ほぼ日の学校長だよりNo.90
「100冊の古書解説」
伊藤まさこさんが完走しました、100冊の古書一冊一冊にひと言書き添えるというロングランを!
伊藤さんがプロデュースする“weeksdays”の夏休み向け企画は、美味しいアイスカフェオレを飲みながら「家でのんびり」本を読もう、という提案です。この「本とカフェオレ」コンテンツの一つとして、伊藤さんと対談することになりました。
冒頭、いきなり「100冊の古書」計画をこともなげにおっしゃいます。目を丸くして訊ねました。
- 河野
- もしかして、100冊の解説文を、
伊藤さんが書かれるの?
- 伊藤
- はい、1冊につき、200文字ぐらいですけれど。
- 河野
- それはすごい。
ひとことでも、書くのは大変ですよ。
- 伊藤
- でも、楽しいですよ?
- 河野
- 楽しいけど‥‥。
ひとつずつどんどん書いていくんですか。
それとも、ためらって、ちょっと脇に置いたり?
- 伊藤
- ためらってる暇はありません(笑)!
- 河野
- じゃあ、パッパ、パッパ、次から次へ。
それもすごい。
いやはや、実際にたまげたのです。ほぼ日の「生活のたのしみ展」で、2回「河野書店」を店開きしました。「出会う古本X(エックス)」というおたのしみ企画が好評でした。包装して中身を見えなくした古本に、内容をほのめかす短い紹介コメントをつけて販売するのです。
買っていかれた方が、後日また立ち寄って、「自分じゃ絶対に買わない本だったけど、読んですごーくおもしろかった! どうもありがとうございます」と言ってこられたのには、感激しました。
それだけに、何を選ぶか、どうコメントするかには、けっこう神経をつかったのです。なので、100本ノックを受けて立つ伊藤さんの凛々しい姿には「あっぱれ!」と声援を送りたいのだけれど、ラクじゃないよ、とも思わず言いたくなるのです。
「ほぼ日」サイトに対談がアップされ始めて、2日目の朝です。外苑前の交差点で、ばったり伊藤さんに会いました。「どうです? 100冊、終わりました?」「それが‥‥結構タイヘンなんですね(笑)。パッパ、パッパといかないんです。どうしてやるって言ったのかしら?(笑)」
そう言いながら、バッグから書きかけの原稿を取り出し、見せてくれます。「鋭意執筆中!」感がありありの、少し“上気”した面持(おもも)ちの紙の束です。タイヘンとは言いながら、やっぱりたのしそうなので、どんなページになるかと待ち遠しくなりました。
連載された6日間、毎日たのしみに読みました。
夏休みのいい読書ガイドになることは請け合いだし、本をいつくしんでいる伊藤さんの様子も伝わって、「あッ、読んでみたい」という人が確実に増えるだろうと思いました。
とにかく100冊やり遂げたことに、まずは拍手です!
この100冊、長野県上田市にあるメガ古書店「VALUE BOOKS」さんと一緒に選書したといいますが、企画の趣旨や伊藤さんの好みにしたがって、VALUE BOOKSさんが選んだリストをもとに、伊藤さんがいろいろ足したり引いたりして、最終的なラインナップが決まったそうです。
数えてみましたが、読んだことのある本が47冊、未読のものが53冊。暮らしまわりの本のなかには初めて知った本も多く、伊藤さんのひと言で、さっそく買い求めたものが何冊かあります。
ずいぶん昔に読んだ本で、読み返したくなったものもありました。若い時の無神経さで、ドカドカと、大股で通り過ぎってしまった箇所を、伊藤さんが鮮やかに(しかもさりげなく)拾い上げてくれているからです。
たとえば、開高健さんの『開口閉口』(No.32、新潮文庫)の次の一節。
「とれたての山菜にあるホロ苦さは
まことに気品高いもので、
だらけたり、ほころびたりした舌を
一滴の清流のようにひきしめて洗ってくれる。」
これを伊藤さんは、
<長い冬が明け、
やっと芽吹いた山菜を味わう時の気持ちを
どうあらわすのが
一番ふさわしいだろうと思っていたけれど、
この本のこの一文がそれを解決してくれました。>
とコメントしています。また、幸田文さんの『季節のかたみ』(No.93、講談社文庫)の一節、
「どんなに気の合う人でも、
自分ひとり以上に、気の合うことはない、
というそうですが、
確かにそういう節もあります。
軽快です。強がりでなく、
ほんとにひとりはいい‥‥」
を引いて、伊藤さんは「さて私は、この年齢にさしかかった時、どんなことを思うのでしょうか?」とさらりと結んでいます。幸田文さんが、おそらく70歳ころの随筆です。
「老いた人びとにとってすばらしいものは
暖炉とブルゴーニュの赤ワインと
そして最後におだやかな死だ――
しかし もっとあとで 今日ではなく!」
これはNo.96に挙げられたヘルマン・ヘッセの言葉。フォルカー・ミヒェルス編『人は成熟するにつれて若くなる』(草思社文庫)にあります。
この本からここを引くか! と驚かされたのは、武田百合子さんの気ままな散歩エッセイ『遊覧日記』(No.100、ちくま文庫)です。
「私、思うのだが
(素人の私が言うのは、はばかり多いことだが)、
剥製は口の中がもっとも難しいのではないかしらん。
粘膜や歯ぐきや舌の色つやとか形が、
なかなか難しいのではないかしらん。」
を引用して、
<これは、浅草の蚤の市で見つけた
ライオンの剥製を見た時の一文。
心のつぶやきがそのまま文となってあらわれていて、
おもしろい。>
「学校長だより」No.88で神田神保町の「ミロンガ」というお店のことを書きました。伊藤さんとも、その店のある露地に立って、一緒に看板を眺めました。
この店の前身は、「ランボオ」という伝説的なバーでした。詩書出版社を営む「神保町のバルザック」こと森谷均(もりやひとし)さんの経営でした。三島由紀夫をはじめ、第一次戦後派、第三の新人といわれる作家たち、詩人、編集者たちで昼間からにぎわい、戦後文学史を語るには欠かすことのできない舞台です。
そこで働いていて、誰の回想録の中にも、飛び抜けた美少女として登場するのが、そののち作家・武田泰淳の夫人となる百合子さんです。神保町を一緒に歩いた伊藤さんの100冊が、武田百合子さんの『遊覧日記』で締めくくられるのにも、何だか不思議な縁を感じます。
他にも、伊藤さんの真骨頂はいろいろなところで発揮されます。今回、私を“直撃”したのは、石井好子さんの『パリ仕込みお料理ノート』(No.53、文春文庫)の紹介でした。
<「冷蔵庫に首を突っ込んで、
二枚の食パンにはさみきれないほど野菜や肉を積み重ね、
大口を開けて食べる。
ときには風呂場まで持ち込んで食べる。」
石井好子さんのエッセイに出てくる、
アメリカのブロンディーという漫画の亭主
ダグウッドのくだりが、
まるで、サンドウィッチを食べる時の私のようでおかしい。
大口を開けて食べる時、いつもこの一文を思い出すのです。>
ほんとうに美味しそうに、幸せそうに、がぶりとやっている表情が目に浮かび、ここでお腹がグーッと鳴りました。
伊藤さんの著作はたくさんあるので、とてもすべてに目を通せませんが、読んだ回数ではダントツの1冊があります。いったい何度手に取ったことでしょう!
ところが、読み通すことのできない厄介な代物でもあるのです。気持ちが脇道に、あらぬ方向へとさまよい出てしまうからです。『ちびちび ごくごく お酒のはなし』(PHP文庫)という1冊。罪深い本で、最初に登場するのが「焼き味噌」です。
<小腹が空いたからと立ち寄った蕎麦屋で、板わさやわさび漬けなんかを肴にお酒を飲む。
長居はしない。蕎麦が茹(ゆ)で上がるまでの少しの時間のお楽しみだ。まずは小瓶のビール、それから日本酒を一合。蕎麦をさっと食べ、そば湯を飲んで店を出る。(略)出し巻き卵、かき揚げ、地鶏の塩焼き‥‥蕎麦屋の品書きは魅力的なものが多い。中でも日本酒にぴったりの焼き味噌は、蕎麦屋で食べてすっかり虜(とりこ)になり、家でもちょくちょく作るようになった。ちょっと焦げた味噌を箸でほんの少しすくっては食べお酒をちびり、またすくってはちびり。長い冬の夜にぴったりの肴だ。>
書き写しているだけで、たまらなくなります。冬の夜といわず、梅雨時にだって、ぴったりの肴ではないですか!
「ほぼ日の学校」で「ごくごくのむ」のは古典だったはずなのに、こういう「ちびちび、ごくごく」の誘惑には、正直困ってしまうのです。
2019年7月18日
ほぼ日の学校長
・三菱一号館美術館とほぼ日の学校がコラボしたコンテンツが、オンライン・クラスにて公開中! 200年前に「手仕事のたいせつさ」を唱えた評論家ジョン・ラスキンの思想をたどりながら、今を見つめ直す対談です。
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