ほぼ日の学校長だよりNo.19
「小さな国の大きな作家」
今回は「ほぼ日の読書会」のことを書いてみようと思います。先週の金曜日(1月19日)に第3回を行いました。
取り上げたのはチェコの作家カレル・チャペックの『園芸家12カ月』(中公文庫)という作品です。初めて読んだのはこの作品が中公文庫に入った直後ですから、1975年12月あたり。かれこれ40年以上も前になります。もともとチャペックという作家に興味がありましたので、「これが噂の名作か」と思って手に取りました。
幅広いジャンルで、多彩な作品を残したチャペックです。これはなかんずく、楽しんで書いた作家の余技だというふうに受け止めました。ちょうど70年代は、「第三の新人」と呼ばれる日本の作家たちが、さかんに軽妙なエッセイを書いて、人気を博していた時代です。
「狐狸庵(こりあん)」先生こと遠藤周作の「ぐうたら」もの、安岡章太郎の『へそまがりの思想』『なまけものの思想』、吉行淳之介の「軽薄」シリーズ、阿川弘之の乗り物エッセイもこの系譜に入るでしょう。北杜夫の「マンボウ」、畑正憲「ムツゴロウ」シリーズなどもありました。
趣味というには、かなり重度の“園芸熱”にとりつかれた自らを、微細に、冷静に観察し、皮肉と自嘲をこめてとらえた“園芸マニアの生態学”として楽しみました(いまは作家の本領を発揮した、むしろ代表的な著作ではないかと思っています)。
それから10数年後、「ベルリンの壁」が崩壊し、東欧に大きな時代の変化が訪れます。そこで、だいぶ読み方も変わりました。私自身が30代後半になっていたせいもあります。
原著を刊行した当時の作家の年齢(39歳)に近づいていました。凝り性の人間が、ひとつの情熱にとりつかれ、その深みにどんどんはまっていく快楽。あらがいがたい“庭の妖精”の誘惑。
自然や草花を相手にした、思うにまかせない庭づくりの苦労。ささやかに報われた時の、えもいわれぬ喜び、感動‥‥。
いかにも人間的な心の働きや、それを書きとめる作家のまなざしを共有できる年齢に、こちらが達していたのは幸いでした。
冒頭の章の数行に、いきなり感嘆します。園芸家になるとはどういうことか、を端的に示した文章です。
<ものの考え方がすっかり変わってしまう。雨が降ると、庭に雨が降っている、と思う。日がさしても、たださしているのではない、庭にさしているのだ。日がかくれると、庭がねむって、今日一日のつかれをやすめるんだ、と思ってほっとする。>(小松太郎訳)
北風が吹く、霜がおりる、嵐が来る‥‥自然現象によって呼び覚まされる感性が、いつの間にか「庭」中心に変わっているのです。
<人間が真理のためにたたかうことは事実だ。しかし、自分の庭のためだったら、もっといそいそとして、夢中になってたたかう。>(同)
<われわれ園芸家は未来に生きているのだ。バラが咲くと、来年はもっときれいに咲くだろうと考える。(中略)本物、いちばん肝心のものは、わたしたちの未来にある。新しい年を迎えるごとに高さとうつくしさがましていく。ありがたいことに、わたしたちはまた一年齢(とし)をとる。>(同)
作品の印象が、より深くしみ込むようになったのは、もうひとつ、社会主義体制の崩壊と関わっています。ながらく「禁書」扱いされていたチャペックの著作『マサリクとの対話』が、1990年にチェコ本国で再版されます。それが石川達夫氏によって完訳されます(成文社、1993年刊)。
マサリクとは、第一次世界大戦後の1918年、オーストリア=ハンガリー帝国の瓦解とともに独立を勝ち取ったチェコスロバキア共和国の初代大統領、トマーシュ・マサリクです。哲人大統領として敬愛された「祖国の父」にジャーナリストとして接したチャペックは、たちまちその人柄に魅了され、公私にわたる親交を深めます。
そして1928年から35年までの長期にわたり、マサリクの生涯と思想を3部構成の大著にまとめます。それが『マサリクとの対話』です。『園芸家12カ月』が刊行されたのは、その第1部を世に問うた直後の1929年です。
マサリクは、第3部が刊行された2年後に世を去ります(1937年9月14日)。ミュンヘン会議が開かれるのは、その翌年、1938年9月です。ヒトラーの強引な要求を前に、英・仏がチェコのズデーテン地方割譲案に譲歩します。これをきっかけに、ナチス・ドイツが翌年チェコに侵攻。共和国は解体し、チェコはドイツの支配下に置かれます。
チャペックはその直前、1938年12月25日、肺炎を発症して他界します。48歳。非常な寒さにもかかわらず、草木を守るための庭仕事に熱中し、風邪を引いたのが原因といわれます。
『園芸家12カ月』は、マサリクに託して“未来”を信じたチャペックの幸福感と、迫り来る危機に対する抵抗の意志をともに想像させます。
この作品には、ほのぼのとしたイラストが数多く添えられています。3歳年上の兄ヨゼフ・チャペックの挿絵です。
兄弟は一卵性双生児かと思われるほどの仲で、仕事の上でもパートナーでした。弟をうしなったヨゼフは、失意のまま、ドイツ占領下の自国にとどまります。しかしやがて、ゲシュタポに連行され、強制収容所へと送られます。いくつかの収容所を転々とし、最期は病死したとされますが、確かなことは不明です。
チェコは1945年、第2次世界大戦の終結とともに「解放」されますが、スターリン独裁時代のソ連軍によってでした。戦後はソ連の「衛星国」として共産党独裁の全体主義体制が敷かれます。「反動主義分子」マサリクを評価したチャペックの著作は、「禁書」の扱いにならざるを得ませんでした。
それが、1993年に先述の邦訳によって私たちもようやく読めるようになりました。チャペックがマサリクに寄せていた「深い尊敬と献身の念」や、彼に見ていた希望がひしひしと伝わってきます。
あわせて犬や猫、草花にあふれんばかりの愛情を注いだ作家の心情が、祖国の辿った過酷な歴史とともに、より強く迫ってきます。
今回、読書会のテーマにこの本を選んでくれたのは糸井さんです。一も二もなく賛成しました。ユーモラスな筆致を思い浮かべ、嬉しさがこみ上げました。
読書会では、チェコと日本の関わりについて話すうちに、1964年の東京オリンピックで「東京の恋人」「五輪の名花」と呼ばれた体操女子金メダリスト、チャスラフスカ選手の話に熱が入ってしまいました。「プラハの春」として知られる民主化運動のなかで、彼女を襲った運命も、まさにチェコの現代史そのものです。
1冊の本がいろいろなことを喚起してくれます。そして何が飛び出すか、予測不可能なのがこの読書会の楽しみでもあり、おっかないところです。
2018年1月25日
ほぼ日の学校長