第3回
テレビとの距離 |
糸井 |
最近の笑いの質の変化みたいなものについて、
感じることはありますか。 |
三谷 |
今は、ダラダラ続いて
時間になったんで終わるみたいな、
オチのないものがテレビのコントの主流ですよね。 |
糸井 |
オチについては、みんな期待してないですね。 |
三谷 |
そういう笑いを、
僕はあんまり面白いと思わないんです。 |
糸井 |
オチは、そこに至るまでの波紋を
どれだけ長く立てられるかで、
面白いか面白くないかが決まりますね。 |
三谷 |
だからコントの台本を書いてた時は、
オチに至るフリの部分がいちばん難しかったです。 |
糸井 |
今のコントの笑いは、
そこまで引っ張りこまないのかもしれない。
おかずがあるのに、ご飯は出ないみたいで、
僕はオチがないと落ち着かないなあ。 |
三谷 |
多分、イギリスの『モンティ・パイソン』あたりから、
延々続いてフェイドアウトして
終わっちゃうみたいなのが始まって……。
オチがないほうが高級な感じがするんですかね。
僕はSMAPは大好きですけど、
テレビで見る彼らのコントに面白さは感じない。
突飛なシチュエーションだけあって、
オチもなく終わって。
でも、見て笑っている人は、
あれでよしと満足してるんでしょう。
僕なんか、もっと面白いことはあるんだよ
というのを伝えたいんですが。 |
談志 |
落げ(オチ)のないほうが気持ちいいというんで、
みんながそっちへばかり行くと、
“談志の落語を聞くより、
俺の弟子みたいに勉強しねえヤツの
日常をカメラで追ってるほうが
むしろ落語の本質を実存で示しているのだから
よほど面白いよ”というのと同じになっちゃうわけでね。
そうなると、つくり手って何だ、
俺たちゃ何だ、ということになる。 |
糸井 |
テレビとの関係もありますね。
タダで見られるってすごいことですから。 |
談志 |
そこなのよ。
そのうち有料のチャンネルも増えるんだろうけど、
「みのもんた」に金払って見るヤツいるのかね。 |
三谷 |
つくり手としては、わざわざお金を払って
見に来てくれる人のためにやる舞台と違って、
テレビって道端でやってるようなものでしょう。 |
糸井 |
視聴者は通行人ね。 |
三谷 |
力を入れてやらないと
誰も見てくれないという意味では、
僕にとってテレビは真剣勝負のところもあるんです。 |
談志 |
だけど今のテレビは、
“大道なんだから客が来ようが来まいが大きなお世話だ”
と、そうやってるヤツのほうが多いんだよ。 |
糸井 |
通行人は、賛同しなくてもいい。 |
談志 |
でも、ほんとは賛同させなきゃ。
選挙の立ち会い演説と同じで、
一票入れさせなきゃどうしようもないんだ。
“テレビも視聴率上げなきゃ”というのはあるけど、
“とりあえずやってればいいんだろう”
みたいなのがいっぱいいるでしょう。
それらはいくらか淘汰されたほうがいいのか、
それとも、そんな状況があるからこそ、
むしろ引きつけてやろうという
一つの自我も出てくるのか……。
ほら、夜店でダルマを
コロンコロン転がしてる売人がいるじゃない。
店のおばはんは、日がな一日、
ダルマを下から上に乗っけてるだけ。
テレビはあれに近い。
俺なら料簡として、
いろんなことをして受けさせようとするね。
工夫して、“そこらにある品物とわけが違う”とか、
いろんなこと言って引きずり込むわな。
お笑いなら、“俺の笑いに所属せい!”と。
テレビはそれ、やってるかね? |
糸井 |
そんな中で、三谷さんとか
ダウンタウンの松ちゃん(松本人志)とか、
何とかしようとしてる人を見ると、
僕なんかキュンとなります。
ずいぶん危なっかしいことをしてるわけですよ。 |
談志 |
このあいだダウンタウンを見て、
“あっ、いいな”って、初めて気づきましたよ。
“俺の若い頃にそっくりだ”って。
それまで俺は松本人志を見損なってた。
「見る目を損なっていた」という意味ね。 |
糸井 |
松ちゃんのことを、不良の立ち話にすぎない、
芸でも何でもないという人もいますが、
僕は松本人志の登場以降、
自分が面白いと思うものを、
不用意にそう言えなくなった。
「そんなものが面白いの」と試されてるようで。
感じ悪いし、悔しいけど、彼の感覚は認めてしまう。 |
三谷 |
僕も松本さんは勝手にライバルだと思ってます。
世の中に面白いものがあるんだというのを
一所懸命に伝えようとしてらっしゃる点で、
尊敬もしてますし。 |
談志 |
ビートたけしはどうですか。 |
三谷 |
たけしさん……。
今のたけしさんは
「お笑い」で語ってはいけないような……。 |
談志 |
ドリフのいい時期は? |
三谷 |
好きでした。
受け手として見る分には、
今のテレビも大好きなんです。
『笑っていいとも』も好きだし、
『マジカル頭脳パワー』や
『愛する二人別れる二人』も見てますし。
自分がつくるとなったら、また別ですけど。 |
談志 |
待ってくれよ!
「つくるとなったら違う」って、
そういうことあるのかい。 |
三谷 |
つまんない番組もありますけど、
だって面白いのもたくさんありますよ。 |
糸井 |
『マジカル頭脳パワー』も? |
三谷 |
面白いですよ。
あれ、ゲストの紹介なんかぜんぜんしなくて、
すぐ本題に入るじゃないですか。
それだけで僕はまいっちゃう(笑)。
ここまでバラエティは進歩したかって。
声を変えて、それが誰かを当てるコーナー。
あれが一番好きですね。 |
談志 |
それだったら、
“このションベンは誰のだ”って当てるとか、
そこまでいきゃあ、俺は面白いけどさ。
“これは長嶋のションベン”とか。(笑) |
糸井 |
僕は、『マジカル頭脳パワー』が
隣の部屋で流れてるのを、
こっちからチラとのぞく分にはいいけど、
自分で「さあ見るぞ」と距離がぐっと近くなったら、
「やっぱりやめた」となる。
友達としていいヤツ、知り合いとしていいヤツ、
恋人としていいヤツみたいなもので、
距離じゃないですかね。
この距離を無視すれば面白いとも言えるんだけど。 |
談志 |
でも、その距離を感じるのが自我ってもんじゃないの。
まあ、そのへんは世代の違いもあるのかね。
俺、けっこう広い心はもってるつもりだけど、
見る側の芸域ってものもあるでしょ。
俺はそこに入ってこないものは断固、拒否するよ。 |
三谷 |
テレビのバラエティって、
結局は人間を見るものじゃないですか。
こういう状況で人はこんな行動をとるのかと、
そういうのって面白いですよ、やっぱり。 |
糸井 |
僕もある程度まではつきあう。
でも、最近これ、ネタが尽きてるな、
もう苦しいよなってところでやめちゃう。 |
三谷 |
僕は最後までつきあう。(笑) |
糸井 |
うわぁ、そっかあ。偉いなあ。 |
三谷 |
こんなに反響が大きいと思わなかった……。 |
談志 |
俺なんか、ときどき発見はあるけど、
現状はつまんないって決めちゃってますから。
自我を捨てて、
今の風潮に擦り寄っていくくらいなら、
『ザッツ・エンターテインメント』のビデオを
見てるほうがいい。 |
三谷 |
僕もハリウッド映画や
アメリカのホームコメディをずっと見ながら育って、
お笑いが好きになったもので、
それもわかるんですが、
同時に、『進ぬ!電波少年』も好きですし。
日曜の夜なんか『知ってるつもり!?』から
『電波少年』
『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』まで、
僕にとっては至福の時間帯なんです。 |
糸井 |
僕も同じの見てますが。(笑) |
談志 |
俺は自分のタイムリミットが
もう読めるせいもあるけれど、
そんなに心広くしてる時間がないからね。
面白けりゃあ、それでも見るけれどさ。 |
糸井 |
僕は自分で加減して見てるな。
客の僕のほうでボリューム変えながらね。 |
三谷 |
『愛する二人別れる二人』なんか、
いくらなんでもこれはヤラセだろうと疑いつつも、
それは考えないようにして、はまってます。 |
糸井 |
『バラ色の珍生』とか、僕も大泣きしますからね。 |
談志 |
それで思い出したけど、
昔、桂小金治が司会をやってるご対面番組があって、
俺がゲストで出たとき、
「ご対面です」って、
いつも会ってるおじさんが来た(笑)。
「しょっちゅう会ってるじゃねえか」って言ったら、
小金治が
「いや、あなたを初めて落語に連れていった方で」
「いや、この人じゃないよ」。(笑) |
糸井 |
つくり手泣かせの人だ。
(つづく) |
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