第4回
宇宙との感応関係<
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糸井 |
鏡さんが占星術の世界に入ったきっかけは? |
鏡 |
小さい頃から占いが好きだったんです。
星占いの専門書は全部買ってたし。 |
糸井 |
占いオタクだった。 |
鏡 |
はい。だから大変だったんです。 |
藤本 |
大変って? |
鏡 |
占いや神秘的なものとか、
うさん臭いものが好きで好きで
しょうがない自分がいる。
ところがもう片方で、このお利口な僕が
なんで非合理的な占いなんか−−
という葛藤がありまして。
それが高校時代にユング派の心理学に出会って、
心理学と占星術がやってることは、
その構造が同じだと気づいたんです。
つまり、心理学も占星術も、
具体的な事実ではなく、
むしろイメージを味わうもので、
基本はその人の物語を与えてあげることなんだって。
それがわかってから、
心理学と占星術をくっつければいいやと思って、
今に至ってます。 |
糸井 |
研究、実践する立場として、
占星術の面白さって、どういうところですか。 |
鏡 |
占星術はホロスコープという、
ある瞬間の太陽系の配置を
円形の図にあらわしたものを使って、
それが示す意味を読み取るもので、
占いといっても完全な霊感じゃなく、
システム的になっています。
どんなに合理的な自分であっても、
占いを信じちゃう自分もいる、
そういう人間にとっては格好の素材だと思います。 |
糸井 |
当たる当たらないについては、
どう考えればいいんです? |
鏡 |
当たる当たらないということより、
大事なのは世界をどういうふうに見るか
ということなんです。
占星術が予言にずっと利用されてきた歴史があるのは、
個人の運命、あるいは地球の運命でもいいんですが、
そういうものが意味のない、
何でもない出来事の集積ではなく、
ひと続きの流れ、物語になっているという見方を
どこかでしているからです。 |
糸井 |
うん、したくなる。 |
鏡 |
今、自分がここで苦しんでいたり、
何か経験していることは無意味なことじゃない、
宇宙的な意味が与えられていると考えたとき、
その意味を示してくれるのが星の動きなんです。 |
糸井 |
人と宇宙の関係をどんどん微細にしていくと、
僕とコーヒカップのこの距離も
星の並びの影響があるわけですね。 |
鏡 |
占星術の世界観というのは、
僕たちのこの世で起こっていることは、
宇宙の完璧な秩序のちょっとぼやけた世界だ
というものなんです。
だから宇宙のモデルを当てはめて考えれば
予言もできるはずだというのが、
もともとの考え方です。
イギリスの占星術家に言わせると、
なくした鍵のありかまで
ホロスコープに出るんだそうです。
本当かどうかはわからないけど(笑)。
ただ、その鍵を探し出すことが
占星術家にとって大事なんじゃなくて、
宇宙と地球で起こっていることとの間には、
そこまで感応関係がある。
それにシビレちゃうんだと言うわけです。 |
糸井 |
でも、占ってもらう側は、
予言でいやなことが出たら、イヤだよね。 |
鏡 |
宇宙と地球で起こっていることの法則は
同じだというのは、別の言い方をすれば
「宿命」ということですね。
で、占星術は一方で、
その宿命論に対する言い訳の闘いの
歴史でもあるんです。 |
糸井 |
変えられると思いたい。 |
鏡 |
ええ。それで最近では心理学と結びつけようとか
科学にしようとか、その時代でいちばんポップで
トレンドな学問にすり寄っては、
これだけ大きくなってきたんです。
だから、ノストラダムスばりの
したたかなやつなんです、占星術は。 |
藤本 |
ノストラダムスもお客さんに悪い兆候が出ると、
それをうまく取り繕いますね。
「こう出ましたけど、
こういうことで回避できるでしょう」と。 |
鏡 |
「あなたなら大丈夫です」みたいに。
力のある人に対して、
ゴマスリの意味もあったかもしれない。 |
藤本 |
あるいは人の精神性を信じていたか。
精神力で乗り越えられるから、
それを刺激する言葉を言って支えてあげる。 |
糸井 |
占星術ってどのくらいの歴史があるんですか。 |
鏡 |
何を基点とするかは難しいのですが、
5000年と言われています。 |
糸井 |
その生き延びている力を支えているのが、
人間の弱さであり、強さであり……。
人って、やっぱり昔から変わらないんだ
というのが面白いですね。 |
鏡 |
僕は、当たりはずれを超えて、
物語やイメージを生産して味わうための
豊かで伝統ある装置として、
占星術や予言をとらえるといいと思うんです。
オウムの問題では、
予言のイメージを味わうことをしないで、
あれほどまでにマジに意味を受け止める人たちがいた、
それがショックでしたね。 |
藤本 |
ノストラダムスの場合だと、
よきキリスト教徒ですから、
かなり聖書に添って生きていたと思うんです。
ただ、聖書の価値観、人生観をベースにしながら
星を見ていたわけでしょう。
キリスト教というのは
終末に向かって一直線に生きる宗教です。
そして終末が来て、救われて、復活するという思想。
一方で、星を見るのは巡る思想というか、
循環系の思想ですよね。
ノストラダムスは両方の思想の狭間に生きた
という感じがします。
キリスト教をベースにしながら、
星を見て天体の巡る動きを自分の中に取り入れて、
両方が交じり合う雑ぱくなところに
生きているみたいな……。 |
糸井 |
これまで日本は、わき目もふらず、
上ばかりをまっすぐ睨んで進んできた。
でも、そのうち「できねぇ」って言うと思うんです。
そういうときに、藤本さんがおっしゃるような
ノストラダムス的発想にもっと興味がいくと
面白いかもしれない。
鏡さんみたいに、占いというものを俯瞰的に見ながら、
物語として楽しみます、
という考え方もまた面白そうだし。 |
鏡 |
ノストラダムスについては、多分、来年以降、
まっとうな評価がされてくるんじゃないですか。
今は1999年の呪縛がありますが。 |
糸井 |
素朴な疑問ですけど、13星座の星占いってありますね。
「蛇つかい座」というのが加わったやつ。
あれ、何なんですか。 |
鏡 |
ありましたねぇ。
いや、星占いは12星座のほうを見てください。
「13星座」の発端は、イギリスの天文学者が書いた
占星術へのバッシング記事なんです。
天文学的にはこの位置に蛇つかい座もあるじゃないかと。
だけど占星術でいう牡羊座とか牡牛座って、
実際に星空に見えるものじゃないんですよ。
ホロスコープでは、地球から見た太陽の通り道を
春分点を基準に30度ずつ均等に12分割して、
宇宙空間の座標をつくります。
そこに星座の名前をつけているだけなんです。
だから実際に空に見える牡羊座と
占星術でいう牡羊座とは、
富士山と富士見町くらいの違いがある。
それを天文学者は理解していなかった。 |
糸井 |
あらら。 |
鏡 |
だからあの記事はイギリスでは無視されたのに、
日本のマスコミだけが真に受けてしまった、
というのが実情で。 |
糸井 |
僕ら、占星術をほんとうに曖昧にしか知らないからね。
(つづく) |