はじめて会ったのは2000年ごろかな。
お店に来てくださって、話をしたんです。
彼は浜松出身で、小学生のときに「ボンベイ」
というお店で食べたインドカレーに衝撃を受けて、
カレー好きになった人なんですね。
その「ボンベイ」の永田さんというコックさんが、
「デリー」出身なんです。
永田さんはものすごくインド料理に興味を持って、
そのあと「マハラジャ」へ修行に行って
本格的なタンドール窯の料理を覚え、
さらにインドへ行きました。
そして帰って来て
「ボンベイ」を開いたという人なんです。
水野さんは大学で東京へ出てきて
「デリー」のカレーを食べたわけですけど、
そのとき、
「『デリー』のカレーに出会い、
田中さんから永田さんの話を聞いて、
自分の謎が解けてきました」
と話していました。
子ども時代の水野さんの琴線に触れたのは、
おそらく永田さんが「デリー」で覚えたものを
彼なりに改良した、サラサラの
カシミールカレーだったんでしょうね。
水野さんとは、そんなふうにお会いして以来、
仲良くさせてもらっています。
水野さんはインドやロンドンにも
行かれているけれど、
彼の基本的な興味はやっぱり
「日本のカレー」なんですね。
インドカレーでも
「日本人の作るインドカレー」に興味がある。
ぼくの義理の父親である
「デリー」先代の田中敏夫にも、
ちょっと通じるところがありますね。
義理の父もインドのカレーは好きだったけれど
「日本の人たちにはどうするといいんだろう」
っていつも考えていましたから。
また水野さんは、
非常に研究熱心な人でもあります。
インドのコックさんたちは基本的に徒弟制で、
「このカレーってどうしてこうなの?」って聞いても、
「親方からそう習っただけ」としか返ってこないんです。
でも、水野さんはそんなインド料理を
とても深くまで研究していて、
いっしょに話していても、コアな部分まで攻めてくる。
おもしろいぐらいによく知ってます。
もしかするとレストランの人間でも、
あそこまで勉強する人はいないと思います。
水野さんと話をするとよく
「田中さんはすごく香りを重視しますよね」
と言われます。
これ、理由はわからないけれど、
たしかにぼくはそうなんです。
たとえばうちのカシミールカレーは
シャバシャバのカレーです。
だから湯気が立つ。
すると食べる前にまず鼻に香りがくる。
そして食べるとダイレクトに香りが喉から鼻に抜ける。
ぜひその二重で楽しませようと思ってます。
とくに上野のお店はカウンターだから、
お客さんの目の前で作るわけですね。
お客さんが座ったら、すぐ出して、
ご飯もできるだけ炊きたての熱々。
そうするとご飯に湯気が出て。
そこにカシミールカレーがかかると、
スーッとなって「ああいい香り」となるわけ。
こうなると、デリーのカレーは成功なんです。
いま水野さんとは
「ラボ・インディア」という会で
ご一緒させてもらっています。
これはいろんなコックさんたちが集まって、
たとえば今日はバターチキン、
今日はキーママタールとか、
テーマとして決められたメニューを、
みんな持ち寄る会なんですが、
水野さんからは
「田中さんが作ったものは
目隠ししてもわかります。
タマネギの炒め方に癖がありますから」
と言われるんですね。
水野さんとはそういう話もできて、
付き合っていてそういう部分もおもしろいんです。
あれだけ突き詰めている理由は、
やっぱり「愛」でしょうね。
ぼくもそうですが、カレーへの「愛」。
なんだか水野さんとカレーの関係って、
ぼくと孫との関係みたいなんです。
いつでも、なんでもかわいいみたいな。
「いいよいいよ、そうかそうか。
いまは南インド料理の南インドカレーか、
わかったわかった。それもいいだろう」って。
常にそんな感じに見えますね。