ほぼ日刊イトイ新聞が、学校をはじめます。
「古典を学ぶ学校」です。
最初のテーマは「シェイクスピア」です。
糸井重里が長くあたためていて、
ようやくかたちにすることができました。
そこには、河野通和との出会いが
なくてはなりませんでした。
それにしても、どうして「ほぼ日」が古典を?
「ほぼ日」がつくる学校って、どんなところ?
糸井重里と、ほぼ日の学校長・河野通和が、
「ほぼ日の学校」について語りました。
- 糸井
- 去年の今ごろ、河野さんは
「ほぼ日の学校」の校長先生になるなんて、
まったく想像してませんでしたよね?
- 河野
- 夢にも思っていませんでした。
- 糸井
- そうですよね(笑)。
でも、考えてみると、
「ほぼ日の学校」の学校長として
河野さんが取り組むことって、
『考える人』の編集長としてやってきたことと
けっこう似ていると思うんですよ。
- 河野
- 私も、「ほぼ日の学校」のことが
どんどん具体的になっていくにつれて、
あぁ、変わらないのだな、と気づきました。
「ほぼ日の学校」は最初に取り組む大きなテーマに
「シェイクスピア」を選んだわけですが、
どういう講師を招いて、
どういう内容にしようかと考えるのは、
雑誌の特集を組むのに似ています。
- 糸井
- はい。
- 河野
- シェイクスピアというテーマに
いちばんふさわしい語り手は誰か?
講座の「柱」になる人を考えて、
その人にどんな人を組み合わせたら
全体がにぎやかになるか? 幅が広がっていくか?
そんなふうに考えていくのは、
私が雑誌の世界で積み重ねてきたことと、
ほぼ地続きでつながると思いました。
- 糸井
- ぱっと見の印象は違っていても、
本質的には似てるものってあると思うんです。
河野さんにとっての
『考える人』と「ほぼ日の学校」もそういうもので、
四角形なのか、六角形なのか、
違う形だと思っていたけれど、
重ねてみたら面積が同じだった、というような。
こちらからの視点で言うと、
ぼくは河野さんをそういう目で見ていたと思います。
つまり、『考える人』編集長の河野さんを見て、
「ほぼ日の学校」の相談をするなら、
まずこの人だ、と思っていましたから。
- 河野
- (笑)
- 糸井
- そう思うきっかけになったのは、
河野さんが「エル・システマ」
(ベネズエラの音楽教育)
について語るのを聞いたときだったんです。
あのときは河野さんの熱情が
ものすごく高まっていた。
- 河野
- ああ、そうだったかもしれません(笑)。
- 糸井
- あのとき、河野さんはぼくのところへ
別の用があって来ていたのに、
そんなのすっとばして、
エル・システマについて蕩々と語ってましたよね。
それに気圧されながらも、ぼくは、
あぁ河野さんがいまいちばん頭を使いたいのは
ここなんだなあと思ってました。
あの河野さんの熱情をぼくは憶えていたんです。
やっぱり、なにか大きなことをはじめるときは
中心になる人の熱情が重要ですから。
- 河野
- たしかにそうですね。
ちょっと説明させていただくと、
エル・システマというのは、
貧困、凶悪犯罪といった
社会的問題の多いベネズエラで、
国家政策として音楽教育に力を入れて
課題を解決しようという取り組みです。
そのエル・システマは、まさに、
ひとりの情熱からはじまったものなんです。
音楽家であり経済学者であり政治家でもある
アブレウ博士という個人の情熱から生まれて、
ガレージに集まった数名から運動が展開していく。
貧しい子どもたちに
無償で楽器を貸与して音楽教育をすれば、
子どもたちの生きる意欲が増進し、
それはやがて仲間にも伝播するはずだ、
音楽教育を通して良き影響が
社会全体に及んでいくはずだ、と彼は夢見る。
- 糸井
- うん、うん。
- 河野
- どこまで彼が遠いビジョンを
描いていたかわからないけれど、
ガレージに集まった人たちの情熱は
本当に価値あるすばらしいものだと感動したし、
それが40年を経て結実した、
シモン・ボリバル交響楽団といった
オーケストラの音色もほんとうにすばらしい。
それに触れた日本人のお客さんたちが
過去に味わったことのない、
質的にまったく違うクラシックの
感動に打ち震えている。
こんなすごいロマンはないだろう、
と私は無条件に感動したわけです。
音楽を通した社会変革。未来に対する希望の灯。
そういったことを、あのときは憑かれたように
糸井さんにしゃべってましたよね(笑)。
- 糸井
- そうでしたねぇ(笑)。
で、ぼくの中にはずいぶん前から
「ほぼ日の学校」のプランがあって、
いつか、できるようになったら
実現させようと思っていました。
正直、自分だけではまだできないと思っていた。
急ぎすぎたら変なことになるし、
かといって自分の基礎が固まるまで待っていたら
やらないことになっちゃうかもしれない。
なにか、きっかけが必要だとは思っていたんですが、
少なくとも、はじめるときには、
河野さんに相談に行くというのは決めていたんです。
そしたら、意外に早くそのタイミングが訪れた。
そのとき、河野さんはまだ新潮社の人でしたけど。
- 河野
- 先日、はじめたメールマガジン、
「ほぼ日の学校長だより」の1回目に、
まさにそのことを書きましたよ。
お好み焼きを食べながら、
糸井さんから「ほぼ日の学校」のビジョンを
うかがったときのこと。
TOBICHIで志村ふくみさん、洋子さんの工房のお弟子さんと
糸井さんのトークイベントがあって、
それを聞きに行ったあと、
糸井さんとお好み焼き屋さんに行ったんです。
- 糸井
- そうだ、そうだ、男2人で行ったんだよ(笑)。
- 河野
- あのとき、志村ふくみさんの話や
エル・システマの話など、
ほんとうにいろんな話をした。
そこで糸井さんから
「古典の学校をやろうと思っている」
という構想をお聞きしたわけですが、
もちろん、自分がその中心になるとは‥‥。
- 糸井
- いや、ぼくも思ってもいないです(笑)。
- 河野
- (笑)
- 糸井
- 「ほぼ日の学校」の構想は、
いつか河野さんに話そうと思っていたけれど、
いつでもよかったともいえるんですね。
でも、あの日が、まさしくちょうどよかった。
それはやっぱり、志村ふくみさんの
お弟子さんと話した直後ですから、
志村ふくみさんがお弟子さんたちに対して
どういうふうに自分の技や考えを
伝承しているかということが頭に残っていて。
- 河野
- じつは私もその年の4月に『考える人』で
志村ふくみさんにインタビューしていて、
志村さんが設立した染織の学校、
「アルスシムラ」についても
お話をうかがっていたんです。
それで、志村さんのお弟子さんと
糸井さんがどういう話をするんだろうと思って
あのトークイベントにうかがったわけですが、
そういうことがぜんぶちょうどよく重なって。
- 糸井
- そうですね。
いま話していて気づきましたけど、
「ほぼ日の学校」は完全に
志村ふくみさんの影響を受けていますね。
数年前、90歳を超える志村さんがぼくに
「今度、学校をやるのよ」とおっしゃったとき、
ぼくはちょっと感動したんです。
それは、老いたから後進にあとを託す、
というようなことではなくて、
なんというか、「伝える」ということへの
新しい好奇心に感じられたんです。
つまり、勇気に近い。義務感でも何でもなく、勇気。
- 河野
- ええ、ええ。
- 糸井
- そこで感じた感動は、
「ほぼ日の学校」に大きく影響しています。
そういうこともあって、あの日、
河野さんに学校の構想をお話ししたわけです。
- 河野
- はい。
ほぼ日の学校がはじまります。
詳しいお知らせの前の予告です。
ほぼ日の学校は、古典を学ぶ場です。
古くて難しいと敬遠されがちな古典ですが、
触れてみれば、奥深い魅力にあふれています。
それを、おもしろく、たのしく学べたら。
この想いを「ほぼ日の学校」と共有してくださる
いろんな分野で活躍中の講師の先生たちと一緒に
古典の醍醐味を味わいつくす学校をはじめます。
まずは2018年1月から、毎月2回、平日の夜に
「ほぼ日」オフィスに集って学ぶ通学クラスを
スタートします。
講義あり、朗読や鑑賞のワークショップあり、
質疑応答も懇談もありの、盛りだくさんの内容です。
クラスの概要や講師のみなさんの顔ぶれ、
定員、料金など、学校についての詳細は、
来週からお知らせできる予定です。
今しばし、楽しみにお待ちくださいね。
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