第2回 発見の「安売り王」
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糸井 |
谷川さんの場合、頼まれて書いてはいるけれど、
イヤだったらやらないわけですよね。 |
谷川 |
もちろんそうです。 |
糸井 |
あのときは引き受けたけど、
今は書きたくないってこと、いっぱいありますよね。
だけど書き始めたら面白くなっちゃった、
ということが自分を支えてきたというか。
あれ何でしょうねえ……。
谷川さんの作品だって、全部頼まれたとはいうものの、
自発的につくったのと結果的には同じなんだから。 |
谷川 |
同じなんですよ。
自発的につくったものより
頼まれたもののほうがいいってことは、
しょっちゅうあります。
それと、注文されて原稿料をもらうということで
すごく責任を感じてたから、
最初から人さまのために
お役に立ちたいみたいなのがすごくあって。
ただ、そのことで僕はずいぶん軽蔑されていたんですよ。
詩人の風上にも置けないと言われて。 |
枡野 |
詩人をやって、それを生活の糧にする人は
あまりいなかったでしょう。 |
谷川 |
結果的にそうしてた人は、
三好達治さんや草野心平さんとか、いたんですよ。
だけどその後は、たとえば
音楽や広告業界のほうが金になるからと、
本来、詩人であるべき人が
そちらに流れていったというのはありますね。
僕は生活の糧として詩を書いてきたという意識が
すごく強いけど、それだけじゃなく、
雑文とか翻訳、脚本とか、
いろいろなことをしてやっと食えてきたという感じです。 |
糸井 |
でも堂々と、
「生活のために詩を書いてきた」
と言える人って、そんなにいないですね。
隠さざるを得なかった。
「生活の糧だ」
と言ったとき、
「じゃあ、金が価値か」
と取り違えられる。 |
谷川 |
そうそう。
憎まれますよ、そういうこと言うと。 |
糸井 |
でも金だけではないし。
じゃあ「生活」って何だろうと、
その延長線上を見ると、生きること自体ですよね。
つまり生きること自体の価値を
本当は求めているわけで、
何らやましいことはないのに、
途中のところで思考停止して、
批判したりする人が現われると、
何で書くのかという意味が全部失われて、
生きている面白さもなくなっちゃう。
だけど、「生活の糧」でも「働きたくない」でも、
どんどん言っちゃっていいと思う。
その上で、じゃあ、何でやってきたかというと、
「たまに面白かったからだよ」
ってね。 |
枡野 |
その、たまに面白いというのが貴重なんですよね。 |
谷川 |
書き始めるうちに、思いがけない楽しさを見つけたり。 |
糸井 |
読者カード一枚でも、
谷川さんを幸せにしたりすることあるでしょう。 |
谷川 |
感動したのありますよ、
もう一生幸せというくらい。 |
糸井 |
ねえ……。
ところで、枡野君の作品を読んだら、
「あっ、それやってたのね、きみ」
という言葉をポロポロ生み出してて、
僕はその卵の産み方が小気味よかったんですね。
谷川さんも僕にとってはそういう方ですけど、
逆に谷川さんが他人の産んでる卵を見て、
「ああーっ」
って思うことはあるんですか。 |
谷川 |
あまり人のものは見ないんですよ。
でも宇多田ヒカルさんの
『Automatic』というのには、
ちょっと感心しましたね。
たまたま知ってるバンドの人に教えられて、
聴きながら歌詞カード見たら、
女の恋愛をすごくうまく書いていると思って。 |
糸井 |
僕もこのあいだ彼女の書いた文章を見たんですけど、
いいカンしてますよね。
勉強しない子の、
なおかつやればできちゃう子のいい感じがある。 |
谷川 |
僕、歌詞というのは、
フォークの頃からずっと気になってて、
友部正人という人の歌詞は、
普通の現代詩よりずっと面白いと思ってたし、
矢野顕子さんもそうですね。 |
枡野 |
ああ。そういうところも見てらっしゃるんですか。 |
谷川 |
読むんだったら、詩集よりも
他のものを読んだほうが楽しいというのは
昔からずっとあるんです。
たとえば糸井さんもお好きな
ミラン・クンデラの小説とか。
とくに、彼の詩に対する悪口が好きでね。
もともと詩人で、
詩がイヤになって小説家になった人なんですよ。
僕もどっちかというと詩が好きじゃないから、
こてんぱんにやられてると、その通り、
ごめんなさいみたいな感じになって、小気味いい。 |
枡野 |
詩がお好きじゃないとおっしゃったけど、
いわゆる詩人のかたのやり方って、
言葉の関節をはずして
意味をわからなくさせるっていうのが
けっこう狙いだったするじゃないですか。 |
谷川 |
そういう手法があったもんね。 |
枡野 |
でも一般の人が読むとむしろ混乱するだけで、
発見もないし、あまり楽しくない。
意味をわかりにくくしたからって、
元にたいした意味があるわけじゃないし。
わかりやすく書いて、
意味が深いものを読みたいと思うんです。 |
糸井 |
だけど、もともとの発見の数ってタカが知れてるから、
そんなにしょっちゅうはできないんだと思う。 |
枡野 |
できない、きっと。 |
糸井 |
谷川さんは、その発見が山ほどあるんじゃないですか。
頭の中はものすごく働き者なんだと思いますよ。 |
谷川 |
以前糸井さんにほめられて嬉しかったのは、
「安売り王」と言われたことね。 |
糸井 |
僕が名づけた「三大安売り王」は、
吉本隆明、橋本治、谷川俊太郎。
値段、場所に関係なく、
取っては出し、取っては出し。(笑) |
枡野 |
僕は詩を読んで
「これは素晴らしい」と思ったら、
一篇が本一冊の値段と同じであっても
いいと思うんですよ。 |
糸井 |
そう。
「すごいじゃない」と言うんなら、
金払えよってね。 |
枡野 |
この詩一つあれば、
何年も過ごせるというものがあるでしょう。
いつもいつも取り出して読むとか、
何かというとよみがえってくるというような。 |
谷川 |
古典なんか、そうですね。 |
枡野 |
そういうものだったら、
本当にお金を払いたくなる。
だけど、そういうことでは流通しないし……。
僕の出した歌集はめちゃめちゃ字がデカくて、
見開きで歌一つなんです。
自分ではぜんぜんうしろめたくないんですけど、
まわりからは、さんざんに言われました。 |
糸井 |
だから僕は、
切手を発行すべきだと思うんですよ。 |
谷川 |
切手? |
糸井 |
小さな切手に詩が書いてあって、
一枚千円のもあるし、二万円のもある。 |
枡野 |
詩によって値段が違う。 |
谷川 |
虫眼鏡で読むような……。
いいけど郵便局に持っていくと、どうなるの? |
糸井 |
郵便としては使えないの。(笑) |
枡野 |
でも、その詩が好きな人は買ってずっと楽しめるし、
詩人も潤うんですね。
つくってほしいなあ、
僕の短歌で。
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