2018年1月、
ほぼ日の学校が始動しました。

これからいったい、
どういう学校に育っていくのか。

そのプロセスの出来事や、
学校にこめる思いなどを、
学校長・河野通和が
綴っていきます。

ほぼ日の学校長

河野通和(こうの・みちかず)

1953年、岡山市生まれ。編集者。

東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業。

1978年〜2008年、中央公論社および中央公論新社にて
雑誌『婦人公論』『中央公論』編集長など歴任。

2009年、日本ビジネスプレス特別編集顧問に就任。

2010年〜2017年、新潮社にて『考える人』編集長を務める。

2017年4月に株式会社ほぼ日入社。

ほぼ日の学校長だよりNo.48

「熱海殺人事件」と『異邦人』

 今週は「Hayano歌舞伎ゼミ」第3回「ぼくはこうやって歌舞伎役者になりました」(特別ゲスト/歌舞伎役者・中村梅丸さん)が行われました。一般家庭に生まれながら、2歳で歌舞伎に目ざめ、その後めざましい成長を遂げつつある若き役者の興味尽きない語りでした。

 その紹介は次に譲るとして、今回はその2日前(9月8日)にやった「名著深読み! 大人の読書会」最終回についてご報告したいと思います。

 取り上げた本は、アルベール・カミュ『異邦人』(新潮文庫)でした。なぜ、いま『異邦人』なのか? 理由の説明が少し長くなるかもしれませんが、その点はどうぞご容赦ください。

異邦人

 きっかけは3年前にさかのぼります。ショッキングな出来事があったのです。これを私は「ムルソー蒸発事件」と呼んでいます。

 もっとも、それを語るためにはさらに時計の針を巻き戻して、約40年前のことからお話しなければなりません。演劇評論家の故・扇田昭彦さんは、「70年代後半から80年代はじめにかけて現代演劇の世界はまさに『つかの時代』だった」と述べています。「つか」とは作家、演出家のつかこうへい(1948―2010年。62歳で死去)です。「つか以前」、「つか以後」ともいわれる革新的な舞台を生み、「つかブーム」、「つか現象」と呼ばれる熱狂の渦を巻き起こしたカリスマ的演劇人です。

 彼の何よりの功績は、「いわゆる演劇ファンのみならず、演劇などよそ事だった若者たちをも熱狂的なステップで劇場へ詰めかけさせた」(長谷川康夫『つかこうへい正伝1968―1982』、新潮社)ことです。代表作のひとつが「熱海殺人事件」です。時代のアイコンともなったこの作品は、追加公演のチケットを求める長蛇の列の記録を生み、新宿・紀伊國屋ホールの収容可能な客数の限界に挑戦し続けるという事態を招きました。

つかこうへい正伝

 それから幾星霜(いくせいそう)。若手俳優として出演していた風間杜夫、平田満のコンビが33年ぶりの復活。それにつかの長女、愛原実花さん(元宝塚歌劇団・娘役トップ)が初参加して、2015年12月、「熱海殺人事件」の再演が紀伊國屋ホールで実現しました。

 もちろん、観に行きました。客席には明らかに“かつての若者たち”の姿が目立ち、役者たちの独特の掛け合い、リズムに乗せたつか流のテンポの早いセリフを懐かしみました、ところが、観終わってから、何か物足りなさが残りました。何だろう、と思って、はたと気づいたのです。カミュがない! 『異邦人』が消えた、と。 

 「熱海殺人事件」という芝居についても、少し説明しておきます。「白鳥の湖」のオーボエのメロディーとともに始まるこの芝居――警視庁捜査一課にその人ありといわれた“くわえ煙草伝兵衛”こと木村伝兵衛部長刑事のもとに、富山県警きっての切れ者という触れ込みで熱血捜査官、熊田留吉刑事が赴任してきます。彼らが担当することになるのが、静岡県警から解決を託された難事件――熱海海岸で発見された女工・山口アイ子殺しの一件です。容疑者大山金太郎が訥々(とつとつ)と語る自白内容では、あまりに事件が平凡で、華にとぼしく、ドラマ性を欠いている。なんとかこのチンケな3流事件を、愛と涙の謳い上げるような物語にできないか。捜査する側、取り調べられる側、お互いに力を合わせて、これを「立派な押しも押されもせぬ」殺人事件に仕立て上げようではないか、というバカバカしくも、切なく、愛(いと)しいドラマなのです。

定本熱海殺人事件

 とまぁ、いくら書いても、なかなかおもしろさは伝わらないと思いますが、当時、現役バリバリの紀伊國屋ホール・プロデューサーが、「世の中にこんなに面白い芝居があるのかと思った」と言うほど、観客を笑わせ、揺さぶり、熱狂させたのが「熱海殺人事件」です。脚本、演出、音楽、照明、美術、俳優陣など、いろいろ成功の要因はありますが、つか芝居の魅力は、何といってもセリフからほとばしるようなパワーです。

 熱海海岸、山口アイ子殺害の場面です。大山金太郎の証言が歯がゆくてガマンできない熊田刑事は、もっとリアリティのある“殺意”はなかったのか、と迫ります。そして犯行現場を想像し、妄想にまかせて語り始めます。脇にいる婦人警官のハナ子が応じます。

熊田 「(略)男の胸になぜかしら虚しい風が吹き抜ける。白い砂が目を焼く。目の前は真っ青な海。そして太陽。まぶしい、まぶしい、まぶしい、太陽がまぶしい。けさ、ママンが死んだ!!」
ハナ子 やった‼
熊田 お前は隠していたな。あの犯行のあった日、お前のお母さんは死んでいたはずだ。
ハナ子 そうなの、お母さん死んでいたのよ。

 これを聞いた大山が驚き、反駁します。「ぴんぴんして、段々畑のぼったり降りたりしてるよ」

熊田 嘘をつくな嘘を。今、日本の犯罪は世界の檜(ひのき)舞台に向かって大きく羽ばたいた。
ハナ子 大きく羽ばたいたの。
熊田 もう俺はお前のことを大山金太郎とは呼ぶまい。大山ムルソーと呼ぼう!
熊田・ハナ子 ムルソー。やった、やった、やった‥‥。

 ムルソーとは、いうまでもなく『異邦人』の主人公です。この小説のもっとも有名な場面――「きょう、ママンが死んだ」という書き出しと、裁判長に殺人の動機を尋ねられたムルソーが、「それは太陽のせいだ」と言うシーン――が、熊田留吉の妄想を駆り立てるというパロディーです。台本から伝わってくる異様なテンションの高さもそうですが、ここに『異邦人』を持ってくる劇的センスに、客席がドカンドカンとわいたのです。『異邦人』はそれほどポピュラーだったのです。

 それが、2015年の「熱海殺人事件」の再演では、なんと、きれいサッパリ消えてしまったのです。仄聞(そくぶん)するところ、カミュなんてもう誰も知らない、このセリフは受けない、カットしよう、になったとか。

 演出は劇団☆新感線のいのうえひでのりさんでした。1980年の新感線旗揚げ公演は、「熱海殺人事件」です。その後も、つか作品を次々に上演し、つかこうへいをもっともよく知る一人であり、つかをリスペクトしていたその人が、この決断を下したのか! 2重の意味でショックでした。

 ひとつには、つかとカミュの関係は、実はそうとうに深いものがある、と踏んでいたからです。たんにギャグのネタとして使っただけではなく、両作品には本質的な親和性がある、と見ていたのです。もうひとつは、そんなに『異邦人』は「誰も知らない」作品になりはてたのか、という驚きです。

 これが「ムルソー蒸発事件」の衝撃です。

 その後、聞けば聞くほど、いのうえひでのりさんの判断が間違っていなかった、という残念な傍証ばかりが増えてきました。フランス文学者の野崎歓さんでさえ、こう述べています。

<かつては青春の読書の定番として、だれもが読んだはずの、現代小説の古典というべき作品です。でもいまではさすがに、「教養主義」の地盤沈下とともにその知名度は下がってきているかもしれません。
 そのことをこのあいだ、ぼくは大学でのフランス語の授業中に痛感させられました。エトランジェ、という単語が出てきたので、「これに定冠詞をつけたレトランジェが、カミュの『異邦人』ですよ」と無駄口を叩いたのです。学生たちはきょとんとして当惑顔。前の席の熱心な男子に、「イホウジンってなんですか」といわれてしまいました。イホウジンという単語自体、ぴんとこなくなっているようです。いわんや、ジツゾンシュギもフジョウリも、もう通じなくなってしまったでしょうか? 高校から大学にかけて、ぼくなどかなり打ち込んだものだったのですが‥‥>(『カミュ「よそもの」きみの友だち』、みすず書房

カミュ「よそもの」きみの友だち

 『異邦人』はいろいろな読み方ができる作品です。それこそ半世紀ほど前までは、実存主義だ、不条理文学だ、やれサルトルだ、カミュだといった“頭でっかち”な読まれ方が一般的でした。その流行というか、通念が、当時から不満であり、疑問でした。

 最初に読んだ時、主人公ムルソーの世界にスッと入ることができたのは、個人的には3つのジャンルのB級文化――フランスのフィルム・ノワール(暗黒街映画)、東映任侠映画、アメリカのハードボイルド小説――を偏愛していたからです。ムルソーのストイックな生き方、美学、やさしさ、誠実さ、孤独、男の友情、それを描く簡潔で、乾いた文体、劇作法(ドラマツルギー)などに似通った体質を感じたからです。そういう読み方をする人がほとんどいないことのほうが、不思議でした。

 今回は読書会の相手がフランス文学者の中条省平さんでした。私の偏愛する3つのジャンルについて精通しているばかりか、カミュについては今年6月に『ペスト』をNHK「100分de名著」で講義したばかりです。

ペスト

 おかげで、「深読み」、「大人の読書会」にふさわしい自由な「読み」をたのしむことができました。カミュは忘れられていい作家だとはとうてい思えません。世界の不条理に抗して、不条理に脅かされながらも生きる道を探ってこそ人間である、とカミュは考えます。現代(いま)にこそ訴えかける作家だとはいえないでしょうか。

 この3ヵ月間、釈徹宗さん、若松英輔さん、中条省平さんと3人の「読み巧者」を相手に、本を「読む」ことについても、いろいろな示唆を受けました。「ほぼ日の学校」にどうつなげていくか、新たなたのしみが生まれています。

2018年9月13日

ほぼ日の学校長

*9月9日、河合祥一郎さんが新訳・演出したシェイクスピアの「お気に召すまま」を観てきました(シアター・トラム)。シェイクスピア講座の受講生、講師の山口宏子さんなどにも幕間にお会いできました。こうしたつながりが継続するのも、「学校」の良さだと思います。「お気に召すまま」は9月13〜17日まで、彩の国さいたま芸術劇場小ホールで上演されています。

「ほぼ日の学校長だより」は、
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「ほぼ日の学校」のはじまりや、これからの話、夢や想いを
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