BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。


婦人公論井戸端会議<
(全5回)

第1回 ノストラダムス・ケーキ

第2回  明るい預言者

第3回  終末に期待する気持ち

第4回
宇宙との感応関係<

糸井 鏡さんが占星術の世界に入ったきっかけは?
小さい頃から占いが好きだったんです。
星占いの専門書は全部買ってたし。
糸井 占いオタクだった。
はい。だから大変だったんです。
藤本 大変って?
占いや神秘的なものとか、
うさん臭いものが好きで好きで
しょうがない自分がいる。
ところがもう片方で、このお利口な僕が
なんで非合理的な占いなんか−−
という葛藤がありまして。
それが高校時代にユング派の心理学に出会って、
心理学と占星術がやってることは、
その構造が同じだと気づいたんです。
つまり、心理学も占星術も、
具体的な事実ではなく、
むしろイメージを味わうもので、
基本はその人の物語を与えてあげることなんだって。
それがわかってから、
心理学と占星術をくっつければいいやと思って、
今に至ってます。
糸井 研究、実践する立場として、
占星術の面白さって、どういうところですか。
占星術はホロスコープという、
ある瞬間の太陽系の配置を
円形の図にあらわしたものを使って、
それが示す意味を読み取るもので、
占いといっても完全な霊感じゃなく、
システム的になっています。
どんなに合理的な自分であっても、
占いを信じちゃう自分もいる、
そういう人間にとっては格好の素材だと思います。
糸井 当たる当たらないについては、
どう考えればいいんです?
当たる当たらないということより、
大事なのは世界をどういうふうに見るか
ということなんです。
占星術が予言にずっと利用されてきた歴史があるのは、
個人の運命、あるいは地球の運命でもいいんですが、
そういうものが意味のない、
何でもない出来事の集積ではなく、
ひと続きの流れ、物語になっているという見方を
どこかでしているからです。
糸井 うん、したくなる。
今、自分がここで苦しんでいたり、
何か経験していることは無意味なことじゃない、
宇宙的な意味が与えられていると考えたとき、
その意味を示してくれるのが星の動きなんです。
糸井 人と宇宙の関係をどんどん微細にしていくと、
僕とコーヒカップのこの距離も
星の並びの影響があるわけですね。
占星術の世界観というのは、
僕たちのこの世で起こっていることは、
宇宙の完璧な秩序のちょっとぼやけた世界だ
というものなんです。
だから宇宙のモデルを当てはめて考えれば
予言もできるはずだというのが、
もともとの考え方です。
イギリスの占星術家に言わせると、
なくした鍵のありかまで
ホロスコープに出るんだそうです。
本当かどうかはわからないけど(笑)。
ただ、その鍵を探し出すことが
占星術家にとって大事なんじゃなくて、
宇宙と地球で起こっていることとの間には、
そこまで感応関係がある。
それにシビレちゃうんだと言うわけです。
糸井 でも、占ってもらう側は、
予言でいやなことが出たら、イヤだよね。
宇宙と地球で起こっていることの法則は
同じだというのは、別の言い方をすれば
「宿命」ということですね。
で、占星術は一方で、
その宿命論に対する言い訳の闘いの
歴史でもあるんです。
糸井 変えられると思いたい。
ええ。それで最近では心理学と結びつけようとか
科学にしようとか、その時代でいちばんポップで
トレンドな学問にすり寄っては、
これだけ大きくなってきたんです。
だから、ノストラダムスばりの
したたかなやつなんです、占星術は。
藤本 ノストラダムスもお客さんに悪い兆候が出ると、
それをうまく取り繕いますね。
「こう出ましたけど、
こういうことで回避できるでしょう」と。
「あなたなら大丈夫です」みたいに。
力のある人に対して、
ゴマスリの意味もあったかもしれない。
藤本 あるいは人の精神性を信じていたか。
精神力で乗り越えられるから、
それを刺激する言葉を言って支えてあげる。
糸井 占星術ってどのくらいの歴史があるんですか。
何を基点とするかは難しいのですが、
5000年と言われています。
糸井 その生き延びている力を支えているのが、
人間の弱さであり、強さであり……。
人って、やっぱり昔から変わらないんだ
というのが面白いですね。
僕は、当たりはずれを超えて、
物語やイメージを生産して味わうための
豊かで伝統ある装置として、
占星術や予言をとらえるといいと思うんです。
オウムの問題では、
予言のイメージを味わうことをしないで、
あれほどまでにマジに意味を受け止める人たちがいた、
それがショックでしたね。
藤本 ノストラダムスの場合だと、
よきキリスト教徒ですから、
かなり聖書に添って生きていたと思うんです。
ただ、聖書の価値観、人生観をベースにしながら
星を見ていたわけでしょう。
キリスト教というのは
終末に向かって一直線に生きる宗教です。
そして終末が来て、救われて、復活するという思想。
一方で、星を見るのは巡る思想というか、
循環系の思想ですよね。
ノストラダムスは両方の思想の狭間に生きた
という感じがします。
キリスト教をベースにしながら、
星を見て天体の巡る動きを自分の中に取り入れて、
両方が交じり合う雑ぱくなところに
生きているみたいな……。
糸井 これまで日本は、わき目もふらず、
上ばかりをまっすぐ睨んで進んできた。
でも、そのうち「できねぇ」って言うと思うんです。
そういうときに、藤本さんがおっしゃるような
ノストラダムス的発想にもっと興味がいくと
面白いかもしれない。
鏡さんみたいに、占いというものを俯瞰的に見ながら、
物語として楽しみます、
という考え方もまた面白そうだし。
ノストラダムスについては、多分、来年以降、
まっとうな評価がされてくるんじゃないですか。
今は1999年の呪縛がありますが。
糸井 素朴な疑問ですけど、13星座の星占いってありますね。
「蛇つかい座」というのが加わったやつ。
あれ、何なんですか。
ありましたねぇ。
いや、星占いは12星座のほうを見てください。
「13星座」の発端は、イギリスの天文学者が書いた
占星術へのバッシング記事なんです。
天文学的にはこの位置に蛇つかい座もあるじゃないかと。
だけど占星術でいう牡羊座とか牡牛座って、
実際に星空に見えるものじゃないんですよ。
ホロスコープでは、地球から見た太陽の通り道を
春分点を基準に30度ずつ均等に12分割して、
宇宙空間の座標をつくります。
そこに星座の名前をつけているだけなんです。
だから実際に空に見える牡羊座と
占星術でいう牡羊座とは、
富士山と富士見町くらいの違いがある。
それを天文学者は理解していなかった。
糸井 あらら。
だからあの記事はイギリスでは無視されたのに、
日本のマスコミだけが真に受けてしまった、
というのが実情で。
糸井 僕ら、占星術をほんとうに曖昧にしか知らないからね。

(つづく)

第5回 さて、恐怖の7月は?

2000-01-10-MON

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