もくじ
第1回磨くほど透明になってゆくもの。 2013-04-17-Wed
第2回直感の精度。 2013-04-18-Thu
第3回現実が「見えてしまう」から。 2013-04-19-Fri

第3回 現実が「見えてしまう」から。

──
本日、山口さんにうかがった
「技術とは、磨くほど
 透明で見えなくなっていくようなものだ」
というお話、たいへん納得しました。
山口
ああ、よかったです。
──
はたまた、ルーベンスさんの
「絵がうますぎて、誰も見てない」の件も
なるほどなあ、おもしろいなあと。
山口
そう言っていただけて、ホッといたしました。
──
で、お聞きしていて、ひとつ思ったんですが、
「まったく写真のような絵」だと
魅力がない‥‥ということなのでしょうか?
山口
うーん、一般化できる法則ではないでしょう。
ただ、テクニック的なことで言いますと
わたくしの場合は
すこし「くどい」くらいに表現していますね。
──
くどい?
山口
はい。
──
それは「わかりやすくする」という意味ですか?
山口
ひとつには「要素を多くしてあげる」こと。
たとえば
「家の壁にガス管が1本、這っている」光景が
おもしろいなと思ったとします。
──
ええ、ええ。
山口
でも、その「おもしろさ」を表現するのに
正直に、写真みたいに、
「ガス管を1本だけ」描いたとしても
わたくしが感じたおもしろさは、伝わりづらい。
その場合は、5本くらい描いちゃいます。
──
あまりにふつうの光景だと、引っかからない?
山口
やはり、これまでのお話と同じように
「目が行くようにしてあげる」ということです。
「え、配管の先、そこ潜ってくの?」みたいな、
ちょっと妙な感じに捻じ曲げちゃうとか。

──
なるほど。
山口
そうすると、
「あ、ガス管って意外とおもしろいんだね、
 家に対する異物感として」
とか、思ってもらいやすいといいますか。
逆に、あんまり当たり前に描いてしまうと
ふだんの光景と変わらず、
注意を向けてもらえなくなるんでしょうね。
「収まりが、よすぎちゃう」んです。
──
あまりに巧みすぎて「違和感」を喪失した
ルーベンスさんのように。
山口
ですから、ほんの少しだけ
「収まりを、わるくしてあげる」のが
細かいことですが
テクニックと言えば、テクニックです。

──
絵を描く仕事ではないですが
なんだか、すごく参考になるなと思いました。
ちょっとだけ「収まりを、わるく」とは。
山口
そのための方法は、いろいろあると思います。
冒頭、お話に出た会田誠さんの場合でしたら
「つたなく描く」ということで
「引っかかり」や「違和感」を出しています。
──
山口さんの「ちょっとだけ、過剰に描く」のと
同じような効果を持つ技術である、と。
山口
逆に言えば、まだ画学生だったころには
意図しないところに
意図せず「引っかかり」や「違和感」を
出してしまっていました。
──
そこが「プロとの違い」なんですね。
山口
見てほしい場所とはぜんぜん違うところへ、
見る人の目を、導いてしまっていた。
それは、自分自身で
技術をコントロールできていないことの
あらわれですよね。
ただ、反面、プロになった目からすると
その「暴走」が新鮮でもあるんですけど。

──
本日、何度も戻ってきている場所ですが
やはり「本当に表現したいこと」を
キュッと見せるのが
技術であり、プロの仕事なんですね。
山口
そうだと思います。
──
そのような「技術」というのは、
あるていど「修練」で身につけることが‥‥。
山口
できると思います。
──
おお。
山口
とくに、絵の技術のひとつの太い柱である
デッサン力というのは、
修練で、確実に身につけることができます。
──
それは、いいこと聞いたという感じです。
山口
他の世界と同様、
絵も、先達の「模倣」から入りますから。
そもそも
絵描きの世界は世襲制だったわけですし。
──
それは「狩野派」みたいなことですか?
山口
ええ。西洋でも、長く「工房制」でした。
つまり「芸術」というより
「家内制手工業」に近かった時期が長い。
──
もともと
「伝承可能なもの」としてあった、と。
山口
その時代の絵描きは
大げさじゃなく「絵の具を練る」ところから、
もっと言えば「絵の具をつくる」ところから、
教わっておりました。

──
なるほど、なるほど。
‥‥でも、絵の具って
絵を描く人が「つくって」いたんですか。
山口
ええ、そうなんですよ。
鉱石とか、土とか、酸化させた金属とか‥‥。
──
そのようなものから、絵の具を?
山口
「焼いた骨」とか。
──
骨!?
山口
アイボリーブラックという黒は、骨由来です。
つまり「アイボリー」なので
本来は「象牙」だったんでしょうけれど
さすがに希少ですから、骨で代用したんです。
──
具体的には、どうやって黒い色を?
山口
骨を焼くと、黒くなりますよね。
そこへ、樹脂油など混ぜて練るんです。
それが初期の「黒」でした。
──
はー‥‥。
山口
ちなみに白は、鉛白(えんぱく)と言いまして、
鉛のサビを使用していたようです。
鉛につくサビって
鉄サビみたいに赤くなくて「白い」んです。
──
サビの白から、白い絵の具を。
山口
けっこうな猛毒で、危険らしいですけどね。
──
はー、絵の具が「毒」ですか。
山口
へたに取り扱ったら
鉛中毒になってしまうほどの危険物です。
ですから、昔の絵描きは
かなり
危なっかしいものを扱っていたんですね。
「銅のサビ」である緑青なども、
昔は毒性があると考えられていましたし。
──
あの、話が逸れるかもしれないですが。
山口
どうぞどうぞ。
──
なぜ、焼いた骨とかサビとかまで持ち出して
いろいろ工夫して、
ときに危険な目にあってまで
絵を描こうとしたんだと思われますか、人は?
山口
‥‥やはり、見えちゃうから、でしょうねぇ。
──
見えちゃう。
山口
見えちゃうと、再現したくなっちゃう。
──
現実が見えてしまうから、人は絵を描く?
山口
たぶん、われわれ人間の創造力って
現実よりも
ずっと「軽やか」なんだと思います。
──
と、いいますと?
山口
大むかし、かの有名なラスコーの洞窟には
黒と赤くらいしか、色がなかった。
でも、
「こんどは、オレンジ色で描いたら
 どうだろう?」
「あ、このマラカイトを砕いたら
 緑色の絵の具が、つくれるかもしれないぞ」
そういう創造力の積み重ねで
人間は、
絵を描く手立てを発達させ、
絵を描いてきたのではないかと思うんです。

──
はー‥‥。
山口
多くの人々の創造力を積み重ねていくことで
人間全体の
絵にたいする受像機の感度が上がってゆき、
また誰かが
他の人とは違う何かをキャッチすると、
その創造力が原動力となって
現実を、さらなる高みへ引っぱり上げてゆく。
そして、引っぱり上げたところに立ったら
また受像機の感度がよくなって、
また違うものが見えてきて‥‥ということを
わたしたち人間は
ずうっと
繰り返してきたんじゃないでしょうか。
──
そう思われますか。
山口
絵描きとしての実感からは、そう思いますね。
──
先日、ラスコーよりもさらに古い壁画を
はじめて撮影したという
ヴェルナー・ヘルツォーク監督の映画を観たんです。
山口
ええ。
──
そうしたら、黎明期の人間の営みとして
絵って、すでにあったんだなと、あらためて思って。
山口
すごいことですよね。
──
画家という職業が成立するずっと前から
人間は絵を描いてきたんだなあと
まるきり小学生のような感想を持ちました。
山口
いえいえ、小学生でいいと思いますよ。
だって、たぶんね、はじめて絵を描いた人も
不思議でしょうがなかったんですよ。
──
不思議?
山口
つまり、脳の図像認識の力‥‥と言いますか、
専門的なことはわかりませんが、
簡単に「丸描いてチョン、チョン」とやれば
「人の顔」に見えるじゃないですか。
──
ええ。
山口
それって、とっても不思議なことですよね。
丸とチョンだけで、顔に見えるって。
そんな、ある種の「イリュージョン」に
わたしたち人間は
魅せられてきたのかもしれないなあ、とね。
──
なるほど‥‥。
最後に、ひとつ、おうかがしたいのですが。
山口
はい、どうぞ。
──
「技術」とは、いつまでたっても
「満足いかないもの」なんでしょうか?
山口
‥‥北斎もね、同じようなことを。
──
あ、そうですか。
山口
それも、90歳を超えて
すっかり、おじいちゃんになってからです。
あと10年、いや、あと5年でいい、
俺に寿命をくれたら
もっとまともな絵描きになれるのになあと
言ってるようでして。
──
そうなんですか‥‥。
山口
人間の目には現実が10割、見えています。
わたしたち絵描きは、
その現実へ少しでも近づけよう、近づけようとして
一生懸命、絵筆を動かすわけです。
──
はい。
山口
でも、現実の10割を描き切ることなんて
どうやったって、できません。
いつも7割とか6割、
ヘタすると、5割で終わってしまったり。

──
ご自身のなかでは、ということですよね。
山口
自分では5割にも届いていないのに
絵を見る側の人にとっては
絵描きの見ている「10割」はわかりませんから
「5割の絵」を
その人の100パーセントとしてごらんになって
結果「すばらしい絵だ!」と
褒めてくださることも、あると思うんです。
──
ええ。
山口
でも、絵描きからすると、
その絵は「5割足りないもの」でしかない。
──
‥‥つまり、満足しない?
山口
‥‥しないですねぇ、満足。

(おわります)