ほぼ日の学校長だよりNo.71
「One Hundred Poets, One Poem Each」の響き
赤ワインでいい感じになった私の顔写真に添えて、このツイートが投稿されたのは2017年の暮れでした。
<Dec27, 「ほぼ日の納会」が終わった夜、「ほぼ日の学校長」河野通和さんと来年の古典授業の構想を練る之圖>
「ほぼ日」サイエンス・フェロー、早野龍五さんのツイートです。
この日は、夕方5時に始まったほぼ日の仕事納めの宴が、8時頃にお開きとなり、外苑前から歩いて家に帰るという早野さんについて、そのまま一緒に外へ出ました。早野さんは、知る人ぞ知る、超早足です。男ふたり、青山通りを競うように歩きながら、渋谷駅に向かって少し宮益坂を下ったあたりのワイン&ベルギービールの店に立ち寄りました。早野さんはビールを、私は赤ワインを注文し、ほぼ日の学校の来年の企画について話し始めました。
翌日だったかのツイッターで、<年末年始の僕の宿題. 「ほぼ日の学校」の授業の準備をすること. 授業内容はヒミツ>と早野さんは書いています。その時のヒミツというのが、昨年7月27日にスタートし、先週2月27日に、めでたく千秋楽を迎えた「Hayano歌舞伎ゼミ」というわけです。
最終講義は、初回の「なぜ学校で歌舞伎を学ぶのか?」と同じく矢内賢二さん(『ちゃぶ台返しの歌舞伎入門』の著者)をお呼びして、「初めて観るなら何を観る?」というテーマで、時代物、世話物、舞踊、義太夫狂言、新作歌舞伎‥‥など、いろいろ歌舞伎があるなかで、どうやったら「お気に入り」の演目に出会えるか、実践的な切り口での掛け合い授業になりました。
初めて歌舞伎を観る時に、「これは避けたほうがいい」という芝居は何か? 逆に、おススメしたいのはやっぱりこれだ! というのは何か? いま観るべき役者は誰か? 薀蓄(うんちく)の披露ではなく、歌舞伎ビギナーの目線に合わせた率直で丁寧な解説には、いちいち腑に落ちる説得力がありました。
全9回を振り返ると、いろいろな方をお招きしています。卒業生に渡した修了証には、次のように書きました。
<この間、歌舞伎に魅了された
早野龍五氏のゼミ生として、芝居噺に触れ、
若手俳優の話を聞き、セリフを口にしてみるなど、
日本の伝統芸能である歌舞伎の世界を
さまざまな角度から体験しました。
みんなでそろって歌舞伎座で観劇したのも
楽しい思い出のひとつです。(略)
ここでの学びが、これからの人生を
いっそう豊かにしてくれますように。>
その他にも、松竹の岡崎哲也常務に話していただいた「歌舞伎座の130年」は、語り自体が芸そのものでした。イラストレーターにして“歌舞伎にすと”の辻和子さんによる「ビジュアルから迫る歌舞伎の見方」には、目からウロコが2枚も3枚も落ちるようでした。
結果、歌舞伎好きだった人には、より楽しむ引き出しの数が増えただろうと思います。歌舞伎にあまり縁のなかった受講生には、気がつけば歌舞伎座の敷居がぐんと低くなっていたと思います。
当初から早野さんが語っていたのは、こんなお客さんが増えてくれれば、という夢でした。
・身銭を切る
・夫婦で観る
・親子で観る
・楽しく観る
・ながく観る
・同じ演目を繰り返し観る
・薀蓄(うんちく)を語らない
食わず嫌いだった人や、「高尚」「よくわからない」と苦手意識を持っていた人たちが、ちょっとでも劇場に足を運ぶ気になったとしたら、まずは大成功だったと思います。講師の方々、受講生の皆さん、ご協力くださった松竹の皆さま、本当にありがとうございました。順次、オンライン・クラスにもアップしてまいります。
さて、今週は打って変わって、「万葉集講座」第5回がありました。講師は翻訳家・詩人のピーター・マクミランさん。初めて氏の存在を知ったのは、2008年に刊行された『小倉百人一首』の英訳「One Hundred Poets, One Poem Each」の翻訳家としてでした。詩人・作家の小池昌代さんの紹介です。
翌年、その日本語版『英詩訳・百人一首――香り立つやまとごころ』(佐々田雅子訳、集英社新書)が刊行されます。書評を小池さんが書いています。
<著者の英訳を、日本語に、もう一度、訳し戻したとしても、元の一首は現れない。その意味でも、俳句や短歌は、ねりあげられた羊羹のような日本語であり、それだけで建つ墓なのだ。本書の英訳は、歌から生まれたもう一つの詩、響きである。だからこその、価値がある。>(『週刊朝日』2009年5月1日号)
この日本語版にはまた、先日(2月24日)亡くなったドナルド・キーンさんの文章が冒頭に置かれています。マクミランさんの英訳は、藤原定家の編んだ『小倉百人一首』という“端正”の一語で片づけられることの多い「歌集本来の価値と美を蘇らせている」と絶賛しています。
たとえば、蝉丸の有名な歌――
これやこの行くも帰るも別れつゝ知るも知らぬも逢坂(あふさか)の関
をマクミランさんはこう訳しています。
So this is the place!
The crowds,
coming
going
meeting
parting;
friends
strangers,
known
unknown―
The Osaka Barrier.
<わたしはこの訳を読んで、これこそ、もっとも成功裏に原作を移しかえた作品であると信じるに至った。原作の五句を、あえて十一行にまで拡大したマックミランの試みは、精彩にあふれた英詩をつくりだすのに与(あずか)って力がある。この訳では、先行する訳者たちが入れなかった一行目の感嘆符に至るまでが、効果的というだけでなく、正確に用いられている。さらに“-ing”で終わる言葉を反復することで、原作のリズムも伝えている。>
キーンさんはこのように評価しています。そして、いくつかの例を示しながら、最後に推挙しているのが光孝(こうこう)天皇の歌の英訳です。
君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手(ころもで)に雪はふりつゝ
For you,
I went out to the fields
to pick the first spring greens―
all the while on my sleeves
a light snow falling.
「これは、今までのところ、『小倉百人一首』の、もっとも卓越した名訳である」とキーンさんは称賛を惜しみません。
今回、万葉集講座のお願いにあがった際、マクミランさんは当初、自分は万葉集のことはよく知らないので、とやや消極的でした。けれども、英訳という作業を通じて、しかも読みやすく、かつ詩的な英語にするという創造的な仕事を通じて、マクミランさんの目に映った和歌の魅力、日本人の精神性について是非語っていただきたいとお願いしました。
マクミランさんは「日本語版のための序論」で、女性歌人、小野小町の有名な「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」を取り上げています。この歌は、「若いころは絶世の美人で、非凡な才能に恵まれ、奔放に生き、まわりからもてはやされ、愛されていた」小野小町が、今は老いて、「若さや才色の喪失を嘆いている」悲哀の歌と解釈されてきました。
マクミランさんはそれに同意する一方で、「弱さをよそおいながら、容姿で失ったものを精神で埋めあわせてきた」、「わたしはみめかたちは衰えたかもしれませんが、創造の力は今なお頂点にあるのです」という、小野小町の自負と自己肯定をそこに読みとります。
A life in vain.
My looks, talents faded
like these cherry blossoms
paling in the endless rains
that I gaze out upon, alone.
日本の古典的詩歌の英訳という難行の陰に隠されたマクミランさんならではの「読み」をたっぷり語っていただきたい、とお願いしたくなったのも当然です。
すると、その要望に応えてくれたばかりか、その後にマクミランさんが取り組んだのは、なんと、万葉集のいくつかの歌の新たな英訳でした。詳しい話は、次回に譲りたいと思います。
2019年3月7日
ほぼ日の学校長
今年の2月6日に還暦を迎えられたマクミランさんを、授業の最後に受講生みんなでお祝いしました。
ほぼ日の乗組員の奥さま手作りの「還暦お祝いケーキ」
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