BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。

第1回 人は笑いたい

第2回
辛抱はこわい!

糸井 落語はいちばん小さな劇団みたいなもので、
登場人物すべてを一人で演じますね。
たとえばカミさんのセリフをダンナが言っちゃった、
そういう事故は起こったりしませんか。
談志 当然、間違えることもある。
でも、驚かないんだ。
あたしは全部アドリブだし、
落語は俺の分身みたいなものですから。
亭主のセリフを女房でやっちまったとすると、
「ちょっとおまえさん、間違えたわね。
今のはあたしのセリフだよ。
先に言っちゃうとやりにくいよ」
「俺が間違えたんじゃねえんだ。
演者が間違えているだけなんだ」って、
やってる俺自身のせいにしちゃってね。
糸井 お客は落語のネタというより、
「談志」を楽しみに行ってる。
談志さんからすれば、
「俺を見にくりゃいいんだ」と。
談志 そういうことです。
俺のは全部、落語を利用した自分の意見ですから。
俺の場合、たとえば『野ざらし』という噺をやって、
次にまたそのネタをやると、ぜんぜん違う。
サイクルが早いんですよ。
“『野ざらし』をやりゃあいいじゃないか”
って言われるが、それ、やなんだよ。
毎回やるたんびに試験勉強みたいなもので、
もっといいものはできないかという、
人一倍、激しい思いはありますわね。
糸井 他の落語家さんが
同じ噺をしたあとのやり方は、
また変わる。
談志 うん。
ただ、その刺激を与えてくれるヤツはいないね。
実はこういう言い方はみっともないのよ。
普通の落語家だと、
テレて「利口ぶったバカ」をやる。
これなら観客も優越感に浸れるの。
俺の場合、「利口ぶった利口」だと言うんです。
始末が悪いやね。
だけど、そういうハレンチなところを全部ハダカで出す。
だから俺はすごいんだって居直ってるの。
糸井 ずっと、それできてますもんね。
談志 それでさ、俺はギャグもできれば、
セリフの入れ替えも脚色もできる。
でもね、ストーリーは書けないんですよ。
つまり、『饅頭こわい』に
いろんなことを入れていくことはできるけど、
『饅頭こわい』の噺そのものは書けない。
辛抱が足らねえと言ったヤツがいるんだけど、
これ、何なんですかね。
三谷 ……辛抱でしょうね。(笑)
糸井 それ、わかるな。
僕がゲームのストーリーを考えるとき、
面白いことだけ追求して進めていくと、
矛盾がやたら起きるんです。
「もう前のことを忘れてるってことでどう?」
と言うと、助手をしてくれてるヤツが、
「それはまずいです」と。
それで、
「じゃ、このへんのセリフを変えて何とかしましょう」
と言うんだけど、
そんな具合に、あとでもう一回、
微調整しなくちゃいけないのがいやなの。
それが「辛抱」の部分なんでしょうね。
多分、談志さんも、あとの微調整をやりたくない。
三谷さんは、苦しんでそれをやる。
三谷 僕の仕事は論理と理屈だけですから。
そのかわり書き始めるまで、すごく時間がかかります。
構成表を細かくつくって、
パズルみたいだけど、どこをとっても矛盾がないように、
しかも俳優さん全員に見せ場があるようにしたり、
いいセリフを振り分けたりとか、
すべて考えてからじゃないと書き始められない。
糸井 それでパズルが面白くて、
うまくいったときは、辛抱も楽しいと。
三谷 ただ、ほんとに完璧にはまったというのは、
十回に一回くらいですが。
糸井 逆に、はまんないよさも出てくることがありますね。
ちょっと違うのがウケたということも……。
三谷 理屈に合わないものがもってる力強さ、
みたいなものはありますね。
コーラスでも、多少ハーモニーから外れてたほうが
逆に印象に残る場合がありますし。
糸井 またゲームの話ですが、
宝物を取りにいくゲームをつくるとき、
簡単にたどりつけないよう障害物を置くんです。
石や岩じゃつまらないんで、
僕はタコを並べようと思いつきで言うわけね。
ところが、じゃあタコを乗り越えるには
どうすればいいか?
そこで悩む。
それで、“タコ消しマシーン"をつくったり。
そういうふうに、無理なものが
「入った!」という瞬間がすごい快感なんです。
談志 俺の落語は全篇、それですもん。
『洒落小町』という噺は、
女房が「何食べるの、あんた」ってところで、
「刺し身にしましょか」で、
『買い物ブギ』じゃないけど、
「タイにヒラメにカツオにマグロにブリにサバにする」
と、ダーッと並べる。
そこに俺は、
「チャーシュー、ワンタンメン、ピザパイ、トムヤムクン」

と並べてきて、しまいにゃ
「ウォッカ、鰻丼、新幹線……」。
そういうイリュージョンみたいなものを、
片っ端からぶち込んじゃってる。
だから『饅頭こわい』なんぞ、何が怖いって、
ありとあらゆるものが怖くなってくるんだ。
糸井 そのつど、違うわけですね。
談志 そう、違うの。
「日の丸が夕陽に当たると怖いね」と、
何だかわけのわかんないものもあれば、
もちろん、わかるヤツもある。
多勢で饅頭をもってくるとき、
普通は蕎麦饅頭や酒饅頭ですが、
俺は、「カリフォルニア饅頭」。
「何だい、そりゃ」
「アボガドの入ってるヘンな饅頭」。
さらに、「あげマンにさげマン」
「なんだ、そりゃあ」
「揚げた饅頭だ。こっちは下げて持ってきた」
「下げて持ってきた、それで下げ饅?」
「そう。それから、只マン」
「なんだ、ただマンってのは」
「普通の饅頭」。
一応、言い訳になってるけど。
そのうち、それこそ何だかわからない
「ネズミ取り饅頭」から「天気予報饅頭」だとか、
ギャグにも言い訳にもならないような、
そんな場合もあるんだな。
糸井 無理が出るほど面白いっていう。
談志 そこがセンスだね。
何でも並べりゃいいってもんじゃない。
以前、円鏡さんに、
「オリンピックでインドは何が強い?」
とぶつけたら、
「福神漬けの選りっこがうまい」
って、俺、ひっくり返って笑ったけど、
こういうのもセンスね。
糸井 落語だと、無理を入れるための
きれいな箱があらかじめできていますね。
型というか……。
談志 そうそう。
そこへ俺はメチャクチャにぶっ込んでいく。
「大変たいへん」
「また始まりやがった。
なんかてえと大変たいへんって、
ほかにボキャブラリーはねぇのかい」
「たいへん(底辺)掛ける高さ割る二」、
「大変って、北朝鮮でも攻めてきたか」
「北朝鮮なんか攻めてきても、
うちは町内会がしっかりしてるから、
驚きゃしないわよ」。
そんな調子だからね。
糸井 こういう人、役者にはあまりいないでしょう。
三谷 というか、僕は生まれてはじめて、
こういう方を見ました。(笑)
糸井 談志さん、
わかってることとわかってることを組み合わせるのが
大っ嫌いなんだ。
談志 かもしれない。
でも、もともと現実の世界って、
どこかウソくさいですよ。
普段の会話だって、
心理学かじって論理分析してみると、
みんな、いかにウソついてるかわかる。
常識もウソだしね。
糸井 そういう部分がやっぱり、
談志がしゃべっているという楽しみですね。
パンダが何かやってるみたいな。(笑)
談志 肯定するには照れるけどね。
糸井 客席にはウケたけど、
それが自分が考えてたのとは違う解釈で、
たとえば高低でいえば、
低いほうで納得して大笑いが出たときなんか、
悩みませんか。
三谷 だいたい今のお客さんて、
何でも笑っちゃいますよ。
糸井 待ってますからね。
三谷 だから前はお客さんを笑わすためにと思って
つくってたけど、
今は俳優さんたちがいかに楽しんでやれるか、
稽古場のスタッフがどれだけ笑ってくれるか、
そういうところの勝負という感じで。
談志 プロの神髄はそこでしょう。
プロがプロにどれだけ影響を与えられるか。
糸井 僕もそういうのが好きなんですけど、
危ねえなと思うときもあるんですよ。
矢野顕子さんなんかニューヨークに行っちゃって、
いつでも最高のミュージシャンを集められるんです。
ほとんど打ち合わせもしないで、
どうしてそんないい演奏をするんだ、
という人とばかりやるようになっちゃうと、
どんどんそこの楽しさのほうにインしていくんですね。
談志 あたしもね、俺にとっての“いい客”ばかり来ると、
これでいいのかと思うときがありますね。
もう一度、大阪のジャンジャン横丁、
新花月の「勘定分だけ笑わせい」みたいな
ドしぶとい客の前でやらなきゃいけないんじゃねえかと。
糸井 談志さん、こいつら全部にウケさせてみせる、
みたいなこともやってますよね。
そういうことができるのは、
自分に絶対の自信があるからでしょう。
談志 その自信ですけどね、
俺は自信がないから舞台に出ていくんです。
笑わせること自体は、
こん平だって笑わせるんだから、俺にゃわけない。
そうじゃなく、もっとぎりぎりのところで、
自分がつくったものが肯定できるかできないか、
その都度、不安があるから舞台に出ていく。
糸井 三谷さんは、お客さんに対して、
どういう思いがあります?
三谷 うーん。
今のお客さんて、笑うことは笑うんですけど、
じゃあ面白がっているかというと、
そうでもなかったりする。
「笑うイコール面白い」じゃないんですよね。
意外にちゃんと見てたりもする。
談志 昔は、「笑うもんか」って客がいましたよ。
「こんなもんで笑ってたまるか、
おまえの形式なんぞには入ってやらねえぞ」
というような。
それで、こっちは考える。
“これなら笑ってくれるだろう”と、
“ここは四代目小さんでやろう”
“ここは柳好でやったら喜ぶだろう”
なんてぇことをやりましてね。
糸井 一応、品揃えしといて。
落語はデイレクター、アクターと全部自分でやるから、
気配を感じながら工夫や加減もできるけど、
芝居はそれはできない。
そうなると、舞台の幕があいたあとは、
役者のカンに任せるしかないわけですか。
三谷 だから、ほとんどキャスティングで決まっちゃう
というのがあります。

(つづく)
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第3回 テレビとの距離

第4回 テ孤独な哄笑でも

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