いつか来る死を考える。 いつか来る死を考える。
人生の終わりの時間を自宅ですごす人びとのもとへ、
通う医師がいます。

その医療行為は
「在宅医療」「訪問診療」と呼ばれます。

これまで400人以上の、
自宅で死を迎えようとする人びとに寄り添った
小堀鷗一郎先生に、
糸井重里がお話をうかがいます。
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
第7回 死は、思い及ばない世界でできている。それは確かです。
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糸井
医師は医師でも、人によって、
技術だったり出世だったりで、
いろんな要素があるものですね。
小堀
それはそうですよ。
特に外科医としては、
短い時間で手術して出血量が少なくて、
それでもって早く退院させりゃ、
病院の中で何言ったって大丈夫です。
糸井
なんだかプログラマーの話を聞いてるみたいです。
小堀
ただね、そこまで言うならば、
申しあげないといけない。
ぼくには失敗も多いんです。



外科医として働いていたぼくは、
たとえば慈恵医大の医師が
あきらめたケースがあったら、
燃えちゃったわけですよ。
よその患者を東大へ連れてきて手術して成功する。
そうしていると、もう、
なんでもできると思っちゃうんですよ。



しかし、次にまた同じような手術があり、
失敗することがありました。
食道の場合、手術失敗は、
手術で亡くなるってことです。



40年間の外科医としての生活を考えると、
「自分じゃなきゃ助けられなかった患者の数」と、
「自分が殺した患者の数」は、
同じぐらいじゃないかなと思うことがあります。
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糸井
だけど、ほかの病院であきらめていた場合は、
失敗といっても。
小堀
そうです、ほっといても死ぬんです。
でも手術死という汚名を着てしまう。
ご本人だって家族だって、手術死は嫌です。
糸井
ほかで「手術できない」人を
受け入れて手術して‥‥。
小堀
そう。たくさんの手術をしました。
たとえば37キロのおばあちゃんね、
ぼくは一緒に写真撮って、
いまも部屋に飾ってあります。
その人を手術したときにも自信がありました。
手術をせずに放射線をかけたら、
その人の1年は「ない」んです。
放射線しようが、食道は結局ただれてしまって、
ごはんは食べられないんです。
いわば、命を延ばすだけになる。
だったらぼくが手術するよ、1年をすごせるようにね。



そのおばあちゃんを手術して、
うまく食えるようにして家に帰しました。
ぼくは自信満々でした。
おばあちゃんにはこう伝えました。
「1年以内に死なないでね。
ぼくのメンツってものがあるから」と。



放射線科の医師は、
そのおばあちゃんの命を1年もたせるために
放射線をかけようとしたんです。
だけど同じ1年だったら、
治療に通って傷めた食道で苦しい思いをするのと、
うちでごはんを食べるのとどっちがいいか考えて、
ぼくは手術したんだ、と。



これは物語のようで本当の話なんですが、
そのおばあちゃんは、
退院後365日目に亡くなりました。
最後にものを食べられなくなって、
つまり再発して、
東大の近くの病院に入った。
糸井
それはある種、友情のような。
小堀
なんていうか、偶然ですね。
神がかってました。
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糸井
ぼくの友達で膵臓がんで亡くなった人がいます。
とても頭のいい人で、
ものごとをなんでも冷静に判断できる人でした。



彼にはそばでいっしょに仕事をしていた
もうひとりの友達がいました。
お葬式の日、そのもうひとりの友達に
「彼はどのくらい生きるつもりでいたんだろうか」
と訊いてみました。
その友達は、
「いや、死ぬと思ってなかったんじゃないですか」
と応えました。
小堀
ああ、
そういうこともありますね。
糸井
ぼくは「余計なことを言ったな」と思いました。
しかし亡くなった彼は、
ぼくにそんなことを思わせるほどの、
冷静な人だったのです。
でも実際はちがう。
彼はおそらく、まだまだ生きるつもりで
治るつもりだったのです。
小堀
そんなふうに、死というものは、
思い及ばない世界でできちゃっています。
それは確かです。
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糸井
ぼくもこの映画を見てあらためて
そのことを感じています。
先生としては、これを見た人が
どうなったらうれしいですか? 
小堀
やっぱり「死ぬことを考える」ということでしょうね。
「死に思いを致す」というか、
そういうことだと思います。



若い方はそんな必要はないですよ、
死ぬ確率も少ないからね。
でもある程度年をとったら、
「やっぱり自分も死ぬんだな」
ということを考えたらいいと思います。
昔は80でしたけど、いまは85以上かな。
85を過ぎたら、考えたほうがいい。
糸井
85歳。
リアリティがありますね。
小堀
「こういう死に方をしたい」とか、
「自分が死ぬんだな」と考えるうちに
別なことが頭に思い浮かびます。
それもやっぱり大事なんですよ。
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糸井
言い方は変ですけれども、
「死を健康に考える」
ということができるかもしれないですね。
小堀
それはひじょうに斬新ですね。
とてもいいと思います。
糸井
犬や猫と一緒にいると、
ある1匹が死んだとき、
ほかの犬や猫が哀悼にやってきます。
ちょいと匂いを嗅いで去っていく。
あれは冷たいわけではなくて、
とても健康的なことだと思います。
たぶん人も本当はそうです。



だけどなぜかぼくたちは
死を暗いところに追いやってしまった。
そのおかげで
生きることがたのしくなったかというと、
決してそんなことはない。
小堀
うん、そうですね。
糸井
死とちゃんと手をつなぐことができたら、
生きることにつながっていくと思います。
死を思ったら、たとえば、
「過剰に欲張る必要もないな」なんてことに気づくし、
先生のおっしゃる「バランス」が
とれるようになると思います。
ぼくはだから、あんがい若い人に
この映画を見てほしいと思っています。
小堀
それはいいですね。
糸井
これは責任や善悪の話なんかじゃないし、
人が生きて死ぬのは全部セットだよ、
ということがよく伝わる
ドキュメンタリーだと思います。
見る前は苦手かもしれないと思ったけど、途中から
「なんでこんなにおもしろいのかな」と
不思議になりました。
それはたぶん、出てくる人たちみんなが
だいたい思ったとおりのことを
言ったりやったりするからなんですよ(笑)。
つまり、ふつうなんです。みんなも見ればいい。
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小堀
いやぁ、そうなるとうれしいです。
ありがとう。
(つづきます)
2019-09-25-WED
小堀鷗一郎医師と在宅医療チームに密着した
200日の記録
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(C)NHK
小堀先生と堀ノ内病院の在宅医療チームの活動を追った
ドキュメンタリー映画です。

2018年にNHKBS1スペシャルで放映され
「日本医学ジャーナリスト協会賞映像部門大賞」および
「放送人グランプリ奨励賞」を受賞した番組が、
再編集のうえ映画化されました。



高齢化社会が進み、多死時代が訪れつつある現在、
家で死を迎える「在宅死」への関心が高まっています。

しかし、経済力や人間関係の状況はそれぞれ。
人生の最期に「理想は何か」という問題が、
現実とともに立ちはだかります。

やがては誰もに訪れる死にひとつひとつ寄り添い、
奔走してきた小堀先生の姿を通して、
見えてくることがあるかもしれません。

下村幸子監督は、単独でカメラを回し、
ノーナレーションで映像をつなぐ編集で、
全編110分を息もつかせぬような作品に
しあげています。

9月21日(土)より
渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国公開。
『死を生きた人びと 

訪問診療医と355人の患者』
小堀鷗一郎 著/みすず書房 発行
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小堀鷗一郎先生が、
さまざまな死の記録を綴った書。
2019年第67回エッセイスト・クラブ賞受賞。
いくつもの事例が実感したままに語られ、
在宅医療の現状が浮びあがります。
映画とあわせて、ぜひお読みください。
『いのちの終いかた 

「在宅看取り」一年の記録』
下村幸子 著/NHK出版 発行
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映画『人生をしまう時間』を監督した
下村幸子さんが執筆したノンフィクション。
小堀先生の訪問治療チームの活動をはじめ、
ドキュメンタリーに登場する家族の
「その後の日々」なども描かれています。