いきものがかりの水野良樹さんが、
ふたたび糸井重里に会いにきました。
NHKの番組のための取材で、テーマは
「阿久悠さんのことを教えてください」。
真剣な対話は長時間にわたって続き、
最終的に番組ではすべてを紹介しきれない
長さになりました。
そこで「ほぼ日」では、そのときの話を
ほぼ日バージョンでたっぷり掲載します。
ふたりがずっと話していたのは
「みんなに届くのは、どんな歌?」ということ。
往年の名曲の話もたくさん登場します。
全10回、どうぞお読みください。

水野良樹(みずの・よしき)

1982年生まれ。
神奈川県出身。ソングライター。
「いきものがかり」Guitar &リーダー。

1999年2月、小・中・高校と同じ学校に通っていた
水野良樹と山下穂尊が、いきものがかりを結成。
1999年11月、
同級生の妹、吉岡聖恵がいきものがかりの路上ライブに
飛び入り参加したことがきっかけで
いきものがかりに加入。
ユニット名の理由は、水野良樹と山下穂尊の2人が
小学校1年生のときにたまたま一緒に
金魚に餌をあげる「生き物係」をしていたこと。
2006年3月「SAKURA」でメジャーデビュー。
以降「ブルーバード」「YELL」
「じょいふる」「ありがとう」など、
いくつものヒットシングルを世に送り出す。
2012年のシングル「風が吹いている」は、
ロンドンオリンピック・パラリンピックの
NHK放送テーマソングとなった。
また、著書に自伝的ノンフィクション
『いきものがたり』がある。
また、前回の糸井との対談の後、
いきものがかりは「放牧宣言」を発表。
2017年10月現在、メンバーそれぞれが
各自のペースで可能性を伸ばすことを目的とした
「放牧(リフレッシュ期間)」を続けている。

水野良樹さんtwitter @mizunoyoshiki
いきものがかり OFFICIAL WEB SITE
いきものがかり公式Twitter @IKIMONOofficial

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阿久さんと、その技術。

糸井
小林旭さんが歌った『夢ん中』も
ぼくは大好きなんですが、
ものすごく完成度が高い歌なんです。

サビは「男と女のあいだには~」
みたいな感じだけど、結局何を学んだのか
わからないタイプの歌。
ひとり立ちしようとする女が、
希望を持っていいんだか悪いんだか、
わかんないような歌なんです(笑)。

だけど、ものすごくうまいこと
言えてるんですよ。





夢ん中(1978)

作詞 阿久悠
作曲 森田公一
唄 小林旭


指のつめたさ うなじの細さ
肩のはかなさ まつ毛の長さ
すべて重たい悲しみつれて
ひとりお前は生きている
男もつらいし 女もつらい
男と女は なおつらい
だけど泣くなよ 泣くじゃない
酸いも甘いも 夢ん中

酒はにがいし 煙草はからい
紅はとけるし 寝床は寒い
そんなお前の 肩抱き寄せて
惚れたようだと 俺はいう
男もつらいし 女もつらい
男と女は なおつらい

それでいいのさ いいんだよ
逢うも別れも 夢ん中

男もつらいし 女もつらい
男と女は なおつらい
それでいいのさ いいんだよ
逢うも別れも 夢ん中


水野
はぁー。
糸井
間(あわい)のところだけを
歌ってるんだけど、
技術がいいんで、すっごくいいんですよね。
ぼくは若いとき、この歌の良さを
若い女の子に教わって
「どうしてこいつはこの歌を
そんなに好きなんだろう。
‥‥きっとなにかあったにちがいない」
とか思ったわけですけど。
水野
(笑)
糸井
阿久さんの歌詞には、
技術があるからこそ言えてることって
たくさんあるんですよ。
だからほんとうは、
その技術がどこでどう磨かれたかが
知りたいですよね。
本をいっぱい読んでたとも思えないので。
水野
阿久さんは子どものころから、
すごくたくさんの映画を観てたんだそうです。
高校生のときなど、
3本立ての映画を毎日見に行くような
映画少年だったと聞きました。
糸井
ああ、そうなんですね。
たしかに全部の構造が映画ですね。
“紅はとけるし寝床は寒い”なんてのも
意味がわからないけれど、
もしかしたら映画の中に出てくる
シーンかもしれないですね。
水野
あと、映画作品のオマージュというか、
パロディみたいなものも
歌詞にたくさん出てきますけど、
それもやっぱり青春時代に観た
映画から来ていると思うんです。
糸井
なるほどなあ。
水野
すこし話が変わりますけど、
阿久さんが全盛期だった70年代のあと、
自分でつむいだ言葉を自分で歌う
シンガーソングライターの人たちが
たくさん出てきたんですね。
ただ、阿久さんは
そういう私小説的なスタイルを
とる人たちにたいして
「自分のことや自分に近いことしか
歌ってない」
と、どちらかといえば批判的でした。
その阿久さんの真意って、
糸井さんはなんだったと思いますか?
糸井
そこはまずは「下手だな」と
思ったんじゃないでしょうか。
水野
なるほど、技術的なところで。
糸井
うん、まずは「そんな下手でいいのかよ」
と思ったような気がしますね。
「それでいいのかよ、自分はプロだよ」って。
楷書が書けてない、
ミミズののたくったような文字に、
みんなが「いいな」と言ってるみたいに
見えたんじゃないでしょうか。

ぼく自身は
「わぁ、下手なのに良い!」
といったものに
憧れるタイプなんですが、
そういうのは阿久さんは嫌でしょうね。
水野
たしかに阿久さんは自分の形式や技術に
しっかりしたプライドを
持っていらっしゃった気がします。
糸井
そこはあったでしょうね。
そして阿久さんは
ずっと技術を磨いてきたことで、
「曲ならいくらでも作れるぞ」
という自負があったと思うんです。
水野
はい、はい。
糸井
ただ、ずっと時代が下ったのち、
1999年に阿久さんが
たくさんの詞を書き下ろした新書が
出たのは知ってますか?
岩波新書の『書き下ろし歌謡曲』という
本ですけど。
水野
はい。本のために新たに100編の詞を
書き下ろされたんですよね。
糸井
うん。あの本にはぼくは
いろいろと思うところがありまして、
本を出すとき、阿久さん自身は
「いまからすごいことをするぞ」
と感じていたと思うんです。
そして、
「これはみんなから大冒険に見えるだろうな」
くらいに思っていた気がするんです。
でも実際は、ただの新書に
なってしまったわけですよね。
水野
つまり、残念ながら、届かなかった。
糸井
そうなんです。
もう社会に阿久さんの詞が
フィットしてなかったんですね。

それはなにかというと、
やっぱりそのとき手元に残ってたのが
技術だけだったからだと思うんです。
一見いい詞のように見えるものを
まだまだたくさん作ることはできる。

だけど、そのときにはもう、
若くて技術がなかったときの
「モテてぇー!」だとか、
映画を観ての「うわぁ、かっこいい!」とか、
そういう部分がすっかりなくなって、
手わざの跡だけがあるみたいな状態で。

だからあの本、ぼくは怖くて
買えなかったです。
立ち読みして「あ、ダメだ」と思いました。
なにかの後始末みたいに思えてしまって。

(つづきます)

2017-10-19 THU