いつか来る死を考える。 いつか来る死を考える。
人生の終わりの時間を自宅ですごす人びとのもとへ、
通う医師がいます。

その医療行為は
「在宅医療」「訪問診療」と呼ばれます。

これまで400人以上の、
自宅で死を迎えようとする人びとに寄り添った
小堀鷗一郎先生に、
糸井重里がお話をうかがいます。
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
第4回 先生と口をきいたことは、一度もありませんでした。
写真
糸井
老衰って、どういうことをいうんですか? 
小堀
病気がなく、
別に医者にもかかっていない高齢の方が
亡くなることです。
糸井
ああ、それはとてもいいですね。
小堀
95や100近くなると、
みんなそうなっていきますよ。
糸井
それはつまり「寿命が来た」ということでしょうか。
小堀
アクティビティが急に落ちて
食べられなくなったりするんですよ。
たとえば、それまで
長男夫婦と3人で普通に暮らして
ダイニングルームへ行ってごはんを食べて、
夜になれば自分のベッドで寝ていた人が、
あれこれできなくなる。
それはわりあいに、とつぜん来ます。



ある日、ベッドに上れなくなる。
ぼくたちが呼ばれて、
行ってるうちに食べられなくなって、
それでこれは老衰だ、ということになります。
そこでみなさんがわかってくだされば、終わる。
けれども家族の中には
「やっぱり病院へ」とおっしゃる方がたくさんいます。
糸井
ああ、そうなんですね。
でも、いま先生がお話しくださったような
病院死や検死についての主張やデータは、
映画にはまったく入ってませんよね。
小堀
はい。
糸井
それがすごい度胸だなぁと思いました。
小堀
だってこれは告発映画じゃないからね、
それでいいと思います。
医師が考えていることも、
それぞれに違いますから。



ぼくといっしょにやってる堀越という医師、
彼も映画に出てきますが、
医師としての育ち方が違うし、
ぜんぜん別のことを考えています。
彼は国際医療協力をやりたくて、
そもそもは哲学的な興味を持って
国際基督教大学に入った人です。
糸井
あとからお医者さんになった方なんですよね。
互いに脚力のある伴走者だなぁと思って
見てました。
写真
(C)NHK
小堀
ぼくらの活動は、堀越医師がメインで、
実際いまも彼がセンター長。
新しい往診の家族には、
彼がまず行って、いろいろ検査します。
そこで、自分が診なきゃいけない人と、
別のドクターに任せる人を判断します。
糸井
堀越先生と小堀先生の活動って、
つくづく「一歩一歩」のことだなぁと思うんです。
若い時分って、ぼくたちもそうですが、
大きいことを語りがちで、
そのくせ何も解決できなかったりしますよね。
でも先生方がやっていることは、
自分の目や手を使ってひとつずつ
つかまえていくしかない事象です。
小堀
そう言われればそうかもしれませんね。
糸井
それをじれったいと思う人もいるかもしれない。
だったら別の方法で、
たとえば問題を告発するかたちで
「行政はこうすればいいじゃないか」
「こういう最新の方法があるぞ」
などと主張するほうが早い、
という意見もあるでしょう。
でもこの映画はその道はとらなかった。
もともと小堀先生は外科手術の最先端にいた方です。
「最先端」から「地道なひとつひとつ」へたどりつく
道すじがどんなものだったか、知りたいところです。
小堀
ぼくは東大の第一外科という先端的なところにいて、
そのあと国際医療センターに移りました。



外科は特にです、内科は違いますよ、
外科はどうしても
「手術」がうまくなきゃダメだ、
というところがあります。
古い体質の大きな病院の医局で
「のして」いくためには、
若い頃から手術がうまくなきゃなりません。



だから当時のぼくは、
先端的な医学知識で人を救うというよりも、
テクニックにとらわれていました。
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糸井
お医者さんであり、
職人さんみたいな。
小堀
まさに職人でした。
たまたまさきほど
糸井さんのお父さまのご病気を知ったんですが、
ぼくの専門は食道がんでした。
糸井
ええ、ぼくも
先生の本を読んで知りました。
小堀
あれはむずかしい病気です。
手術も長い時間かかります。
外科医時代、ぼくは食道がんの手術に
熱中しました。
職人だからどうしても、
患者さんを「対象」として見るということが
出てきてしまいます。
糸井
そうでしょうね、うん。
小堀
傾向としてね。
それは治療にとってはいいことなんだと思います。
ところが最近、ぼくたちの活動が
本やテレビ、映画でとりあげられるようになってね、
国際医療センターのICUの。
糸井
はい、集中治療室の。
小堀
そうそう、
手術をしたあと安全になるまですごす部屋です。
そのICUの担当だったナースが
手紙をよこしました。
糸井
はい、看護師さんが。
小堀
「自分は2年間、ICUのナースをしてました。
その部屋に先生が、もう、
何回入ってきたかはわかりません。
先生は入ってくると、患者のところに行き、
いろんなチューブをチェックして、
匂いを嗅いだりなんかして、
それからレントゲンを見て、
そのまま音もなく、いなくなりました。
2年間、私が先生と口をきいたことは
一度もありませんでした」
と。
糸井
ははぁ。
小堀
「テレビを見てたら、同じ先生が」
糸井
こんなに患者にしゃべってる(笑)。
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小堀
「これはいったいどういうことでしょう」
そんな手紙が来たんです。
ぼくは「なるほど」と思いました。



ぼくにもきっと、
しゃべる才能はあったんでしょうね。
そうじゃなきゃ、いきなりこんなことで
あんなにしゃべるわけはないからね。
ただその能力は、
東大でも国際医療センターでも、開発されなかった。
糸井
才能が閉じていたんですね。
小堀
医師としての最初の40年間、ぼくは、
「どうすればこの小さな鉗子で
ワンアクションで縫えるか」など、
技術のことにしか考え及んでいませんでした。



東大といえば「最先端の」という
イメージがあるかもしれないけど、
手術のうまさを競争しているような連中にとっては、
最先端もへったくれもない、
下手なやつは下手、うまいのはうまい、
ただそれだけです。
糸井
アスリートのようですね。
小堀
いまの上皇の2012年の心臓手術も東大病院でしたが、
順天堂大学と合同チームを組んで、
執刀したのは天野篤さんでした。
彼は腕がいいんです。みごと成功なさいました。
東大でも順天堂でも所属は関係ない、
つまり、外科は腕なんです。
糸井
先生はそういった
「腕を問われる時期」が長かった、と。
小堀
長かった。
いまの堀ノ内病院に行ったのも、
じつは外科手術をやりたかったからです。
堀ノ内病院でも、70の誕生日の前まで
食道の手術をやっていました。
いよいよできなくなったそのときに、
この訪問診療の世界がふってわいたんです。
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(つづきます)
2019-09-22-SUN
小堀鷗一郎医師と在宅医療チームに密着した
200日の記録
写真
(C)NHK
小堀先生と堀ノ内病院の在宅医療チームの活動を追った
ドキュメンタリー映画です。

2018年にNHKBS1スペシャルで放映され
「日本医学ジャーナリスト協会賞映像部門大賞」および
「放送人グランプリ奨励賞」を受賞した番組が、
再編集のうえ映画化されました。



高齢化社会が進み、多死時代が訪れつつある現在、
家で死を迎える「在宅死」への関心が高まっています。

しかし、経済力や人間関係の状況はそれぞれ。
人生の最期に「理想は何か」という問題が、
現実とともに立ちはだかります。

やがては誰もに訪れる死にひとつひとつ寄り添い、
奔走してきた小堀先生の姿を通して、
見えてくることがあるかもしれません。

下村幸子監督は、単独でカメラを回し、
ノーナレーションで映像をつなぐ編集で、
全編110分を息もつかせぬような作品に
しあげています。

9月21日(土)より
渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国公開。
『死を生きた人びと 

訪問診療医と355人の患者』
小堀鷗一郎 著/みすず書房 発行
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小堀鷗一郎先生が、
さまざまな死の記録を綴った書。
2019年第67回エッセイスト・クラブ賞受賞。
いくつもの事例が実感したままに語られ、
在宅医療の現状が浮びあがります。
映画とあわせて、ぜひお読みください。
『いのちの終いかた 

「在宅看取り」一年の記録』
下村幸子 著/NHK出版 発行
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映画『人生をしまう時間』を監督した
下村幸子さんが執筆したノンフィクション。
小堀先生の訪問治療チームの活動をはじめ、
ドキュメンタリーに登場する家族の
「その後の日々」なども描かれています。