── | 以前、江戸型染の作家さんに 取材をしたことがあるんですが、 浴衣の柄は、染めでつけるんですね。 |
西村 | はい。型紙で染めます。 江戸以前からそうなんですけど、 三重県鈴鹿市に伊勢型紙というのがあって、 そこで独占的に型を作っていました。 それぞれの、たとえば京都なら友禅の型、 江戸には小紋という、また浴衣とは違う型紙、 それから浴衣には、 長板中形(ながいたちゅうがた)っていう 型紙があるんですけど、 それを注文によって型彫りをして、 納めていたんですよ。 |
── | 長板中型はどんな染め方なんですか。 |
西村 | 生地に何回かこの型紙で 糊を付けて型付(かたつけ)するんですけど、 表と裏と同じ柄のものを ずれないようにやっていくという手間があるんです。 |
── | いちどに片面にしかできないんですね。 |
西村 | そうそう、片面にしか付けられないから 両方やるっていう。 そこで、ずれないように型付するのが、 江戸っ子職人の技。 |
── | 腕の見せ所! |
西村 | というので、大正時代とか、昭和初期ぐらいまで、 結構盛んだったんですよ。 |
── | 長板中型は1版(ひとはん)で1色なんですね。 |
西村 | はい、そうですね。 その後に、明治時代に開発された 注染(ちゅうせん)という染めのやり方があって、 こちらは一気に色が何種類も染められるので、 長板中型よりも効率がいい。 注染では表と裏が一気に型抜きができるというので、 この長板中形の後に普及していった。 大阪の方で開発されてますので、 西から普及していったやり方になりますね。 でも今は、注染もちょっと 伝統芸能のようになっていて、 たとえば今販売してる手ぬぐいとかでも、 注染染めというのを時々見かけると思うんですけど、 それはちょっとお高いですよね。 で、プリントだとすごく安くなる。 注染は開発されたときは 手間のかからない方法でしたけれども、 今いちばん安いプリントに比べると もちろん手間はかかります。 |
── | 長板中形での染めは、今は。 |
西村 | 今も、それで浴衣を作ってるところも残ってはいます。 ただ、東京では、長板中形をやってるお家は、 江戸川のほう、東の方に残ってますが、 ほとんどもう、郊外の、埼玉の方とかに 移転されてまして。やっぱり厳しいですね。 なぜかというと、これ、型付に糊付をして、 糊を落とさなくちゃいけないんですけれど、 そのときに大量のきれいな水が必要なんですよ。 |
── | なるほど、川で。 |
西村 | はい、川でやってたんです。 浴衣の染めのはなしなんですけれど、 浴衣って夏場に着るじゃないですか。 で、作るのはその前なので、 注文はその前年に受け付けて、 作業するのが冬場になる。 型付をして、水がきれいな寒い季節に糊を落として、 干場(ほしば)で乾かして、 それから藍染めをするんです。 ここは分業制になってまして、 藍染めは紺屋さんという、 専門の方に渡して染め上がるというような かたちになってますね。 この型付は、清水幸太郎さんという、 昭和30年に人間国宝に指定された方の 型紙なんですけども、 やっぱり作業場が、東京の中でも 少しずつ動いていって、 葛飾区の四つ木の方でやられていて。 あちらに工場(こうば)と自宅があったんですが、 もう、水が使えないということで。 |
田中 | 今の状況では、ほんとにこういう職人さんというのが もういなくなってきちゃいますよね。 もちろん、ものが売れないと、 職人さんも生活していけないので、 今の商品経済の中で、 大量生産のものと競えるのかっていったら、 経済原理からいうと、ほんとに、 引退せざるを得ない運命に あるっていうところですよね。 |
西村 | そうなっちゃうんですよね。 |
── | 昔は庶民が使う普通のものだったのが、 特別なものになってしまって、 それでも生き残れば いいのかもしれないですけれど‥‥。 |
西村 | 本来の使われ方とは違うもの、 貴重品というか、アートみたいな、 高級品みたいなものになるっていうのは、 まあ、しかたがないのかもしれないですけど、 ちょっと、違和感があるというか、 寂しい感じですね。 |
── | 値段も高いですものね。 |
西村 | 原料費が、高くなってしまうと、 単価も上がってしまうので。 結局、ここの、清水さんも、 息子さんがもう80代とかなんですけど、 お父さんの仕事を継げなかったんですよ。 やっぱり浴衣はどうしても絹の着物に比べると 単価が安いですよね。 で、いい仕事をしていても、 数が売れなければ生活がやっていけないということで 別の職業に就かれて、 というかたちになってしまってるんですよね。 |
田中 | こういう技術は一度廃れてしまうと、 もう復活はむずかしい。 |
西村 | 師弟制度で型染めのやり方は教わっていくので、 そのあたりのカンというか、糊の調合ですとか、 型付の仕方のところ、 肝心のところが継げなくなってしまうんですね。 |
── | 型は残っていても。 |
西村 | そういうことなんですよ、はい。 |
田中 | その技術の伝承はさすがに、 映像記録とか文字とかだけじゃ、 伝え切れないところがもちろんあるので。 |
西村 | 江戸っ子は何か凝り性なところがあって、 仕事のこういった冴えを お互い競い合って見せてっていうところが 分かる人がいなくなってしまうと、 |
田中 | その、江戸っ子の粋みたいなところ、 ちょっとした違いとか差異なんだけれど、 それが評価できる、 あ、それ粋だねって言う人もいなくなっちゃうと、 |
西村 | やっぱりただの伝統技術になってしまう。 |
── | 観る人、使う人も大事なんですね。 |
西村 | はい。そうですね。 |
── | 実際、今、夏になると結構若い人でも 浴衣着てる人多いですけどね。 それこそファストファッションの感覚で売られていて。 |
西村 | まずはそこから(笑)。 最初はそこからでも構わないと思うんですよ。 |
── | ゼロよりましなのかもしれませんね。 それで、もう少し大人の人が、 もっといいもの着なさいよと 言ってあげればいいのかもしれない。 |
西村 | それでまた、いろんな浴衣も比べてみるようになって、 こういった技術のよさとかも 自然と見分けが付くようになればね。 こういう浴衣の生産が盛んだったころは、 やっぱり江戸も東京も 着る人の目が肥えてるので 柄も洗練されているんですよ。 |
── | はー。 |
西村 | 地方に残ってる型よりも洗練されてるんですね。 |
田中 | 都会的なんですよ。 |
西村 | そうですね。柄なんかも、 こういった柄でお願いしますっていうのは 江戸の型紙を卸す問屋が発注するんですけど、 そういうのもお客さんの嗜好で リクエストしていくので、 やっぱりそこで、地域性というのが出ますよね。 この型紙はうちで所蔵してる、 浴衣の型紙の目録なんですけれど、 明治以降から昭和初期くらいの間の 型付(かたつけ)で使われた型紙なんです。 で、やっぱり流行が浴衣の柄も 時代によってあるんですけども、 この、ちょっとこのぐらいの大柄なものは 大正時代の好みの型だったり、 こういう細かい柄は もうちょっと古い時代の明治期から 大正初めぐらいに好まれた柄ですね。 |
田中 | ぜひ、浴衣とか着物を復活させていきたいですよね。 大正時代に独特のモダンな柄が生まれたように、 現代の江戸の粋みたいなものを 見てみたいじゃないですか。 |
── | ほんとうですね。 田中さん、西村さん、 ほんとうにありがとうございました。 布を見る目がちょっとだけ かわった気がします。 |
田中 | そうですか、だとしたらうれしいです。 いろいろと脱線を途中でいっぱいしましたけど。 |
── | その脱線が楽しかったです。 |
西村 | (笑)こちらこそありがとうございました。 |
田中 | また江戸博にも足を運んでくださいね。 |
── | はい、ぜひ! |
(おわり) |
2012-02-17-FRI