡」に近いことですよね。
つまり、たとえ技術があったとしても
うまく審査員の目に留まらなくて
落ちてしまった人だって
たくさん、いたんだと思うんですよ。
|
ケント |
たぶん、そこを分けるのが
やはり「思い」や「こころ」だと思うんです。
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── |
そうか、ケントさんの場合は、
「ダンスで一流になってやる」というより、
むしろ‥‥。
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ケント |
「マイケルに、会いたい」(笑)。
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── |
その思いが、強烈だったんですね。
|
ケント |
やはり、ダンサーとしての心構えが
超一流であれば
おのずとダンスも超一流になれるだろうし、
そうすれば
あのマイケルにも会えるに違いないと
強く思っていたので。
だから、やはりまずはメンタルですね。
|
|
── |
なるほど。
|
ケント |
マイケル・ジャクソンに憧れる
ぼくという人間が
ここに、この世の中に存在してるんだっていうことを、
マイケルに、知ってほしかったんです。
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── |
いまのケントさんのお話に
そっくりなお話を、別のところで聞きました。
|
ケント |
あ、そうですか。
|
── |
カーレーサーの佐藤琢磨さんなんですけど、
彼も、いろんな事情で、
憧れつづけたカーレースの道に入れたのは、
20歳のときだったんですって。
で、26歳のときには、
F1のアメリカGPで第3位に入って
ミハエル・シューマッハといっしょに、
表彰台に上がっているんです。
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ケント |
すごい。
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── |
頂点に上り詰めるまでのスピードの速さも
似てるなと思ったんですが、
それよりも「おなじだ」と思ったのが、
琢磨さんの場合も
「ものすごく憧れた人」がいたんです。
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ケント |
誰ですか?
|
── |
アイルトン・セナです。
幼いころ、鈴鹿ではじめてセナの走りを見て
カーレーサーになりたいって思って、
チャンスが来るまで
ずっと強く、思いつづけてきたんだそうです。
|
ケント |
へぇー‥‥。
|
── |
だから、世界のトップを取る人というのは
尋常じゃない「憧れ力」というのか、
そういう強い思いを持ってるもんなんだなぁって、
おふたりのお話を聞いて、感じました。
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ケント |
ぼくの「憧れ力」は、ハンパないんで(笑)。
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── |
‥‥で、先ほどの話に戻ると
急きょ開催されたマイケルのオーディションに
合格はしたものの、
マドンナとのツアー契約が残っていて‥‥。
|
ケント |
マドンナに契約の解除を申し入れたのですが
認めてもらえませんでした。
|
── |
そうこうしているうちに
マイケルが亡くなってしまった‥‥んですよね。
|
ケント |
ええ、突然。
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── |
マイケルにダンスを認められたのに、
マイケルと同じステージに立つ‥‥という夢は、
かなわず。
|
ケント |
はい。
|
── |
2009年7月4日、
マドンナのステージで
マイケル・ジャクソンを踊る直前の緊張状態で
こころに浮かんだという言葉というのを
著書で読みましたが、
それがすごく、こころに残っています。
ひとつが、マイケル・ジャクソンが亡くなる
1週間前にお亡くなりになった
おじいちゃんへ向けた、
「おじいちゃん、ありがとう」であったと。
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ケント |
ええ。
|
── |
で、もうひとつが‥‥。
|
ケント |
「マイケル、どうかぼくに力をください」
|
── |
世界中が見ている大舞台を目の前にして
応援し続けてくれた
おじいちゃんへの感謝と
憧れ続けた
マイケル・ジャクソンへの言葉が
いっしょに出てきたというのが、なんか。
|
ケント |
そのときは、ふたりとも
亡くなってしまっていたんですけれどね。
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── |
おじいちゃんは、見ていてくれましたか?
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ケント |
ええ、きっと。
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── |
マイケルは、力を与えてくれましたか?
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ケント |
はい、間違いなく。そしてそれは、いまでも。 |
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