2018年1月、
ほぼ日の学校が始動しました。

これからいったい、
どういう学校に育っていくのか。

そのプロセスの出来事や、
学校にこめる思いなどを、
学校長・河野通和が
綴っていきます。

ほぼ日の学校長

河野通和(こうの・みちかず)

1953年、岡山市生まれ。編集者。

東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業。

1978年〜2008年、中央公論社および中央公論新社にて
雑誌『婦人公論』『中央公論』編集長など歴任。

2009年、日本ビジネスプレス特別編集顧問に就任。

2010年〜2017年、新潮社にて『考える人』編集長を務める。

2017年4月に株式会社ほぼ日入社。

ほぼ日の学校長だよりNo.35

「シェイクスピアと豊臣秀吉」

<日本ではじめてヨーロッパの中世・ルネサンス音楽を聞いたのは、大内義隆と大友宗麟、そして織田信長と豊臣秀吉であったと言ったら、人びとはこじつけ、あるいは荒唐無稽と一笑に付すだろうか。

ところが、これが正真正銘、うそいつわりない話なのである>(皆川達夫『中世・ルネサンスの音楽』、講談社学術文庫

 日本と中世・ルネサンス音楽との最初の出会いについて、音楽学者の皆川達夫さんはこのように述べています。これをイントロとして、まず書いておきたいと思います。

 さて、5月29日、「シェイクスピア講座」は初の試みとして、受講生以外の人にも向けた公開授業「シェイクスピアの音楽会」を催しました(東京・赤坂「草月ホール」)。

・河合祥一郎さんの講義「シェイクスピア時代の音楽と、シェイクスピアの言葉の音楽性」

・40人のリコーダー合奏(受講生19人が初挑戦!)

シェイクスピア時代の音楽を聴いてみよう!」という古楽のコンサート

 以上の3部構成です。多角的で、盛りだくさんの内容ですが、ノリのいい客席の協力もあって、これ以上ないくらい、とても楽しいひと時になりました。

 シェイクスピアと音楽――。シェイクスピアが大の音楽好きだったという話は前回も書きました。“音楽愛”はシェイクスピアに限った話ではなく、エリザベス朝のイギリスでは、貴族から庶民まで、誰もが音楽を楽しんでいました。

 シェイクスピアの『十二夜』第1幕第1場は、次のセリフで始まります。

オーシーノ 音楽が恋の糧(かて)なら、続けてくれ。

嫌というほど味わえば、さすがの恋も飽きがきて、

食欲も衰え、なくなるかもしれぬ。

今のところをもう一度。消え入るような調べであった。

ああ、この耳に響くその甘い調べ、まるで

菫(すみれ)咲き誇る丘を吹き抜ける風が、香りを盗んで

運んでくるようだ。‥‥(河合祥一郎訳『新訳 十二夜』角川文庫

 ものの本によると、シェイクスピアは全作品中、170以上の箇所で音楽または音楽家、エア(主にリュート歌曲)やマドリガル(無伴奏の多声歌曲)について言及しており、そのほとんどすべてが肯定的なものだ、と言われます。また、劇中でも多くの歌が、一字一句の変更もなく使われているそうです(イアン・モーティマー『シェイクスピアの時代のイギリス生活百科』、河出書房新社)。

 そこで今回は、シェイクスピアの芝居にちなんだ12曲を選び、メドレーで聴きました。世界を股にかけて活躍する素晴らしい古楽の演奏家たちが集まり、シェイクスピア時代の音楽を当時の楽器――リュートやヴィオラ・ダ・ガンバ――で演奏し、ソプラノの歌唱をたっぷり楽しんでいただくというのが最大の聴きどころ(見どころ)でした。

 それに先立つ河合祥一郎さんの講義では、「天体の音楽(music of the sphere)」という言葉が紹介されました。当時の宇宙観は、地球が中心にあって、太陽や月がそのまわりを回っている天動説です。動く天体が音楽を発し、宇宙全体がハーモニー(調和、和音)を奏でている――古代ギリシャ以来の発想です。

 つまり、音楽は神々が奏でるもの。それは普通の人には聞こえないけれど、心の清らかな者の耳には届く‥‥。河合さんが例に挙げたように、『ヴェニスの商人』第5幕第1場で、駆け落ちしたジェシカとロレンゾーが、夜空を見ながら話す場面にはこうあります。

ロレンゾー (略)なんてきれいだろう、月の光が土手の上でまどろんでいる!

ここに座って、音楽をぼくらの耳に

忍び込ませよう。柔らかな静かさ、それに夜の帳(とばり)が

甘い調べにふさわしい。

座りなよ、ジェシカ。ほら、ご覧、空がまるで

光輝く黄金の小皿でぎっしり覆われた床のようだ。

君の目に映るどんな小さな天体も、

動きながら、天使のように歌っている、

幼い目をした天使ケルビムたちと声を合わせて。

そうした調べは、神や天使たちには聞こえるが、

この腐敗する泥の体をまとう我々には

聞こえないのだ。(河合祥一郎訳『新訳 ヴェニスの商人』角川文庫

 テンペスト』第3幕第2場では、島の原住民である魔女シコラクスの息子であるキャリバンがこう述べます。

「怖がらなくていい。この島はいろんな音や

いい音色や歌でいっぱいなんだ、楽しいだけで害はない。

ときには、何千もの楽器の糸を弾(はじ)くような調べが

耳元に響く。ときには歌声が聞こえてきて、

ぐっすり眠ったあとでも

また眠くなったりする。そのまま夢を見ると、

雲の切れ間から宝物がのぞいて

俺のうえに降ってきそうになる、そこで目が覚めたときは

夢の続きが見たくて泣いたもんだ」(松岡和子訳『テンペスト』、ちくま文庫

 また、シェイクスピア作品で死者が甦ったり、奇跡が起きる場面などでは音楽が実際に演奏されます。音楽には、宇宙に呼応する神秘の力、癒やしの力、生命を与える力があると信じられていたからです。

 リア王』第4幕第7場で、リアが三女のコーディリアと再会して目を覚ます時に、医者はコーディリアに「どうぞ、もっとおそばへ。音楽をもっと大きく!」と言います(松岡和子訳『リア王』、同)。

 ペリクリーズ』第3幕第2場では、死んだと思われていたお妃がまだ生きているとわかった時、医師のセリモンが「音楽だ!」と叫びます。「皆さん、このお妃は助かるぞ。/  生命力の働きであたたかい息が目を覚ます」(松岡和子訳『ペリクリーズ』、)。

 さて、こうしてシェイクスピア芝居の中で音楽が格別の意味を担(にな)っていたのとほぼ同時期に、おそらくは同じような調べを聴き、それに魅せられた日本人に豊臣秀吉がいます。天正19年(1591年)、8年におよぶ旅を終えて帰国した「天正遣欧少年使節」の4人の少年(クアトロ・ラガッツィ)は、秀吉に謁見を許されます。その際、ヨーロッパから持ち帰った楽器で、洋楽合奏を聴かせたのです。

 少年たちがポルトガルでフェリペ二世、ローマ教会で教皇グレゴリオ十三世に拝謁したのは、シェイクスピア(1564〜1616)が劇作家として執筆活動を始めるよりも、ほんの数年早いくらいです。

 つまり、秀吉が「ひたすらに聴き入り、三度ほど繰り返さしめ、のち、一々楽器を手にとっていろいろと尋ねた」(皆川達夫、前掲書)という合奏の調べは、おそらく同じ頃、ロンドンのグローブ座で奏でられていたメロディとほとんど同じなのではないか、ということが言えそうです。

 とすれば、今回の「シェイクスピアの音楽会」を聴いた人は、エリザベス朝時代のロンドンのみならず、安土桃山時代の聚楽第(じゅらくだい:秀吉が天下に威光を示すために造った京都の城)にも、“耳のタイムトラベル”をしたと言っても許されそうです。なんとも贅沢な時間ではないでしょうか!

 実は私たちも今回の準備を進めるうちに、このイメージが徐々にふくらみ、興奮を覚えるようになりました。そうか! 草月ホールは巨大なタイムマシンになるのか、と。

 関白豊臣秀吉が、その音楽にどういう反応をしたのか。若桑みどりさんの名著『クアトロ・ラガッツイ――天正少年使節と世界帝国』(集英社文庫)で、詳しくその場面を追ってみましょう。

<謁見の最後は余興の音楽演奏で終わった。そのしだいは前もって秀吉に知らされていたらしい。音楽が聴きたいと関白が言うと、前もって用意されていた楽器が運ばれてきた。その楽器はアルカラで枢機卿ドン・アスカニオ・コロンナから贈られたクラヴォ、ハープ、リュート、ヴィオラである。四人は長い旅のあいだにすっかり熟達していたので、皆川達夫氏によると、彼らが滞欧中にもっともよく演奏された「皇帝の歌」というような曲をみごとに演奏した。この音楽は和声をもって奏(かな)でかつ歌われたので、さながら「楽園の音楽、天使の合唱」のような調和にみちたものであった。関白は音楽を喜び、三度もくり返し演奏させ歌わせ、楽器を手にとってさわり、こんなにみごとに西洋の楽器を演奏する汝らは日本人とは思われないと言った。そしていかにもマンショを召し抱えたいようなようすをしたので、みな心配した。このとき関白は、これらの楽器を全部ほしいと言った。それは使節にとって打撃だったが、関白を怒らせないためには致しかたがなかった>

 皆川達夫さんによれば、この時使用された(つまり献上することになった)クラヴォは「スペインの貴族がわざわざローマから取り寄せた、真珠貝をちりばめた立派な鍵盤楽器であったと伝えられている」(皆川、前掲書)とのこと。

 しかしながら、せっかく秀吉が関心を示したヨーロッパ音楽であったにもかかわらず、4人の少年を迎えた日本ではすでにキリシタンに対する強烈な逆風が吹き始めていました。秀吉自身が数年後に、長崎で「日本二十六聖人」を磔(はりつけ)の刑に処します。やがてそれはますます過酷なキリスト教弾圧へとエスカレートし、それとともに「すべての楽譜も楽器も、邪教の具と見なされ、破棄され破壊され」(同)、ヨーロッパ音楽の摂取の気運は一挙に阻止されてしまいます。

<その後、わが国におけるヨーロッパ音楽は十九世紀後半の明治開国期に改めて導入されるまで、約2世紀半のブランクが続くのである>(同)

 井上ひさしさんの戯曲『天保十二年のシェイクスピア』の天保12年(1842年)は、シェイクスピアの名前が初めて日本語文献にあらわれた年ですが、作品の本格的な紹介、翻訳、上演は、やはり明治の文明開化を待たなければなりませんでした。

 さて、このメルマガ、「シェイクスピアの音楽会」から戻った仕事場で深夜に書き始めました。とうとう朝を迎えています。まるで『ロミオとジュリエット』みたいです。

 ぼんやりした頭のなかに妄想がふくらみます。もし豊臣秀吉が昨夜の「シェイクスピアの音楽会」を聴いていたなら、何と言ったか‥‥。

 中世・ルネサンス音楽に触れただけではありません。英国の文豪シェイクスピアの話がセットになってもたらされたのです。

 ひと昔前のタモリさんの番組が頭に浮かんできました。秀吉は、「今夜は最高!(What a fantastic night!)」と叫んだのではないか、と。

 最後に「シェイクスピア講座」の予告を――。次回の講義は、生物心理学の岡ノ谷一夫さんに『ロミオとジュリエット』を語っていただく予定です。この岡ノ谷さんは、なんと学生時代からリュートに親しんできているリュート弾きでもあります。『ロミオとジュリエット』の講義に続き、岡ノ谷さんにリュート特有の優しい調べをまた聴かせてもらうつもりです。

2018年5月31日

ほぼ日の学校長

ほぼ日の学校の講義やイベントを映像でたのしめる 
オンライン・クラス、6月28日(木)開講予定です。

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