ほぼ日の学校長だよりNo.23
「手塚治虫がシェイクスピアに」
デビューは昨年12月22日、東京・赤坂の草月ホールでした。ほぼ日の学校スペシャル「ごくごくのむ古典」のイベント会場に初のお目見え。以来、「シェイクスピア講座2018」に欠かせないアイコンとなりました。
ついつい自画自賛したくなるのです、教室の入口で受講生を迎えるシェイクスピアの巨大な本!
よくできている、とうっとりします。が、元はといえば、「ほぼ日ハラマキ」の宣伝用に作られた本の模型です。シェイクスピアになる前は、手塚治虫のマンガ本だった、というのも、聞いて嬉しくなりませんか?
昨年12月、「ほぼ日×手塚治虫」というコラボ企画が実現しました。『鉄腕アトム』、『リボンの騎士』、『火の鳥』、『ふしぎなメルモ』など手塚治虫の名作がハラマキになって発売されました。
その際、PR用にほぼ日のデザイナー廣瀬が図面を引き、外部の方の手も借りて、完成させたのがこの「本」です。1ページの大きさが、タテ182cm、ヨコ112cm。
社内の大型プリンターの出力容量とベニヤ板の大きさに合わせて、本のサイズが決まりました。それをどう立体的に見せたらいいか。本になだらかな湾曲をつけたところがチャーム・ポイントです。手塚さんのマンガのキャラクターたちが、ほのぼのとお腹をあたためてくれるイメージです。
ところが、PRのお役目をじゅうぶんに果たして、その後の利用法も検討されたのですが、いったんは解体の危機にさらされました。そこに「ごくごくのむ古典」が実にいいタイミングで現われます。「ほぼ日の学校」スタッフのアイデアです。
さて、この「本」の絵柄はなにかといえば、シェイクスピアの戯曲集です。世に「サード・フォリオ2刷り」(*)と呼ばれる本の扉の見開きをコピーしたものです。原本は河合祥一郎さんにお借りしました。
シェイクスピアは1616年に没しますが、その7年後、長い付き合いのあった役者仲間(シェイクスピアは俳優でもありました)で、その遺書に「わが同僚」に26シリング6ペンスを贈るように、と書かれた3人のうち、ジョン・ヘミングズとヘンリー・コンデルの2人が、追悼の思いをこめてシェイクスピアの戯曲集を刊行します。
1623年に出た最初の本が第一・二つ折本(ファースト・フォリオ)と呼ばれ、9年後の1632年の版がセカンド・フォリオ、1663年の版がサード・フォリオといわれます。
フォリオとは、印刷した紙を二つに折って綴じた本のことで、シェイクスピア・フォリオの大きさは、タテ34cm、ヨコ23cm。ほぼ現代の百科事典なみのサイズです。
河合さんに伺うと、二つ折本という判型は、当時は神学、法学、歴史学などの学問的文献や古典作品の全集を出版するための格調高いものと考えられ、大衆的な娯楽として低く見られていた芝居の台本集が二つ折本で出されるのは、きわめて異例というか、画期的な出来事でした。
現在シェイクスピアが書いたとされる約40の戯曲のうち36本がおさめられ、正式なタイトルは『ウィリアム・シェイクスピア氏の喜劇、史劇、悲劇』。発行部数は750部程度とされ、価格は1ポンド(=20シリング/240ペンス)。エリザベス治世下で急成長していた炭鉱労働者の日当が、最大で6ペンスだったという時代です(イアン・モーティマー『シェイクスピアの時代のイギリス生活百科』、河出書房新社)。
いま、このファースト・フォリオは世界に200数十部現存するとされ、1冊が数億円で取引されることもあるそうです。人気ミステリー小説の『ビブリア古書堂の事件手帖』(三上延、KADOKAWA)のシリーズ完結編(第7巻、2017年2月刊)で、主人公の「栞子(しおりこ)さん」らが向き合ったのも、このファースト・フォリオをめぐる事件でした。
ちなみに、その貴重なファースト・フォリオ12冊のほか、第4版までのフォリオ本など、各種のシェイクスピア本を所蔵しているのが、東京・日野市にある明星大学です。詳しいことをお知りになりたい方は同大図書館の「貴重書デジタルアーカイブス」でご覧になるのがいいと思います。
当時の印刷事情や紙の種類、1冊として同じ本がないという製本の裏話、本の所有者が引いたアンダーラインや余白の細かい書き込みなども興味深いかぎりです。
さて、巨大本の話に戻ります。シェイクスピアの講義が行われる日に「ほぼ日の学校」の教室入口に置かれるこの「本」は、撮影スポットとしても人気です。昨年末のイベントでは、カクシンハンの俳優・岩崎MARK雄大さんが「シェイクスピアさん」として、一緒に記念撮影に応じてくれました。
左ページにあるシェイクスピアのおなじみの肖像画の下には、ベン・ジョンソンという同時代の劇作家の詩が掲げられています。
<読者へ
ここに御覧のこの肖像画は
優しきシェイクスピアを模して刻んだもの。
銅版を作った者は
本物より本物らしくとがんばった。
ああ、その才知を銅版に描ければよかったのに
その顔と同様に。さすれば、銅版にこれまで
描かれたすべてを凌駕(りょうが)し得たであろう。
だが、それは無理ゆえに、読者よ、
この絵ではなく、彼の本を見よ>
(河合祥一郎『シェイクスピアの正体』、新潮文庫より)
ところが皮肉にも、シェイクスピア別人説を唱える人たちは、最終行の「この絵ではなく、彼の本を見よ」というベン・ジョンソンは、「肖像画の役者シェイクスピアが本当の著者でないことを知っていた」(前掲書)と解釈します。
別人説というのは、あの偉大なシェイクスピア作品を書いた劇作家が、ストラットフォード・アポン・エイヴォン生まれの田舎者の、教育のない役者あがりの男であるわけがない、と主張しています。上記の『シェイクスピアの正体』に詳しいのですが、先日の講義でも紹介されたシェイクスピア別人説にはこんなユニークな学説もあります。
<‥‥この本に掲げられたシェイクスピアの肖像の銅版画をよく見てみると、耳からあごにかけて怪しげな線が見えるが、そこに注目すればこの顔が仮面になっているとわかるという。作者の本当の顔はこの仮面の裏にあるそうだ>(同)
受講生が思わずしげしげと、肖像画のあごのあたりを眺めて帰ったのはいうまでもありません。
「シェイクスピア講座」の期間中、巨大な本は魔よけの役目も果たしながら、入口で受講生を歓迎しています。手塚マンガの主人公もお似合いでしたが、「身内」のひいき目か、このシェイクスピアも可愛らしく、まるで“彼のために”作られた本のように思えます。
2018年2月22日
ほぼ日の学校長
*この版ではそれまでの版に対して、7本のシェイクスピア戯曲が追加されました。ところが、このうち『ペリクリーズ』以外の6本は別人による作品であるか、もしくはシェイクスピアの作品(正典)である可能性は否定できないが断定する根拠に乏しい、ということで除外されます。それらは「シェイクスピア外典(がいてん)」に分類されています。