いつか来る死を考える。 いつか来る死を考える。
人生の終わりの時間を自宅ですごす人びとのもとへ、
通う医師がいます。

その医療行為は
「在宅医療」「訪問診療」と呼ばれます。

これまで400人以上の、
自宅で死を迎えようとする人びとに寄り添った
小堀鷗一郎先生に、
糸井重里がお話をうかがいます。
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
第5回 散らかった部屋にうまいこと入っていく。
糸井
小堀先生の「しゃべる」能力は、
訪問医療で開発されたんですね。
過去におつきあいのあった看護師さんは
「しゃべらない先生」という印象だったんですから。
小堀
ナースからそう言われた段階では、
「自分にはもともとそういう素質があって、
世界が変わったからこうなったんだ」
と思いました。
最後に外科の仕事をしたのは2005年で、
この生活はまだ14年にしかならないけれども、
こんなふうに、人としゃべったり、
思い合ったりできるようになったのは、
俺にはもともと才能があったんだろう、って。



でね、フランスの、
マリー・ド・エヌゼルという心理学者が書いて
1990年代にベストセラーになった
『死にゆく人たちと共にいて』という本があります。
その序文はミッテラン(元大統領)が書いてんですよ。
糸井
『死にゆく人たちと共にいて』か‥‥。
写真
小堀
この心理学者、7年の経験しかないんですよ、
ぼくの半分です。
その方が本でこんな書き方をしていたんです。
「自分が看取った患者さんたちが
私を育てたんだ」
「恩師だ」
さらに序文のミッテランが、
「死ぬことはメッセージを残す」
というように書いている。
「口もきけない人は、まなざしでも
最期に関わった人にそのメッセージを残す」
ってね。
それを格好よく総合すると‥‥
糸井
格好よく総合すると(笑)。
小堀
ぼくは400人を看取りましたが、
その人たちの思いが私を開発し、
私がしゃべるようになったのです。
もともと素質はあったかもしれないけども、
彼らがこういう医者を作ったんですよ。



そういう見方をはじめてオープンにしたのは、
先々週かな、
『クロワッサン』という雑誌の方が
取材に来られた際、はじめて言いました。
糸井
先生はそんなふうに、
ずっと思ってらっしゃったんですか?
小堀
いやいや、だから、
この本を読んで、ですよ。
糸井
本を読んで気づいた、と? 
小堀
2週間前に読んだんです。
思いつきですよ。
写真
糸井
(笑)
小堀
思いつきだけど格好いいからって、
取材でお話ししました。
ただ『クロワッサン』は雑誌でしょう、
文字数もあるし、
ちゃんと載るかはわかりません(笑)。
糸井
それはわかんないですね。
小堀
はい(笑)。
もともとこういう世界には
まったく関心がなかったんです。
医療専門サイトの「m3」のインタビューでも、
「在宅は俺が命をかけた医療ではない」
なんてことをぼくは言っています。
そのとおり、命がけでもなんでもなくて、
患者さんたちから授かったものなんだという
見方ができるんじゃないかと
実際にいま思っています。
糸井
映画を見て、
「きっと先生は変わったんだろうな」
ということを感じていました。
写真
小堀
ICUのナースもそうだし、
外科医だった頃のぼくを知ってる人はみんな
「小堀は変わった」と思うでしょうね。
糸井
たとえば、介護のお部屋は、
たいていの場合、散らかってますよね。
小堀
はい、そうですね。
糸井
足の踏み場も、けっこうむずかしい。
小堀
映画に出てくるご家庭は、
まだいいほうなんですよ。
映画には入ってないけど、
下村監督が撮影した中には、
ぼくが持ってく椅子が
開かないとこもあったよ。
糸井
あの小さな腰掛け椅子が開かない‥‥、
そうか。
小堀
下村さんが撮影する場所を確保するのだって
じつに大変で、
8か月の間にはもう、
いろんなことがありました。
想像できないような世界がいっぱいある。
糸井
ぼくは先生がもともと
エリートだと聞いていたので、
そのイメージのまま映画を見て驚きました。
足の踏み場もないかなり散らかった部屋を
特に何を思うようすもなく
足の置き場をスイスイ探して歩く。
身のこなしがすごく自然で。
写真
小堀
それは14年間の経験のせいですよ。
糸井
先生の心も
ああなってるんだろうなと思いました。
小堀
心はどうだろうね。
ぼくなんかより、もっとすごい心の
医師もいるんですよ。



ある患者さんの部屋は、
やっぱり足の踏み場がなくてね、
そこには絨毯が敷いてあるの。
絨毯、湿ってるんです。
おそらく小便がしみてんだ。
それはしょうがないから、
ぼくは部屋に入ってくんだけど、
ソックスに湿り気が移っちゃう。
湿ったソックスの上にふたたび靴を履き、
そこからずっと一日共にいるということには、
抵抗があるんです。
ナースはソックスの替えを持っていきます。
「ネズミが走ってる場所は濡れてないから
ネズミのいるところを歩きます」
なんて言ったりもするわけです。



彼の部屋でぼくは、
絨毯の乾いているところをなんとか見つけて
左足置いて、右足をベッドのへりに乗っけます。
そうするとまぁ、大きくまたぐ格好になるんだけど、
そのまま聴診したりするわけ。
彼は1回だけ「なんでそんな格好すんだ」みたいに
言ったことがある。
それ以降は言わない。
糸井
うーん、湿り気はちょっと抵抗がありますよね。
小堀
だからですよ、
彼とぼくとはひじょうにうまくいかないんです。
怒鳴り合いになったりすることもある。
帰り際はつねに険悪です。



ところがもうひとり、我々のところには
新しい医師がいるんです。
その人は映画には出てこない。取材拒否の男なの。
これはぼくの大学の13年後輩です。



彼は、その絨毯に座るんだって。
平気なんだね。
だからその患者さんとなかよくなっちゃった。
ぼくが帰るときには怒鳴り合いなのに、
彼が帰るときは、彼を拝むんだそうです。
心はちゃんと見透かされています。
決してだませません。
写真
糸井
でもぼくは、
小堀先生の「ころあい」がとても好きでした。
これがフィクションのドラマなら、
「座る」演技が要求されますよね。
でも現実はそんなことない。
先生は「誰だってこれはきついよ」という場所に、
「嫌じゃないわけじゃないけどもやるよ」
という、ごくニュートラルな態度で
臨んでおられました。
小堀
そうそう。そうですね。
糸井
それは経験の中で得たことなんだろう
と思いました。
「この先生はうまいこと部屋に入っていくなぁ」
ということひとつでも、
いろんなことを思わされました。
(つづきます)
2019-09-23-MON
小堀鷗一郎医師と在宅医療チームに密着した
200日の記録
写真
(C)NHK
小堀先生と堀ノ内病院の在宅医療チームの活動を追った
ドキュメンタリー映画です。

2018年にNHKBS1スペシャルで放映され
「日本医学ジャーナリスト協会賞映像部門大賞」および
「放送人グランプリ奨励賞」を受賞した番組が、
再編集のうえ映画化されました。



高齢化社会が進み、多死時代が訪れつつある現在、
家で死を迎える「在宅死」への関心が高まっています。

しかし、経済力や人間関係の状況はそれぞれ。
人生の最期に「理想は何か」という問題が、
現実とともに立ちはだかります。

やがては誰もに訪れる死にひとつひとつ寄り添い、
奔走してきた小堀先生の姿を通して、
見えてくることがあるかもしれません。

下村幸子監督は、単独でカメラを回し、
ノーナレーションで映像をつなぐ編集で、
全編110分を息もつかせぬような作品に
しあげています。

9月21日(土)より
渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国公開。
『死を生きた人びと 

訪問診療医と355人の患者』
小堀鷗一郎 著/みすず書房 発行
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小堀鷗一郎先生が、
さまざまな死の記録を綴った書。
2019年第67回エッセイスト・クラブ賞受賞。
いくつもの事例が実感したままに語られ、
在宅医療の現状が浮びあがります。
映画とあわせて、ぜひお読みください。
『いのちの終いかた 

「在宅看取り」一年の記録』
下村幸子 著/NHK出版 発行
写真
映画『人生をしまう時間』を監督した
下村幸子さんが執筆したノンフィクション。
小堀先生の訪問治療チームの活動をはじめ、
ドキュメンタリーに登場する家族の
「その後の日々」なども描かれています。