横尾忠則 アホになる修行の極意。 横尾忠則×糸井重里 対談
横尾忠則さんの新しい著書は
『アホになる修行』というタイトルの言葉集です。
アホになるとは、いったいどういう修行でしょうか。
ここ数年、横尾忠則さん主催の「合宿」で
夏の数日間をごいっしょしている糸井重里が、
改めてお話をうかがいました。
じつは横尾さんによれば、その合宿のテーマは、
「なにもしないことをする」というもので、
それはすなわち、アホになる修行の一環と考えられます。
82歳の横尾さんが最近元気になったという話題から、
人生のあみだくじ理論に至るまで、
一生をかけた修行の極意、うかがいます。


008 「この絵一体誰が描いたんや?」というような絵が描きたい。
糸井
元気になられたいま、
横尾さんが絵を描くペースは
どんな感じなんですか? 
横尾
毎日、筆は持ちたいと思います。
依頼されて描く仕事はぜんぜんないから、
そういう意味では、
開放的にできてると思います。
糸井
あの大きな自画像は、最近の作品ですよね。
あれも依頼されたのではなく?
横尾
あんなの誰も依頼しないですよ(笑)。
あれはね、同じ自画像を描くんだったら、
世界一大きいのを、と思って描いた。
糸井
かなり大きいですね。
横尾
自画像って、ふつうはもっと謙虚がちに、
小さいんですよ。
糸井
そうか(笑)。
横尾
だけど謙虚な自画像なんてつまんない。
描くんだったら、
大仏さんと同じくらい大きいのがいいと思ったの。
最初は自分の写真を見ながら
かなりリアルに描いたわけ。
リアルに描いたら、気持ち悪くなってきたので、
それにストロークをどんどん入れて壊していって。
糸井
へぇえ。
さっきの大谷選手と同じですね。
横尾
そうすると「絵」ができてきたんだけども、
それだけだったらおもしろくないんですよ。
抒情性がない。
糸井
抒情性ですか。
横尾さんから、そんなことはじめて聞いた。
横尾
だから首吊りを描いたわけ。
糸井
あぁ、あの縄。
横尾
あの首吊りが自分にとっての抒情性です。
あの発想がいったいどこから来たかというと、
西部劇なんですよ。
西部劇って、抒情的じゃないですか。
糸井
うん、うん。わかる。
横尾
ぼくにとっては、
あれを描いたことによって抒情性が入るんです。
そして右端に柱を描いた。
その柱を描く途中に、
首吊りの柱にしたいと思いついて、
「三角」をつくってさ。
糸井
端っこの柱‥‥。
つまり、そう言われないと、
柱とはわからないような分量の「茶色」ですね。
柱はあんなにちょびっとでいいんですか。
横尾
あの柱は太い柱なんだけど、
ちょこっと、部分しか見えてないの。
糸井
「見切れてる」わけですね。
横尾
三角の斜めを作ったのは、
処刑のイメージです。
ちょっと説明的でいやらしいけど、
入れてみようと思って。
糸井
縄との絡みで、
効果は出ますね。
横尾
柱を画面の下までストンと描きこむか、
ちょっと浮かすかでずいぶん悩んで、
結局は下まで描かないでやめたの。
糸井
あれは、窓でも木でもなく、
柱なんですよね?
横尾
うん、柱。
悩んだときは悩んだふうに描く。
これはね、文学の世界では
できないことだと思うんですよ。
糸井
できないですね。
文字で「木」と書いちゃったら、
木になっちゃいますから。
横尾
そうなんです。
糸井
しかも、柱であの分量は、ちょっと‥‥。
横尾
いや、最初は柱とも思ってないですよ。
糸井
えっ、そうなんですか(笑)。
横尾
最初、絵がシンメトリーだったから、
何かを置いて左右のバランスを崩したい、
という気持ちがあった。
左右を崩すのには、あそこに色を入れればいい。
そうこうしてるうちに、
抒情性を出したくて首吊りを描いた途端に、
それが首を吊るす柱に見えてきたんですよ。
糸井
「ゲルニカ」と同じく、
柱という構想は、最初はなかったんですね。
横尾
なかった。
ぼくが絵を導いているんじゃなくて、
絵がぼくを導いてるんですよ。
糸井
横尾さんの絵は、
「なぜこれがここにこんなふうに」
というようなものがまじるのも、
おもしろいんです。
横尾
何が絵に描かれるか、
ぼくもよくわかってないんです。
けれども、衝動としてそれは必然です。
後づけで言葉になって意味が出てくるんです。
糸井
最初にリアルに、
模写のように描いたのに比べて、
「壊すタッチ」はまた別の力が必要ですよね? 
横尾
模写は似るほうに描いてしまうけど、
似せるとつまらなくなって、
「絵」じゃなくなってイラストになる。
だから絵の具をぶっちゃけたように、
落書きするように壊していきます。
糸井
それは自然にやるんですか?
それとも、わざとむずかしいことを
やる感じでしょうか。
横尾
というよりもね、
自分に考える時間を与えちゃだめなんです。
だから短時間でスピーディーにやります。
この絵の場合、いったん描いたものを
30分足らずで壊しました。
糸井
へぇえ。
横尾
そうしないと、一筆一筆、
ここに筆を入れるべきかあっちへ入れるべきか、
考えちゃう。
考える余地を与えないように、
もう、格闘技ですよ。
糸井
しかもこの大きさですからね。
眼鏡かけてるんだかかけてないんだかも、
曖昧だし。
横尾
かけてたけれども、
どんどん消していきました。
最初はちゃんとした眼鏡だったんだけどね。
糸井
そうなんですか、消していってこうなった‥‥。
横尾
最初から消した絵は、
ぼくには描けないんですよ。
(明日につづきます。明日は最終回!)
2018-07-12-THU
横尾忠則さんの新刊

『アホになる修行 横尾忠則言葉集』

(イースト・プレス 刊)
これまでの横尾忠則さんの
エッセイ、対談、インタビュー、ツイッターなどから
選ばれた言葉集が発売されました。
さまざまなメディアで発信されてきた、
横尾さんの名言がまとまった一冊です。
生活のとらえ方や創作にかかわる考えなど、
鋭い言葉が光ります。
見開き展開でスイスイ読めますので、
なんどもくりかえし味わい、
心の刺激と栄養にできます。
本を締めくくる横尾さんのあとがきには、
こんな一文が出てきます。
「アホになるというのは、
自分の気分で生きるという自信を持っている
ということ」
このたびの糸井重里との対談でも、
「大義名分より気分が大切である」
という内容がくり返し出てきます。
それはいろんな人びとの暮らしに勇気を与える
本質をついた言葉であるといえるでしょう。
いろんなものを捨ててアホになる修行は、
横尾忠則さんに近づく第一歩なのかもしれません。