第2回 ブタフィーヌさんの設計図。
糸井

この「ブタフィーヌさん」には
漠然と秘密を感じるんですよ。
例えば、絶対に
おじさんの顔が出てこないじゃないですか。

佐藤

あのルールは素晴らしいですね。

糸井

顔を出さないために
吹きだしで隠したりするじゃないですか。
それも出さないと
決めてるから出さないんですよね。

たかしま

描き始めのときは
なんとなく顔を描かずに
すごく自然発生的にやり始めたんですけどね。

糸井

ここまで出さないとやっぱり、
「知りたいけど
 お互いに聞かないことにしようね」
と読者との約束ができるわけですよね。
だから、「ほぼ日」にも
「おじさんの顔が見たいです」
というメールは一つも来ないです。
あれだけ隠してると
そういうメールは
来てもおかしくない(笑)。

たかしま

あの手法をやり始めて、
自分でも客観的に見ながら思ったのは、
彼女の目線というのはあのぐらいで、
もしかしたらおじさんの顔なんかは
見ちゃいないんじゃないか、
「ご飯をくれる人だっ!」
くらいの目線で世界を見てるのかなと
あとから思いました。

佐藤

おぉー! なるほどね。

糸井

ちょっと卓さん、
自分に近いものを感じませんか?
例えば、卓さんも
クールミントガムから
自分を見てる感じとかなんかするんですよ。
ここにいたこのペンギン。
コイツはどう思ってるんだろうみたいな。

佐藤

それはちょっとたしかに。
でも、頭と顔描かないことによって
だれもがその上を想像するんですよね。
受ける側の頭を使わせてくれてる。
だって考えてみたら、
脳みそってみんな持ってるわけですし、
それを前提に何かをやるっていうのは
当然のことなんでしょうけど
それを意外と考えないから、
世の中にはやりすぎちゃうものが
多いのかもしれないですね。

糸井

これは失礼にならないように言うのは
なかなか難しいのですが
全然面白くないけど
OKっていう日がいっぱいあるんです。
笑うか笑わないかで
マンガの基準というのが決まってるんだとしたら、
マンガってそれだけのものですよね。
だけど、そうじゃないところに
この「ブタフィーヌさん」という
マンガがいることを
ぼくはものすごい応援したいんです。

佐藤

たしかに、たしかに。

糸井

『ブタフィーヌさん』の本の帯に
「かわいいマンガ。ここにあります。」って書きました。
あれはぼくの人生の中でも
ナンバーいくつかの傑作の一つなんです。
でも、だれもうまいと言ってくれないタイプの
うまいコピーなんです。
「かわいいマンガ」って概念そのものが、
言葉として使われてるかもしれないけど、
本当に知っててやってることはあまりない。
本当は「ここに」というのも変なんですよ。
だって「ここ」っていうの
何を意味してるか全然分かんないし。
これも謎を言葉の中に含ませてある、
ブタフィーヌさんらしい、
何でもなく見えて
謎を仕掛けてあるというコピーなんです。
でも、それをね、
触発したのは
ブタフィーヌさんだったんです。

佐藤

たしかにそうですね。

糸井

で、たかしまさん見るとさ、
そんな戦略的な人じゃないじゃないですか。

糸井

ミスチルの桜井くんに似てるような(笑)。

糸井

一つはっきり言えるのは、
向上心のない方ですよね(笑)。

たかしま

致命的かも(笑)。

糸井

野心というか向上心が
邪魔してるものって
世の中にものすごく多いと思うんですよ。
そのままいればかわいいのに、
変に踊ったおかげで嫌いになっちゃったりさ。

糸井

大体やりすぎちゃうものですよね。
おじさんの頭に代表されるような
物足りなさというのは
実はすごく大切なんじゃないかと思いますね。

<つづきます>
2007-03-09-FRI
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