ほぼ日の学校長だよりNo.44
「歌舞伎さん、いらっしゃい」
7月27日、「ほぼ日の学校」の第2弾、Hayano歌舞伎ゼミがスタートしました。シェイクスピア講座が終わって中2日。最終講義のメルマガ(No.43)を書いたり、受講生から続々と送られてくる熱い感想メールなどに目を通していると、なかなか脳内モードを「次」に切り換えるのがタイヘンでした。
そうはいっても、新たな受講生99人をフレッシュな気持ちで迎えなくてはいけません。当日は朝から徐々に歌舞伎ダイヤルに調子を合わせ、19時の授業開始に備えました。
今回の講座は、ほぼ日のサンエンス・フェローである早野龍五さんの“冠ゼミ”です。早野さんは物理学者。そのサイエンティストが、なぜ歌舞伎? と、不思議に思う人があっても当然です。
発端をたどると、いまから22年前、早野さんが東京大学で「理系学生のための歌舞伎入門」というゼミを始めたところにさかのぼります。「物理の先生がそんな授業をするのはダメ」と、理学部の事務は反対したそうです。それをくつがえしたのは、後に東大総長・文科相をつとめる当時の理学部長、有馬朗人(あきと)さん。いわく、「ぼくも時間があったら俳句のゼミをやりたい。早野くんにやらせなさい」――。
定員25名の人気ゼミになりました。けれども、3年続いたあたりで、早野さんの海外出張などが多くなり、中止を余儀なくされました。それでも、小さい頃から母親の影響で、歌舞伎を見続けてきた早野さん。生活の一部になった歌舞伎への思いは変わりません。日本にいるときは時間を見つけて歌舞伎座に通い、舞台に熱いまなざしを送ります。いつかゼミの再開を、と心ひそかに願いつつ――。
そんな思いをある時ぽろりと、糸井重里さんに洩らします。すると、「ほぼ日で歌舞伎の授業をやりませんか」と糸井さんが応じます。早野さんは、この時なぜか、色良い返事はしませんでした。「歌舞伎は学校で学ぶ必要はありません。劇場に行けばいいんです」と。
昨年3月、その早野さんが東大を定年退職しました。ゼミ再開の夢は叶いませんでした。4月、ほぼ日のサイエンス・フェローに就任。同時に、私もほぼ日の学校長に就任し、ほどなく「歌舞伎ゼミ」の話を糸井さんから聞かされます。「いずれ、ほぼ日の学校の授業としてやってみてはどうだろう?」と。
ご本人からも、詳しいお話を伺いました。授業の打診もしてみました。最初は慎重な(やや否定的な)ニュアンスでしたが、詳しく聞けば聞くほどに、こちらがグイグイ身を乗り出しました。やるなら早いほうがいいですね、とじわじわ外堀を埋めてゆき、徐々にプレッシャーをかけながら、ついに覚悟を決めてもらったのが昨年末。
その意味で、満を持してのHayanoゼミの船出です。あれほど盛り上がったシェイクスピア講座の次ですが、ボルテージの低下、気合の緩みは一切ないと思っていました。開講の挨拶で、私もそれを強調しました。
「一昨々日、シェイクスピア講座が最終回を迎え、学校の入り口に飾られていたシェイクスピアの巨大本(No.23参照)が消え去って、きょうはすっかり「和」の雰囲気になりました。けれども、引き続き変わらないのは、ユニークで、おもしろいプログラムを今回も用意しました、ということです。どうぞ皆さん、大いに楽しんでください」
こうして初回が始まりました。冒頭の30分、早野さんから全体の趣旨説明がありました。そして春日八郎(私などにとっては懐かしい往年の歌手)の「お富さん」という昭和29年の大ヒット曲が教室に流れ、この歌詞の背景にある「与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)」の名場面、「源氏店(げんじだな)」の解説が続きます。「お富さん」の歌い出し、「〽粋な黒塀 見越しの松に」とはいったい何なのか? 興味をそそるHayanoゼミのイントロでした。
そして、この日のメイン・スピーカーである矢内賢二さんが登場します。「私が初めて歌舞伎を観たのは、大学に入った平成元年(1989年)5月です。そんなに昔じゃありません」と、意外に遅い「出会い」を述べて、実はそれ以前、そうとは意識しないままに、すでに歌舞伎と“出会っていた”――その思い出を語ります。
フジテレビ「ドリフ大爆笑」の映像が流れ、加藤茶の歌舞伎パロディーを新鮮な目で眺めます。なるほど、こうしてあの頃は、笑いを通して歌舞伎のリズムや感覚を、いつの間にか吸収していたのだとわかります。
あるいは、「秘密戦隊ゴレンジャー」(1975〜1977)の「アカレンジャー!」「アオレンジャー!」、そして最後に「五人そろって、ゴレンジャー」とポーズをキメる場面。河竹黙阿弥の『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』、通称「白浪五人男」の五人組の盗賊が、順に名乗りをあげていく名場面との深い縁(えにし)が語られます。
<かつてのスーパー戦隊では、最後に全員がキッとポーズをキメると、背後でドカーンと大きな爆発が起きるのがお約束でした。歌舞伎の舞台で爆発というわけにはいきませんが、代わりに「ツケ」が入ったり、背景の幕が一気に落下して視界が一変する「振り落とし」があったり、その決定的瞬間を際立たせるための視聴覚的な演出が行われます。「ツケ」や「振り落とし」が現代的な形態に進化したものがあの爆発だったといってよいでしょう。いずれの場合も、この演出によって、一人一人の名乗りのリズムに合わせて助走してきた観客の生理的快感のリズムはピークを迎え、陶酔感のうちに解消されることになります>(矢内賢二『ちゃぶ台返しの歌舞伎入門』、新潮社)
この直観は、『ゴレンジャー』のプロデューサー、故平山亨氏の証言によって裏付けられます。「あの名乗りのポーズはやはり『白浪五人男』を直接のモデルにして」生まれていました。
ちなみに、私が矢内さんと出会ったのは、『明治キワモノ歌舞伎 空飛ぶ五代目菊五郎』(白水社、2009年)という著書を読んだ時でした。明治期の歌舞伎役者の躍動感や舞台の熱気、色、匂いを鮮やかに描き出した筆致に魅了されました。やわらかで、ウィットに富んだ語り口は、文章に限ったことではありません。
なめらかな話の流れに引き込まれ、講義はいつしか歌舞伎の本質論に迫っていきます。歌舞伎の秘密その1は、「え」と「ま」――すなわち「絵」と「間」が大事だ、と。
歌舞伎はどんな場面でも、常に「絵のような美しさ」、「かたちの美しさ」が大切です。動きやセリフ、音の「間」が決め手です。「人間の作り出す形や動きの絶妙の美しさ。『絵』を素直に愛でましょう」と。
歌舞伎の秘密その2――歌舞伎は役者を観るものである。
歌舞伎は、役柄(キャラクター)によって衣裳、化粧、髪型、姿勢、動き、発声などの「型」が細かく決まっているだけに、役者が身につけている雰囲気・持ち味の「仁(ニン)」に合う・合わないかが分かれ目です。「ニンがぴったりはまった時に型は最大限に機能を発揮するように設計されている」のです。
歌舞伎の秘密その3――歌舞伎に出てくる人たちは、「がっちり」であり、「ゆったり」である。
つまり、現代から見ると、「義理」「忠義」「孝行」「男尊女卑」など封建的な価値観や、社会的な身分制度に「がっちり」組み込まれているのが江戸時代の人々です。ところが、どうしてもそれでは収まり切らない感情があって、世間の秩序からはみ出した行動をとらざるを得なくなる。そこに、歌舞伎のドラマが成立します。
「彼らが今どんな立場にあって、どんな葛藤を抱えているか。江戸時代独特の事情や背景を、こちらからちょいと歩み寄って理解すれば、時代を超えて彼らと喜びや哀しみを共有できる。それこそが古典の値打ちというものではないか」
そして「ゆったり」というのは、舞台の上の時間が「現代の1.5倍くらいゆったり」流れているのが歌舞伎であると。最近の連続テレビドラマのような目まぐるしい急展開とは真逆です。だから観る側も、それくらい「ゆったり」まわりの景色を楽しまなければ――。
こうして歌舞伎「見物」の心得を教わった後は、『道行旅路花聟(みちゆきたびじのはなむこ)』、通称「落人」の早野勘平とおかる役にぴったりの美男美女の俳優を、みなさん考えてみてください、という課題が出ます。
手が次々に挙がることに驚きました。若い俳優さんや女優さんの名が挙がります。矢内センセイが「どうだ!」と披露したキャスティングは、佐田啓二とドリュー・バリモア! シブくて意外な組合せでした。
さて、メルマガを読んだ皆さんの「私が見たいおかる・勘平」は、誰と誰との道行きでしょう?
2018年8月2日
ほぼ日の学校長