ほぼ日の学校長だよりNo.24
「窯変(ようへん)」の楽しみ
「自分の頭で考えろ」と言うのはカンタンですが、いざ貫徹しようとすれば難しいものです。それを実践し続けている稀有な人が、橋本治さんだと思います。自分の頭で考える――“知のけもの道”を踏みひらく「学び」の先達(せんだつ)として、つねに驚きと憧れを感じてきました。
正統派から逸脱することを恐れず、といって悲壮感はなく、「自分が知りたいと思ってたことを知ろうとしたら、ここに入り込んだんだよねぇ」と、どこか他人事(ひとごと)のように楽しそう。
一昨日行われた「シェイクスピア講座2018」の講義も、まさにそういう橋本さん「らしさ」が全開でした。
知識が増えれば増えるほどそれが鎧のようになっていくタイプの人がいる一方で、橋本さんは身につけた知識を惜しげもなくふるまいながら、自分自身はいつも裸一貫で何かに立ち向かっていきます。その真摯な姿に接することで、私自身は己(おのれ)の身の丈を知り、自戒してきた気がします。
世のいわゆる古典を「生きもの」として扱う橋本さんの姿勢は、けっしてわかりやすいものではありません。ですから、その話に150分間、じっと耳を傾けていた「ほぼ日の学校」の受講生も大したものだと思います。
「わかりやすさ」「簡潔さ」が何かにつけて求められる昨今の事情を考えると、この学校はすでにユニークな場になっているのかな。きっとそうなのだろう、と思えました。
今回は、講義の冒頭でおもしろいものを聴かせてもらいました。坪内逍遥が自ら訳した『ヴェニスの商人』を朗読している歴史的な録音です。作品のハイライトシーンである人肉裁判の場面を、逍遥が高利貸しのシャイロック、裁判官のポーシャの声色を使い分けながら、落語調で語っている興味深い音源です。国立国会図書館デジタルコレクションにもアップされていますので、ご興味のある方は是非どうぞ。
もうひとつ、授業の後半では、橋本さんが薩摩琵琶のために詞を書き下ろした『城壁のハムレット』というDVD作品を観せてもらいました。薩摩琵琶奏者の友吉鶴心さんの演奏です。
<曇天(どんてん)に風烈々と吹き募り、北斗は冴えて
雲間(くもま)より、凍(い)てる光を投げつける。
夜、沈々(しんしん)と更け行けり。
鬱々たるは思春の情(こころ)。横顔昏(くら)きその人は、
デンマークなるエルシノア、
王子たる身のハムレット。迷い迷いて佇(たたず)めり>
そしてサビの部分は、例の名セリフ“To be, or not to be: that is the question.”をふまえながら、
<このままあるか、あらざるか、
それが思案の第一と、うなずく
ばかりの現世(うつしよ)に、戯(たわむ)れてまた戯れて、
作り阿呆が何故(なぜ)に泣く>
と続きます。橋本さんは自作解説でこう述べています。
<時代が混迷していて先が見えない時は、恐れずに過去という原点へ立ち戻るべきです。薩摩琵琶とシェイクスピアの間に距離があっても、坪内逍遥と薩摩琵琶の間にはそう違和感がないだろうと思い、私は、初めてシェイクスピアを翻訳した坪内逍遥にまで遡ってみました。私にとって、「古い」ということは「新鮮」とイコールでもあります。「古臭い」という言葉を恐れなくなった時、古典は新しいものにもなりえます。そんな願いを込めて、この作品を書きました>
「琵琶に関心がありますか?」と橋本さんが人に尋ねられたのは、『窯変(ようへん)源氏物語』(全14巻、中央公論新社)の仕事が一段落し、次に『双調(そうぢょう)平家物語』(全15巻、同)に取り組もうとする頃だったそうです。『平家物語』といえば琵琶法師、というわけで、「関心がある」と答えたとか。
それにしても、『窯変源氏物語』、『双調平家物語』の現代語訳というのは、“常識はずれ”の凄まじい仕事です。原典に忠実な、いわゆる現代語訳ではまったくないのです。
14巻、15巻というボリュームもさることながら、前者の刊行は1991年5月から93年1月まで。後者は98年10月から2007年10月にかけてです。橋本さんの費やした時間と労力は並大抵ではありません。
しかも『窯変源氏物語』では、年老いた女房が伝え聞いた話を物語るという原作の設定を大胆に改め、「光源氏の一人称語り」に変えました。『双調平家物語』では、例の「祇園精舎の鐘の声」に対応した記述が数ページあったかと思いきや、いきなり話は中国の古代史に飛びます。ふたたび平氏の話題にかえってくるのは、何巻も先の話です。
およそ橋本さんでなければあり得ない『源氏物語』論であり、『平家物語』を通して語られる日本の古代政治論だという読み方もできます。“知のけもの道”だというのは、この意思の凄みです。
どれほど心血を注いで没入したか。かつて橋本さんは糸井重里、クマさんこと篠原勝之という気のおけない2人の仲間に話しています。私はライブで聴く幸運に恵まれました。
<橋本 『窯変源氏物語』14巻を書いていた3年間、軽井沢にある中央公論の寮にカンヅメになってたんだよ。それで1年めくらいに体がガタガタになってることに気づいてね。スポーツマッサージに行ったら、背筋が落ちてるって言われた。だけど恐ろしいことに、右手だけ筋肉がついててね。原稿書くだけでも筋肉つくんだよ。
糸井 どのくらい座って書いてるの?
橋本 4時間以上続けて寝たことがないくらい、とにかく書き続けた。それで自分がぶっ壊れるんじゃないかと思うと、町の中を歩くのよ。そのうち歩行のテンポと思考のテンポが妙にシンクロして、足が止まらなくなる。歩いている自覚さえなくなって、どこまでも行っちゃう。痴呆の徘徊はこういうもんだと思ったね。徘徊しながら何か考えてるんだよ。
篠原 うちの猫も、夜、徘徊してるんだよ。やつも何か考えているのかな。
橋本 おれは長時間座ってるから、上体が丸まりやすくて、うっかりすると歩いてるときも背中丸めてる。ちょっとネアンデルタール人入ってるなって気づいて、あわてて背筋伸ばしたりしてね。
糸井 歯止めがきかない人たちなんだ>(「婦人公論」1999年9月22日号)
「窯変」の字句どおり、陶磁器を焼き上げる際に、炎の具合や釉薬(うわぐすり)の関係で、光沢、色彩、文様に予期せぬ変化があらわれるごとく、「らしさ」をとことん追求していくと、いつの間にか思いがけない、意外性にみちた橋本ワールドがひろがります。
とにかく何をやっても「ただごと」ではすまない橋本さんの仕事からは、いまも目が離せません。年老いた痴呆症のハムレットを落語に仕立てた「書替老耄(かきかえおいぼれ)ハムレット」に驚いていたら、この先の構想は、もっと唖然とするプランでした。カミュの『異邦人』を、次に落語にするのだそうです。
講義の最後は、「幼なじみみたいな感覚」だという糸井さんも加わって、短いアフタートークを行いました。橋本さんと糸井さんといえば、1980年に『悔いあらためて』(北宋社、のち光文社文庫)という対談本が出ました。十文字美信さんが撮影したツナギ姿のツーショットの表紙を、書店で初めて見た時は、手に取るのに少しためらいがありました。あまりのインパクトに、すぐには手が伸びなかったのだと思います。
2人が実際に話す場面に立ち会ったのは、1999年の夏でした。先ほど引用した座談会を、当時私が編集長をしていた雑誌で行いました。「独身上手と結婚上手の間で」という、糸井さんがやや押され気味の座談会。これは翌年「ほぼ日刊イトイ新聞」のコンテンツになって、いまもなお生きています。
2018年3月1日
ほぼ日の学校長