第3回 大好きなハンカチを求めて |
鹿島 |
さっきのユイスマンスの『さかしま』という小説では、
主人公が究極の贅沢を考え出すんです。
それは、ものすごいお金をかけて、
僧院にあるような粗末なものをつくること。
結局、そこにいくんですよ。
「粋」だとか、日本にあるいろいろな美学も、
基本的には切り捨てることにあったと思う。
貧乏ということではなく、切り捨てるという
究極の贅沢の形ですね。
一方で、ヨーロッパの美学というのは
ゴテゴテでバロックなんです。
バロックの行き過ぎでいいかげん疲れたときに、
ジャポニズムと出会い、
そこに簡素を見つけたんじゃないでしょうか。 |
糸井 |
ジャポニズムから瑣末な話になって申し訳ないんだけど、
僕は昭和23年生まれで、もともと貧乏から
スタートしているもので、ラーメン屋に行くと
チャーシューワンタンメンを食べちゃうんです。
ところが、うちの子供は「ラーメン」。
そこに僕はものすごいコンプレックスを感じるんですよ。
これ、豊かだなって。
買い物の仕方もそういうパターンなんです。 |
鹿島 |
僕もまったく同じ感覚で、中華料理屋に行くと、
まず「五目」というところに目がいく(笑)。
五目は偉いんだという発想がある。
でも、うちのセガレなんて五目に見向きもしない。
五目にブランド価値はないのね。 |
糸井 |
ないんです。人には質だの何だの言いながら、
自分じゃテンコ盛り、量の豊かさを求めてるときに、
平気で「ラーメン」。俺がこっちのほうに育てあげた、
感謝しろよという気持ちもあるんだけど。 |
茂登山 |
親が贅沢した結果、子供のうちに
“絞り込み”ができてるんですよ。 |
糸井 |
これは、ある種、希望ですよ。
この「ラーメン」に憧れ始めると、
買い物はまた面白くなりますね。 |
茂登山 |
糸井さんが最初におっしゃった
「本当に欲しいもの」という原点の話に
なるかもしれませんが、ものに対し、最初は数でいくとか、
珍しい、機能的だという方向でいくかもしれない。
だけど、いろいろなものを買い、見て、
美しいものへの感覚が研ぎ澄まされてくると、
最後は伝統や文化とか、数字に出ない価値に
向かうような気がします。
僕もあんまり量は追わないし、それでいいと思っています、
負け惜しみかもしれないけど。 |
糸井 |
負け惜しみって言わざるを得ないということは、
今は物量の時代ですか。 |
鹿島 |
物量といえば、アメリカの流通なんか大衆消費で、
最大公約数にボーンと照準を合わせています。 |
茂登山 |
アメリカの力は強大です。ヨーロッパのブランドは、
ファミリービジネスからスタートして、
ずっと小企業でやってるところが多いけど、
アメリカの場合、最初は小さくとも、資本を投入し、
会社の売買をし、そのたびに大きくなって、
次は世界戦略を展開するという具合に、
またたくまに巨大になっていく。
アメリカで生まれ、最近、日本にも登場しているのが
ファクトリー・アウトレットですが、
アメリカのブランドが出てくるのは早いです。
自社の高級ブランドがすぐに安売りされても、
気にしないんですね。 |
糸井 |
ドライに割り切っている。 |
茂登山 |
その点、ヨーロッパの人たちは、
まだいくらか抵抗があるのね。 |
糸井 |
さっき、「見えない財産」という言葉がありましたけど、
アメリカ型のワーッと大量にばらまいて、
大量に収穫をあげる、その発想の源は「見える富」ですね。
つまり、お金が残るという形。 |
茂登山 |
流通を見ている限り、何かを根強く育てていこう
という考えがあまりないんじゃないかな。
刹那的というか。それは国の若さというか、
アメリカそのものが持つエネルギーが、
じっとなんかしていられないのね。 |
糸井 |
大きいところが大量にばらまくみたいなこと
ばかりになると、買い物は退屈になりますね。
うちはこれ以上大きくならなくていい、
これだけ売れればいいんだ、
そういうことを前提にした市場ができていかないと。 |
鹿島 |
出版を例にとると、フランス文学の大先輩である
河盛好蔵さんが、「100万部の著者は2千部の著者に
嫉妬する」という名言を吐いたんですね。
つまり、2千部だけ売れるような本を、本当は書きたい。
ただ、日本では2千部でペイできるように
市場が成熟していないですから。 |
糸井 |
それは流通の問題が大きいですよね。 |
鹿島 |
こうなったら露店販売です。最高級のものをつくる
という原点にもどって、職人がつくったものは、
そのアトリエで販売する。
その形態をマーケットに乗せるところまで、
資本主義というものの大人度を高めていかなきゃ
いけないんじゃないかな。
ヨーロッパなんか、小さいところが恥じるどころか、
威張ってますよ。 |
茂登山 |
みなさんもよく知っているブランドのいくつかは、
もともと自分がつくったものを自分の店だけで
売っていました。そうやって長いあいだ続いたものが
根になり、幹を出して、ブランドになった。
ですから僕らがよく言うのは、ブランドは年輪なんだと。
今後、新しいブランドが芽を出しても、
これからの人に気長に大事に育てるだけの
根気強さがあるかどうか。
すぐに安くしてでも数を売ろうという考え方に、
現在の流れがなっていますから。 |
糸井 |
ハンカチ1枚買うのにわざわざ地方から旅費を使って
銀座まで買いに来て、そのハンカチは繰り返し洗って
ボロになっちゃったけど、まだ好き。
僕は、そういうハンカチが1枚あることの豊かさ
みたいなものが、少しずつ広がっていくかもしれない
という気もしていますが。 |
鹿島 |
ただ問題は、それを自分の判断でやっているかどうか。
ものの絞り込みさえも模倣というのが日本人の弱点で。
「これ、私のテイスト」と言ったりしますが、
そのテイストもどこかで誰かに
刷り込まれたものだったりね。 |
糸井 |
いや〜、その通りですよ。 |
鹿島 |
なぜ日本人がそうかというと、文化的レベルでの
見栄っぱりがないからです。
文化というのは、人の前で恥をかきたくない
ということですからね。
ヨーロッパの社交界なんて、人を蹴落として
恥をかかせてやろうという社会で、
それをローマ時代から何千年とやってきた。
だから揉まれてるんです。
でも、戦後の日本にそういう文化的な争いはない。
だから人の言うことをそのまま受け止めて、
「わたしも好き」と平気で言える。
他の人による刷り込みじゃない自分のテイストというのは、
茂登山さんが美術館めぐりをさんざんしたように、
エステティック──審美眼がないと生まれてこないし、
そのためには文化や美学が不可欠だということです。
女性誌のブランド紹介や、マニュアルで
学習するだけじゃダメですよ。 |
茂登山 |
僕はものを選ぶことを50年近くやってますが、
選んだものに対しては金を払わないといけない。
金を払ったものは、完全に売らなければ
次のものが買えない。
だから、ものを買うことは真剣勝負で、
勉強せざるを得なかったですね。 |
鹿島 |
仕入れにあたって、これは前に当たってよく売れた
というとき、次にはどうなさるんですか。
つまり、外角高めでホームランを打ったけど、
次の打席も同じ球を狙うかどうか。 |
茂登山 |
それはある部分、狙っていくべきなんですね。
というのも、気に入ったけど今は買えないというとき、
人は潜在的な欲望を必ず次のシーズンに持ち越すんです。
だから一つ当たったものがあれば、ある期間、
続けていきますが、シーズンごとに数を減らします。
古いものが定番として底辺に流れながら、
新しいものを注ぎ込んでミックスしていくという形で、
大事なのはそのパーセンテージ。
常に売れていた商品を前期は30パーセントにしていたけど、
そろそろ幕引の時期で、10パーセントにしておこうとかね。 |
鹿島 |
総合雑誌を例にとりますと、読者が100人いたとして、
その100人全部に気に入られようとする記事ばかりだと、
その雑誌はコケる。
誰も気に入ってくれないから。
反対にこれはぜったいにイヤだという読者が
多いかもしれないけど、2、3人にはすごくウケる
という記事をあえて入れるべきだと言われているんですね。
そういう意味で、商品のテイストはどういうふうに
構成しているんでしょう。 |
茂登山 |
ずっと一所懸命にやってきた有名なブランドを3つ、
つまり3本の大きな柱を持ちつつ、
そのテイストが合わないという方のために、
他のブランドも入れて商品構成を考えてきましたね。 |
糸井 |
巻頭特集が3つあるみたいなものですね。 |
茂登山 |
それが10年くらい前から、ヨーロッパの一流ブランドが
世界戦略の名のもと、代理店を通さず、
フランチャイズもつくらず、
世界各地でダイレクトに売るようになったんですね。
ですから、今までそのブランドをずっと扱ってきた店も、
いつ大政奉還しなきゃいけないかわからない。
最近、多く出始めているのがセレクトショップです。
店が自分なりのテイストで新しいブランドを集めて
商品を構成する。
誰も知らないブランドであっても、
コーディネイトする人間のテイストがよければ、
ブランドの力もついてくるんです。
逆に言えば、テイストを持っている人間が
いるかいないかでその店の存続が決まる。 |
鹿島 |
「編集」の時代ですね。
そして編集長にいい人がいないと、そこはつぶれる。 |
茂登山 |
まさにそうです。 |
鹿島 |
僕の専門の文芸で言うと、日本には
すぐれたアンソロジスト(選集編者)がいないんです。
自分では何もつくらないけど、自分のテイストで選んだ
短編なんかを集めて本にする人。
昔は澁澤龍彦なんかがいて、アンソロジーにも
澁澤ブランドというものがあったけど……。
ヨーロッパでアンソロジストといえば超一流の人間で、
すごく地位が高い。 |
糸井 |
アンソロジーの面白いところは、
人気のある作家の作品だけじゃなく、俺が好きなんだから、
2人しかいいと言う奴がいなくても絶対に入れるぞ、
という作品を混ぜられることですね。 |
鹿島 |
俺だけのものを選ぶという、そういうものが育たない限り、
日本の文芸も文化もダメになるし、
買い物業界もダメになる。
売り手だけじゃなく、消費者だってアンソロジストですよ。
目指すべきは、個人的な買い物芸術家ですもんね。
(つづく) |