2018年1月、
ほぼ日の学校が始動しました。

これからいったい、
どういう学校に育っていくのか。

そのプロセスの出来事や、
学校にこめる思いなどを、
学校長・河野通和が
綴っていきます。

ほぼ日の学校長

河野通和(こうの・みちかず)

1953年、岡山市生まれ。編集者。

東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業。

1978年〜2008年、中央公論社および中央公論新社にて
雑誌『婦人公論』『中央公論』編集長など歴任。

2009年、日本ビジネスプレス特別編集顧問に就任。

2010年〜2017年、新潮社にて『考える人』編集長を務める。

2017年4月に株式会社ほぼ日入社。

ほぼ日の学校長だよりNo.96

ブレイディみかこさんとお会いして(2)

 前回に続き、ブレイディみかこさんにお聞きした話を紹介したいと思います。「学校長だより」No.94で書ききれなかったことや、彼女の故郷である福岡の話を伺いました。ほぼ日の学校は、いまちょうど福岡に目が向いているところです。嬉しいご縁を感じます。

河野
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)は、
じわじわとよく売れているようですね。
6月21日の発売ですが、初校ゲラ(最初の校正刷り)が組み上がった
4月の段階で、全国の書店員さんなどに
「ゲラを読んでください!」と呼びかけたみたいですね。
実は、私のところへも5月の連休明けに送られてきました。
書店員さんたちからはもの凄い熱量の
150通以上の感想が届いたとか。
社内からもほぼ同数の感想が寄せられたそうで、
編集、営業、宣伝、装幀、ウェブ、校閲といった各部署の担当者が、
「チーム・ブレイディ」のようなタッグを組んで盛り上げたと聞きます。

fax 手書きでびっしり書かれた感想が150通以上も
(提供:新潮社)

ブレイディ
そうなんです。黄色いバッジもできて(笑)。
河野
そういう輪がおのずと広がったというのは、
この本に書かれている内容が、決して遠いイギリスの話ではなく、
“わがこと”として読者の共感を呼んだからだと思います。
「読んだら誰かに伝えたくなる」のが、
この本の最大の魅力。
ブレイディ
そうなんでしょうね。

badge

河野
「学校長だより」で書ききれなかったことはたくさんあるのですが、
そのなかの一つに、「多様性っていいことだ」と授業で教わってきた息子さんに、
ブレイディさんが、「でも、多様性って楽じゃないよ」と言う場面がありますね。
国籍や民族の違いだけではなくて、
家庭環境や生活レベルの微妙な違いで、
喧嘩や衝突が絶えず生まれるのが現実です。
だから多様性がいいって言うのは簡単だけど、「ないほうが楽よ」と。
すると、息子さんが尋ねます。
「楽じゃないものが、どうしていいの?」
ブレイディさんが、答えます。
「楽ばっかりしてると、無知になるから」
ここで、「無知」という言葉が出てきます。
どういうことでしょう?
ブレイディ
「無知」は、英語だとignorantですよね。
ignorantって、stupidじゃないですよね。
無知であることと、頭が悪いこととは違います。
stupidは「バカ」ということですが、
ignorantは「まだ知らないんだよね」っていう意味で、
やがてignorantでなくなる時もあるわけです。
私の『ヨーロッパ・コーリング――地べたからのポリティカルレポート
(岩波書店)という本の表紙に使っている、
バンクシーというグラフィックアーティストに、こんな作品があります。
フランスで週刊紙「シャルリ・エブド」編集部への襲撃テロ事件が起こった時、
彼が「ヘイト」とは何かという絵を描いたんです。
理科の実験で使うフラスコにignoranceと書いてあるんです。
それをfear(恐れ)という火が焚きつけている。
これにチューブがついていて、
そこから抽出されるのが“hate”だという絵です。

calling

河野
なるほど。
ブレイディ
まさにそれじゃないですかね。
あいつらが仕事を奪っていく、
あいつらのせいでこんな悪い社会になっている、
あいつらは犯罪者集団だ‥‥
恐れ(fear)が火を焚きつけると、
ignoranceはhateを抽出してしまう。
言い得て妙だと思います。
だから、いわゆる差別主義者のことをstupidと言ってはいけないと思う。
河野
stupidではなくてignorant。 知らない、わかっていないのだと。
ブレイディ
『ぼくはイエロー~』のなかで、息子は学校で差別されます。
ところが、差別をしたダニエルを助けて、友だちになるじゃないですか。
あれ、すごいと思ったんですね。
大人の世界ではまずあり得ない。
私も東洋人として差別された経験がありますが、
何か差別的なことをあからさまに言われたら、
その人を助けようとか、
まして友だちになろうとかって思わないですよね。
子どもの世界では、そういうことが普通に起こる。
「いまはみんなでやらないと、せっかくこれまで
ミュージカルの稽古を積んできたのに、それが台無しになるじゃない。
努力がムダになって、バカみたいじゃん」
とか言って助けたりするわけです。
それがきっかけで、友だちになる。
河野
ダニエル君も、そこから徐々に変わっていきますね。
ブレイディ
私が「無知だよ」って言ったのは、
きっとバンクシーが描いた絵のイメージがあったからだと思います。
それを息子は別に深く考えるまでもなく、スポンジのように吸収して、
こともなげに実践してしまう。
驚かされます。
知る時がくれば、その人は無知でなくなる。
だから、無知な人を責めてはいけないし、ましてや罰してもいけない。
無知な人には知らしめていくという当たり前のことをすべきだと、
プレ思春期の息子が身をもって教えてくれたというか。
河野
「学校長だより」にも書きましたが、
ダニエル君は差別的な言動がたたって、学校で陰湿ないじめにあいます。
それでも、絶対に学校を休まない。
だから、息子さんも学校を休まない。
「だって僕が休むと、ダニエルがひとりになるでしょ」と言って。
ブレイディ
付き合っているうちに情がうつるという面と、
ダニエル自身が以前とは少しずつ変わってきている、
という実感があるんですね。
そこでまた友情が深まっている。
河野
「反撃と報復の繰り返しの先に何があるのか」
という趣旨の質問を、
息子さんが父親に投げかける場面もありますね。
ブレイディ
配偶者がどう答えるかと思いました(笑)。
子どもって、世代も違えば、
受けてる教育も違うし、育ってきた国柄も違うから、
まったく別個の人格なんですよね。
私と違って重層性を持っていると、すごく感じます。
うちの息子はパスポートを3つ持っています。
河野
日本とイギリスとアイルランドですか?
ブレイディ
はい。親が日本人同士の場合だと、
どうしても子どもを自分の一部であるとか、
自分の延長だと思ってしまうような気がします。
わが家みたいだと、まったく別個の人格だと思えるんです。
だから距離をとって見ているところがあって、
素直に驚いたり、学ぶことがすごく大きく感じられる。
河野
たとえば、ほかには何でしょう?
ブレイディ
LGBTQの話が出てきますよね。
河野
レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、
クエスチョニングって何か、を学校の授業で教わる。
ホモフォビアとかバイフォビアとか、
とにかくフォビア(嫌悪)はいけない、
ジェンダーのステレオタイプもよくない、
といったことを、ひと通り教わる。
ブレイディ
あそこに、オリバーというラグビーとサッカーをかけもちでやってる、
マッチョな外見の男の子が出てきます。
その彼がふと、「ぼくはQだな。
自分のセクシュアリティはまだわからない(クエスチョニング)」
と言ったというのです。
私はともかくびっくりするんです。
どんな顔をして、男の子の友だちがたくさんいる前で、
「ぼくはQだな」って12歳の子が言ったんだろう?
これは明らかに違う世代です。
私たちには考えられない。
でも、私はそこにすごく希望を感じるんです。
もう自分たちの感覚や常識では推し量れない子どもたちが生まれている。
あの子たちは私たちが死んだ後も生きていく‥‥。
これって希望ですよね。
河野
その章の結びに書いておられますね。
「さんざん手垢のついた言葉かもしれないが、未来は彼らの手の中にある。世の中が退行しているとか、世界はひどい方向にむかっているとか言うのは、たぶん彼らを見くびりすぎている」と。

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ブレイディ
イギリスに住んでいると、いまはEU離脱問題で大変ですし、
絶望しかないんです。まわりを見てもどうなることかって。
「ナショナル・クライシス」という言葉が、
3年間ずっとニュースの見出しに出続けているような国です。
絶望して当たり前なんです。
そのなかでどこに突破口を見つけるか、となった時、
私は意外と身のまわりにあるというか、
「この子たちなんじゃないかな」と思うんです。
子どもは生身ですべてにぶち当たりながら、成長していくじゃないですか。
いま自分の子どもやその世代と向き合いながら、
彼らの考え方を学ばなきゃいけないなとすごく感じます。
とても新鮮で、毎日勉強しています。
河野
連載(「波」)がまだ続いていますので、続篇を読むのが楽しみです。
息子さんがどうなっていくのか。
ブレイディ
10代の時、私はすごく反抗的だったし、
自分自身は道を踏み外した人間です(笑)。
息子は正反対で、いわゆる「いい子」っぽい。
だから、もっと道を踏み外してほしい、と思わなくもないですけど(笑)。
河野
そういえば、ご出身は福岡ですよね。
歌い手がたくさん生まれたり、たいへん音楽の盛んな街ですが、
ブレイディさんの文章を読んでいると、
また、きょうのお話を伺っていても、
音楽との結びつきをとても強く感じるんです。
非常にテンポが良くて、リズムを感じます。
「道を踏み外した」とおっしゃいましたが、
15歳頃はバンド活動に明け暮れる日々を送っておられたとか。
最初のきっかけは何だったんですか?

fukuokafes 提供:福岡ミュージックマンス

ブレイディ
セックス・ピストルズですね。
ちょうど80年代の福岡って「めんたいロック」とかが
盛り上がった時代なんです。
親不孝通りに「80’sファクトリー」というのがあって、
中学生とか高校生は、まだそういうところに行ったらいけないのに、
年上のお姉さんやお兄さんに混じって行ったり(笑)。
ルースターズとか、ザ・ロッカーズとか、シーナ&ロケッツとか、
ああいう人たちがバーッと大挙して東京に出て行く。
福岡のバンドが盛り上がる。
そんな時代でした。
福岡が面白かったのは、東京はインテリ学生のバンドなんです。
福岡はもっと地に足がついているというか、
ヤンキー文化とバンド文化がそれほどはっきり分かれていないんです。
お互いに友だちで、渾然一体になった感じがありました。
東京を経由せずにいきなりロンドンとか海外へ行く人も多かった。
彼らが最新の音楽ビデオとかを送ってくれるんです。
それで、小学校6年生とか中学1年生ぐらいの時に、
はじめてセックス・ピストルズのジョニー・ロットンを見て、
「なにこのひと!」って(笑)。
まるで世のすべてを呪っているような、
世の中のすべてを敵にまわして一人で戦ってるみたいな。
あの神々しい悪魔にやられてしまったんです。
「もうこれだ!」「私が求めていたものはこれだ!」って。
あれで私の人生が変わりました(笑)。
以来、ずっと彼には影響されています。
河野
息子さんが進学することになった中学校の廊下にも、
セックス・ピストルズの「勝手にしやがれ」のジャケットが飾られていた(笑)。

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ブレイディ
もうこれは私の人生の宿命だ! と思いました(笑)。
河野
そういう音楽の盛んな街という面とともに、
実は、福岡ではもうひとつ、2006年から毎秋「ブックオカ」という
一箱古本市のイベントが開催され、
「福岡を本の街に」というキャッチフレーズで、
小さな本屋さんがまちづくりの中心になろうとする動きもあります。
ともかくバイタリティーを感じる場所ですね。
ブレイディ
福岡の書店「ブックスキューブリック」の大井実さんたち、元気ですよね。

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河野
そういう音楽と本の街に、ほぼ日の学校が
「たのしい学び」を持ちこんだらどうなるだろう、
といったことをいま考え始めています。
12月にちょっとしたイベントをやろうかと。
いずれ、ブレイディさんとも、福岡でご一緒できればと思います。
きょうは、どうもありがとうございました。

2shot

2019年9月12日

ほぼ日の学校長

*来週は休みます。次回の配信は9月26日の予定です。