ほぼ日の学校長だよりNo.1
「始まりはお好み焼き」
昨年11月5日の夜です。
私たちは、西麻布のお店で
広島風お好み焼きを食べていました。
当時私は、新潮社の季刊誌「考える人」の
編集長を務めていて、
この日は南青山のTOBICHI②で行われた
「atelier shimura(アトリエシムラ)」の
誕生イベントに参加した後でした。
「ほぼ日」読者に改まった説明は不要かもしれませんが、
「アトリエシムラ」とは祖母・小野豊(とよ)の代から、
母・志村ふくみ、娘・洋子と女手三代にわたって
染織の世界を受け継いできた志村洋子さんが、
新たに立ち上げた着物や小物などのブランドです。
11月2日にそのお披露目会が開かれ、
翌日から3日間続いた
新ブランド誕生の記念イベントの最終日に、
京都・嵯峨野にある「都機(つき)工房」や
芸術学校「アルスシムラ」で、
染織の修業に励む志村母娘のお弟子さんたちと
糸井重里さんのトーク・イベントが催されたのでした。
半年ほど前に、
「考える人」春号(2016年4月4日発売)では、
当時91歳を迎えた人間国宝の志村ふくみさんの
インタビュー記事を掲載しました。
前々年に京都賞を受賞し、
前年に文化勲章を受章した彼女は、
いまこそ織物を始めた時の「原点に還ろうと思う」、
「新しいことの始まりだと思う」と語り、
「織物というのは、何というんですか、
人間の考えじゃないものが、
ここに現れることに気が付いたんです」と
初々しく、瑞々しい言葉を聞かせてくれたのです。
その後、世田谷美術館で開かれた
「志村ふくみ――母衣(ぼろ)への回帰」
(2016年9月10日~11月6日)を見た私は、
作品の前で動けなくなるような体験をしました。
また、志村洋子さんには「考える人」で、
「日本の色と言葉」という連載(2017年3月、
『色という奇跡――母・ふくみから受け継いだもの』
として刊行、新潮社)を続けてもらっているさなかでした。
そんなこともあって、
工房の精神を継承しようという若いお弟子さんたちが、
どういう表情でどういう言葉を語るのか、
じかに確かめてみたいと思ったのです。
伝承された技の奥義を学ぶ職人的世界というと、
厳しく、禁欲的で、時には排他的な修行の場を想像します。
ましてや京都で、女性ばかりが集(つど)う世界です。
ところが、お弟子さんたちの表情や語り口からは、
「染め」を通して自然の不思議、色の豊かさと出会う感激や
トントン、カラリ、トントン、カラリという
機織りの小気味よい音が聞こえてくるような躍動感、
爽やかさが感じられました。
そんな中で、お弟子さんの一人が
自己紹介の際に名前を名乗ったのを受けて、
糸井さんが「お名前とまったく同じ漢字二文字で、
違う読みをさせているお好み焼き屋さんが
この近くにあります。
僕は時々行くんですね」と笑いを誘いました。
イベントがはねて、糸井さんから食事に誘われました。
迷わず言ったのは、
「さっきのお好み焼きの店にしませんか」でした。
ここまでが、長い前置きです。
何のプロローグかといえば、「ほぼ日の学校」です。
私にとっては夢にも思わなかった
この「学校」プロジェクトに関わり始める物語を
どこから語ったらいいのだろうか、と考えた時、
この日のお好み焼きが浮かんできました。
糸井さんから「ほぼ日の学校」の構想を
具体的に聞くのは、実はもう少し先のことになりますが、
あの晩、あのお店で話したことと「ほぼ日の学校」の夢は
深いところでつながります。
糸井さんは数年前に、
90歳になろうとする志村ふくみさんが、
「次は染織の学校を始めようと思う」と語った時の感動を
話してくれました。
「学校」というひと言を
志村さんが口にした時の表情、言葉の響きなど。
一方の私は、「考える人」が次にめざしたいと思うことの
輪郭と課題を話しました。
雑誌はコミュニティ・ビジネスだと思うが、
そういう「場」づくりのためにいま何が必要か。
どういう困難や問題があるのか。
そもそもなぜそういう「場」を作りたいと思うのか、と。
話の内容は一見関係なさそうに思えますが、
実はきわめて近いテーマを語り合っていました。
ただ、その時はしかと気づいていませんでした。
広島風お好み焼きの「デラックス
(肉イカエビのそば入り)」を一緒に食べながら、
少しまじめな雑談をしていたという感じでしょうか。
たこ焼き、お好み焼き……俗に粉もんと呼ばれるものに
目がない私ですが、庶民的でエネルギーに溢れ、
でき上がるまでのささやかなスリルとハプニングが
毎回楽しみです。
間食でもあり主食にもなり、シンプルに見えて繊細。
疲れた時に思わず食べたくなるソウルフードが、
お好み焼きなのです。
糸井さんにも、その気配が濃厚でした。
なので、それからしばらくたった11月29日に、
「ほぼ日で次に学校をやろうと思うんです」と
糸井さんの口から発せられた時に、
何の違和感もなく受け入れられました。
お好み焼きを一緒に食べながら、お互いが
それぞれに温めているテーマの意外な親(ちか)しさを
感じ合ったあの晩があったからだという気がします。
あれはトンカツでも、カレーでもダメでした。
ざっくばらんに、何かと何かをミックスする
お好み焼きの魔法がなければならなかった。
その意味で、忘れられない一夜です。
2017年9月20日
ほぼ日の学校長