ほぼ日の学校長だよりNo.104
「もやもや感」の物語
ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)が、毎日出版文化賞特別賞、Yahoo!ニュース|本屋大賞2019ノンフィクション本大賞、ブクログ大賞(エッセイ・ノンフィクション部門)を、立て続けに受賞しました。ブレイディさんはすっかり時の人になりました。おめでとうございます!
8月末にお会いして以来(No.94〜No.96参照)、この本に出てくるフレーズが、しばしば頭をよぎる
ようになりました。
「多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」
<さんざん手垢のついた言葉かもしれないが、未来は彼らの手の中にある。世の中が退行しているとか、世界はひどい方向にむかっているとか言うのは、たぶん彼らを見くびりすぎている。>
後者は、親の知らないところで成長していく子どものたくましさを目の当たりにして、母親としての驚き、感動をこめて、未来の世代に対する信頼と希望をブレイディさんが語った言葉です。
EU離脱をめぐる相変わらずの英国の混乱や、1年後に迫った米大統領選の新聞報道などを読んでいると、これらのフレーズがふと頭をよぎります。
そんな折も折、いい本に出会いました。朝日新聞政治部次長の大島隆さんが書いた『芝園団地に住んでいます――住民の半分が外国人になったとき何が起きるか』(明石書店)です。
実は、大島さんとは先日、朝日新聞の「あすへの報道審議会」という会議で「多民社会 共生の道は」というテーマをめぐって一緒に話をする機会がありました(*)。ところが、その時にはこの本のことをまだ知らなくて、遅ればせながら読ませてもらった次第です。
いまや、日本に暮らす外国人は270万人を超え、過去最多を更新しています。外国出身や、外国にルーツを持つ人たちを含め、日本はまぎれもなく多文化、多民族の人々がともに暮らす「多民社会」になっています。少子高齢化が進むなか、さまざまな分野で外国人の働き手を必要とし、職場や学校、地域社会などで、すでに「共存」が進んでいます。しかし、日本人と外国人がともに安心して「共生」していくためには、いろいろと克服すべき課題があります。
大島さんは2017年1月から、埼玉県川口市の芝園団地に住んでいます。いまから約40年前に、当時の日本住宅公団(現在のUR=独立行政法人都市再生機構)が郊外に建てた典型的な大規模団地の一つです。
芝園団地
家賃は7万7200円。「思ったほど安くない」と著者。
ところが、1990年代から外国人居住者が増え始め(収入などの条件を満たせば、中長期の在留資格を持つ外国人がスムーズに入居できるので)、いまや5000人弱の団地住民の半数以上が外国人で、その大半が中国人です。
一方、日本人住民は高齢化が進んで減少の一途をたどり、古くから住んでいる人の多くが70代以上です。かつて大友克洋の漫画『童夢』の舞台になったそうですが、いまや日本人の高齢化と、外国人住民との「共生」という、2つの「課題先進地」になっている、と著者は述べます。
初めて団地を訪れた日の印象を、著者は次のように記しています。
<道路に面した団地の入り口から足を踏み入れると、小さな広場を囲むように十数の店が並ぶ、商店街がある。(略)
ほとんどの店の看板に、中国語が書いてある。食料品店の入り口には中国語の情報誌や新聞が置かれ、自販機には中国の缶飲料がある。
「こんな場所があったのか」。話には聞いていたが、実際に目にすると驚いた。いろいろな国でチャイナタウンを見てきたが、日本で、中国人がこれほどの規模で集まっている地域を見るのは、初めてだった。
同時に、「思ったほど『荒れて』いないんだな」というのも、初めて団地を訪れたとき、頭に浮かんだことだった。
そう思ったのは、事前にインターネットで調べたときの情報が、頭の中にあったからだった。
「中国人に乗っ取られた」「ごみ落下注意」「マナーゼロ」‥‥。ツイッター上にはこうした匿名の書き込みがいくつもあった。「芝園団地」と検索をした人は、さぞかし大変な場所だと思うだろう。
実際に団地の中を歩いてみると、建物こそ古さを感じさせるものの、敷地の中は掃除も行き届いて、きれいに保たれていた。
団地の中を歩きながら、不思議とわくわくするような気持ちがわいてきた。
ここに住んでみよう。初めて訪れたとき、気持ちはすでに固まっていた。>
商店街の中国料理店
淡々とした文章ですが、これだけの記述のなかでも、おそらく多くの「予見」が覆されたのではないでしょうか? 少なくとも、私はそうでした。
とはいえ、なぜ芝園団地にそもそも目星をつけたのか? そこには著者ならではの事情がありました。ドナルド・トランプ氏が勝利した2016年秋の米大統領選挙を現地で取材していたというのです。
大方の人が驚いたトランプ氏の勝利。著者は投票日前に、「ラストベルト(さびついた工業地帯)」と呼ばれる中西部の地域を中心に歩き、熱狂的なトランプ支持者の声を聞きます。「メキシコ国境に壁をつくれ」と声を上げるトランプ候補に、立ち上がって拍手を送る人々です。
しかし、それ以上に衝撃を受けたのは、選挙結果が出た直後です。トランプ大統領誕生に勢いを得て、全米のあちこちで反移民感情が噴出し、「移民やマイノリティへの嫌がらせや暴力事件が相次いだ」のです。
移民国家であり、「人種のるつぼ」といわれた国柄を誇り、世界の各地からやってくる移民の活力を武器にして20世紀をリードしたのがアメリカです。その米国で、なぜこんなに急速に、反移民感情が広まってしまうのか?
実は、著者の家族はアメリカで暮らしています。移民問題は、家族の問題に直結します。
<トランプの勝利が決まった翌日に現地入りした私は、高校生の長女とニューヨークの街を歩いたが、その表情は終始硬かった。
「見て」
私に渡したスマートフォンの画面には、「見知らぬ男に、通学途中に『自分の国へ帰れ』と言われた」という、アジア系の女子学生のフェイスブックの書き込みがあった。>
移民国家である米国ですら、排外主義の影がこのように忍び寄ってくるのです。もしこの先日本で、もっと外国人が増えたらどうなるのだろう? 帰国後も、その問いが頭を離れませんでした。そんなときに、ツイッターにあったこんな書き込みを思い出します。
<移民入れろ―とか言ってる連中も、まずは自分らが率先して芝園団地などに住めってんだよ!っていつも思う>
こうして、著者と芝園団地の“縁”が結ばれます。そして、実際に移り住んだ後は、自治会活動に参加し、日本語教室にも通い、隣人たちとできるだけ言葉をかわしながら、「日本人と外国人が同じ場所で暮らすとき、何が起こるのか」、「住民には、どのような感情が生まれるのか」を、生活者として、また観察者として、内部で体験しながら掘り下げます。
中国人居住者の多くは、東京都内で働くプログラマーなどIT技術者で、単身者も既婚者も、いずれも20代から30代の若い中国人がほとんどです。ネットであれこれ書かれるような、ごみ出し、騒音などのトラブルは、この5年で影を潜めていました。トラブルが絶えない「荒れた団地」のイメージは、いまの芝園団地の実像とはかけ離れています。
団地内のごみ置き場。
日本語と中国語、英語で
ごみの分別方法が書かれている
また、著者はすぐに気づきます。「普通に生活をしていると、中国人住民と接する機会はあまりない」と。
<日本人と中国人は、ほとんど接触がないのだ。それはあたかも、一つの団地に交わらない二つの世界、パラレルワールドがあるようだった。>
<言語や文化の違いだけではない。そもそも世代や生活スタイルも、高齢の日本人住民と若い中国人住民では、大きく異なっている。同じ年頃の子供がいるわけでないので、子供を通じた交流も生まれない。(略)
「共生」とは、文字通り「共に生きる」ということだ。そこには、異なる者同士がつながり、協力して生きていくという含意があるはずだ。
一つの団地に、大きなトラブルもなく暮らしているという意味でいえば、団地の日本人住民と中国人住民は、「共存」はしているかもしれない。
だが、これは「共生」とは違うのではないか。そんな思いを抱くようになっていった。>
日中二か国語の注意書き
両者の間には「見えない壁」、「静かな分断」がありました。そして、どうにも割り切れない「もやもや感」が、日本人住民にはありました。
「一見すると平穏に見えるが、マッチ一本の火があっという間に燃え広がるように、何かのきっかけで‥‥怒りや不満の炎となって広がっていきかねない」──そんな危うさをはらんでいると感じられます。
たとえば、夏の「ふるさと祭り」です。やぐらを組んで盆踊りをやり、住民や商店が露店を出して盛り上げます。準備と後片付けには大変な手間がかかります。
ふるさと祭りでやぐらを囲んで
踊る人たち(2018年)
何のためにやっているのか? そんな言葉が日本人住民から聞こえます。
かつては自分たちや、子どもたちが楽しむためにやっていた。ところが、高齢化が進み、子どもたちは独立して外で居を構えるので、団地に日本人の子どもはほとんどいなくなっています。
ふるさと祭りでの「芝園太皷」の演奏
(2017年8月)
<それでも、祭りの準備や運営を担っているのは、今でも日本人住民だ。準備に携わる人数自体が減っているうえ高齢化が進み、負担感は年々大きくなっている。しかも、祭りの準備や運営をするのは自治会だが、中国人住民のほとんどは自治会には入っていない。
(略)
これではまるで、日本人住民が中国人住民を楽しませるためにやっているようなものではないか──。>
自治会には加入せず、本来負うべき応分の負担を避けているにもかかわらず、恩恵だけを受けている、という一種の「ただ乗り」批判がそこにはあります。しかも、団地に住む中国人だけではなく、周辺地域からも多くの中国人が、興味深そうに訪ねてきます。「その数は年々増え、いまや日本人住民よりも多いくらいだ」というのです。
自分たちが中心から脇へ追いやられ、「私たちの団地」という思いが根底から揺るがされる反発と不安が頭をもたげます。
その「もやもや感」の深層を、著者はさまざまな日本人住民の言葉から、次のような匿名の物語に仕立てます。
<芝園団地は、私が人生の大半を過ごしてきた場所だ。四〇年前に私たちが引っ越してきたころは、団地には本当に活気があった。皆若くて、元気だった。仲間と旅行をしたり、いろんな催しもやったりした。団地の中では子供たちの元気な声が響き、夏のふるさと祭りは、人込みで身動きが取れないほどのにぎわいだった。
みんな歳をとって年金暮らしになった。昔のような活気がなくなって寂しい気もするけれど、ここには知っている人がたくさんいて、つながりがある。ここが、自分の居場所だと思う。
けれど、気がついてみたら知らない外国人がたくさん住むようになった。広場で遊ぶのは中国人の親子ばかりだ。聞こえてくる言葉も、私には理解できない外国語だ。商店街も、いまでは中国の店ばかりになってしまった。ふるさと祭りだって、いまでは広場の真ん中で中国人がブルーシートで場所取りをしている。私たちの居場所が、どんどん少なくなっていくようだ。
彼らは私たちに話しかけてこない。自治会にも入らない。団地の中で、自分たちの世界をつくって暮らしている。私たちのしきたりやルールを守らない人もいる。子供は日が暮れたら家に帰るべきなのに、夜遅くまで子供が広場で遊んでいる。
ここは私たちの団地のはずだったのに、すべてが変わってしまった。私たちのほうが隅に追いやられてしまったような気分だ。>
たまご広場
諄々(じゅんじゅん)と綴られる文章には、リアリティがあって引き込まれます。そして「ただ乗り」批判のより深い心の奥には、自分たちの世界になるべく入ってきてほしくないというホンネが見え隠れすることを見逃しません。「私には、日本人の側が、『見えない壁』をつくっているように感じた」と。
著者は中国人住民ともつながりを持ちます。そして中国人の社員旅行に同行し、中国人団体客が普通の日本人のどんな好奇の眼差しにさらされるかを身をもって体験します。また、「中国人といっても実際にはさまざま。ひとくくりにしないでほしい」という言葉に同意します。
さて、両者の間の「見えない壁」をどうしたら取り除くことができるのか? すでに「芝園かけはしプロジェクト」という学生による積極的なボランティア活動も始まっています。メディアや行政からは「多文化共生に取り組む団地」として前向きに評価されることもしばしばです。
けれども、「共存」か「共生」か、めざすイメージは人によって違います。「もっと交流したい」という人たちと、「お互いが静かにトラブルなく暮らせれば、特に交流がなくてもかまわない」という人たちと、どちらが主流とも言えない状況です。
ふるさと祭りで、
住民が団地への思いをつづった
短冊をつるした。
「芝園かけはしプロジェクト」の
学生たちが企画した
(2017年8月)
著者は、そこを慌てず、騒がず、丁寧に見ていきます。そしておおむねこちらの方向へ歩むのがいいのではないか、という示唆を与えるところにとどめます。
ブレイディみかこさんは「キッチン・シンク(台所の流し)」の目線──身のまわりのありふれた素材をもとに、肌感覚で“地べた”から政治や社会を描きたい、と言いました。大島隆さんがここで決めた立ち位置も、それに近いものを感じます。
「もやもや感」の解消に簡単な解決法などないでしょう。「うんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだ」という覚悟をもって、少しずつ進んでいくしかないのでしょう。
2019年11月21日
ほぼ日の学校長
*「あすへの報道審議会」の記事は11月19日の朝日新聞朝刊に掲載されました。
*芝園団地の写真は、大島隆氏撮影・提供。
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