ほぼ日の学校長だよりNo.144
ダンシャリーズハイ?
ほぼ日のオフィス移転に先がけて、私がひと足先に引っ越したことは、先週ご報告した通りです(2着はフグさんだったようですが)。
2番手で引っ越し完了したフグさん
そしてこの1週間、私のテーマは「断捨離」でした。先週火曜日に、かなりスリムになって引っ越したつもりだったのですが、そのヨミはなんとも甘かった! この事実が判明した瞬間に、私は断捨離の鬼と化しました。
木曜日の朝から日曜日の深夜まで、何を捨て、何を残すか、ただそれだけに意識を集中したのです。溜まっていた本と資料をどう処理するか、それが基本的なミッションです。積み上がった段ボール箱をひとつひとつ開梱し、整理する作業の連続は、かなりハードなものでした。
朝から晩までスポーツジムで、サーキットトレーニングを繰り返すような感じです。腕を使い、前屈、スクワットなどを反復し、本を書棚に並べては、それを入れ替えたりするうちに、全身にきしみを覚えます。
資料のスクラップを繰りながら、何を捨てるか、何を残すか、気をしずめて決断し、半分近くを捨てました。頭が次第にぼんやりします。
それでもやってよかったと、今回は強く思います。約3年、ほぼ日の学校をやってきて、ここが大きな潮の変わり目です。海の難所で、どう思い切った舵を取るか。それを全身全霊で考える、その時間がこれかと思ったのです。
なので、すごくくたびれました。結果として、ビフォー、アフターの広告を打てるくらい、大幅なダウンサイジングを達成したはずです(傍目にそう見えないのが残念ですが)。
正直、本を読むどころではなかったです。けれど、何冊分も読んでしまったような気もします。
頭に浮かべていたのは、世にあふれる「捨てる」系のベストセラーとは別系統の、内澤旬子さんの『捨てる女』(朝日文庫)というノンフィクション、遠藤周作の小説『わたしが・棄てた・女』(講談社文庫)、村上春樹さんのエッセイ『猫を棄てる――父親について語るとき』(文藝春秋)、井上ひさしの傑作戯曲『雨』、棄老=子が親を捨てる物語の代表作、深沢七郎『楢山節考』(新潮文庫)など、「捨てる=スッキリ」とは違った文脈の作品です。
ほぼ日の学校が「ほぼ日の學校」となって、どのように生まれ変わるのか――「何を捨てるか」は、「どう生きるか」を考える時間だったように思います。
次回は1回お休みして、12月3日から平常の「学校長だより」に復します。
どうぞよろしくお願いいたします。
2020年11月12日
ほぼ日の学校長
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